借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

終わらないグラウンドホッグ・デイ(2017年8月20日)



 ブロードウェイ・ミュージカル『グラウンドホッグ・デイ/恋はデジャ・ブ』がオーガスト・ウィルソン・シアターにて公演中。

 もともとはビル・マーレー主演による1993年の映画作品を原作とするもので、知る人ぞ知る人気作。ビル・マーレー演じる天気予報士の主人公フィルがテレビ番組収録のためにペンシルバニア州に実在する人口6000人ほどの小さな町パンクサトーニーにいやいやながら出張するのだが、収録を終えるや帰ろうとするも大雪のために道路が封鎖されてしまい町から抜け出せなくなってしまう。そればかりか、同じ一日を永遠にくりかえす羽目に陥る。 
 「グラウンドホッグ・デイ(聖燭節)」とはグラウンドホッグ(ウッドチャック、リス科)に春の訪れを占ってもらうというアメリカ東海岸の一部地域で実際に行われている行事で、節分に相当する2月2日に開催されている。その起源は19世紀後半に遡る長い歴史を有するも、もともとは小規模な地方行事であった。ところが映画の公開以後、すっかり有名になり、現在では4万人近い訪問客で賑わうほどまでに。

 主人公フィルは、なぜ自分のようなスター・キャスターがこんな田舎町まではるばるやって来なければならないのかと尊大な態度でふるまい続け、周囲から顰蹙を買っている「嫌な奴」。一方、取材に同行するヒロインのリタは、番組プロデューサーとしてフィルのこともうまく扱いながら、お祭りを楽しむ町の人々の様子を魅力的にリポートできるように尽力しており、明るくて気づかいのできる「良い人」。
 日本のポピュラー・カルチャーを視野に入れれば、押井守監督のアニメ映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)や、『涼宮ハルヒの憂鬱』の「エンドレス・エイト」(2009)、ハリウッド映画化された『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014)など、同じ時間をくりかえすモチーフ(ループもの)は何度も描かれてきた。
 その中で『グラウンドホッグ・デイ/恋はデジャ・ブ』が際立って映るのは、中年男性の恋愛(ロマンティック・)コメディを基調としている点。物語開始の時点ではフィルとリタの間に恋愛感情が芽生える兆しはまったく見られない。「自分にふさわしい相手にようやく出会えた」というエンディングはハリウッドのロマンティック・コメディでお決まりの筋書きだが、男性の「中年の危機(ミドル・エイジ・クライシス)」をめぐる物語でもあって、人生を折り返す年齢を超えて、これからどう生きるかを問い直すことも主題の一つ。
 「もし同じ一日をくりかえし続けるとしたら?」の仮想のもとにくりひろげられるフィルの試行錯誤は哲学的な意味をも帯びるもので、ティーンネイジャーの物語とも異なり、「もううんざり。死にたい」と思っても死ぬという選択すらできない苦悩が切実に映る。

 「なぜ今ブロードウェイ・ミュージカルに?」という疑問を抱きつつも、時代をこえて普遍的に響く物語であることはまちがいなく、中年男性の恋愛コメディというジャンルからも日本では「知る人ぞ知る」作品に留まりすっかり忘れ去られつつあるが、現代版としてリメイクできるなら絶好の機会。
 時間をくりかえす展開は映画であればこそ編集によって表現しやすいものであるが、舞台でははたしてどのように再現しうるのか? また、ビル・マーレーの主演作品ということもあり、傲慢で不愛想で嫌な奴という個性的なキャラクターをどのように演じるのかが焦点となる。フィルは歌って踊る感情表現豊かなキャラクターとは対極の存在である。
 また、「もし同じ一日をくりかえし続けなければならないとしたら?」という、いわば中二男子的な妄想を、大人になりきれない主人公が体現する設定からも、「男性のファンタジー」の典型例となるわけで、映画版から25年の時代思潮の変化を経て、セクハラとなる言動や性的願望をどのように扱うのか。つまり、役者/コメディアンとしてのビル・マーレーによって成立していた要素をどのように継承、あるいは変換しうるのか。ブロードウェイ・ミュージカルの観客層からも年齢は高めで、映画版を踏まえたミュージカル版であることを期待する観客が大半であると見込まれる。

 おそらくは百回を超えるほど同じ一日を何度も何度もくりかえし、そこから抜け出すことがどうしてもできないフィルの苦悩を観客に共有させつつも、苦行を強いるだけではエンターテインメント作品として成立しない。映画版でもこの工夫が随所に凝らされていて緩急の効いた物語展開がこの作品の生命線となる。
 舞台上のターンテーブル(移動式テーブル)を巧みに使い、時に鳥瞰図的な構図なども交えながら、視覚的にも単調にならないような構成が見所。驚くべきことに、映画版と同じ脚本家(ダニー・ルービン)が担当していることにより、映画版のエピソードの多くが2幕2時間30分の舞台でほぼ忠実に再現されている。
 主役を演じるアンディ・カールは、ビル・マーレー演じるフィルに寄せた役作りをしている。誰が見ても「嫌な奴」であることが重要であり、それでいて観客から心底嫌悪されてしまうようでは主人公になりえない。恋愛コメディとしても、哲学的な側面からも、共感もしにくいし、恋愛の憧れの対象となるような主人公ではない。ビル・マーレーならではであった難しい役どころをうまくこなしている。
 また、冬の終わりをめぐる物語であることからも、防寒による冬の装いと、同じ朝の到来を示す場面では部屋でくつろぐ下着姿との対比が重要であるわけで、要は「服を着ては脱ぎ」を何度もくりかえさなければならない。
 主演俳優賞をはじめトニー賞は7部門でノミネートされながらも残念ながら一つも得られなかったのだが、主演俳優、舞台美術、脚本が卓越している。マルチメディア化がより一層進む現在に物語を再創造することで、テレビをめぐるメディア表現や時間を意識させる「時」を現す舞台装置も目を引く。

 2016年英国ロンドンでの初演後、2017年4月にスタートしたブロードウェイ公演初日はターンテーブルが故障してしまったことにより舞台の続行を断念せざるをえなかったという。ほかにも、主演のカールがプレヴュー公演時に怪我をしてしまい代役をたてざるをえない事態などを乗り越えて、人気と評価を着実に高めてきている。けっして派手な物語ではないが作り込まれた舞台であることが随所に見受けられる。
 舞台化を経て、あらためて実感されるのは物語の筋立てはオーソドックスなものであり、ふと映画『素晴らしき哉、人生!』(1946)が思い起こされた。クリスマスを舞台にした物語であることから半世紀以上にわたって、クリスマス時期にテレビなどで放映される定番の物語として現在まで継承されてきた。「自分がもし存在していなかったら?」という仮想の世界を天使によって見せてもらうファンタジーを軸に、人生を見つめ直すという筋立ても実はとてもよく似ている。
 2月2日には『グラウンドホッグ・デイ/恋はデジャ・ブ』を鑑賞することを習慣にしているという声も実際に見聞きするのだが、ミュージカル版を経て、あらためて注目がなされることでこれまでに作品が届かなかった層に関心をもってもらう契機となればと思う。ひょっとしたらいずれ現代版のリメイク映画などの構想も出てくるかもしれない。キャラクター造形や時代思潮の変化を織り交ぜたアップデート版も有効だろう。













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amazonブックス @ ニューヨーク(2017年8月18日)



 2015年にシアトルで営業を開始したamazonの店舗型書店「amazonブックス」が、いよいよニューヨークの中心地マンハッタン、セントラルパーク近くのモール(「コロンバスサークル」)でも2017年5月末に開店(アメリカで7店舗目に相当)。
 業界の一人勝ちとして既存の店舗型書店を軒並み廃業に追いやってきたばかりか、書店の域をはるかに逸脱し、およそありとあらゆる分野を扱い、消費・販売のあり方から、物流・税制に至るまで「革命」と「問題」を引き起こし続けてきた企業が満を持して再び店舗型書店を自前で創りだすという展開に・・・。

 ワシントン大学周辺に位置し、ゆったりとした郊外型店舗を構えるシアトル1号店と比して、ニューヨーク店はその立地からもモール内(3階)の一角にある小さなスペース。つまり、amazon書店がまさに21世紀に追いやってきた対象であったはずの小規模書店であるわけだが、オンライン店舗でのノウハウを駆使して、レビューや、「この本が好きな人はきっとこの本も好き」などのデータを効果的に導入している点に特色がある。
 しかもどうやら配架されている本は売上やレビューで高評価を得た本だけに限定されているらしく、ここに本が並ぶことが新たなステイタスになりうるかどうか。ポピュラー音楽のヒットチャートの如く、消費文化の最たるもので、自分が著者の立場であれば息苦しさを感じるのが正直なところであるが、出版をめぐる現在の状況を思えば売上は無視できない現実でもある。

 また、近年、amazonは人工知能を用いた家電デバイス「amazonエコー」などの独自のメディア開発に、より一層力を注いでいることからも、店舗は「実演」販売に適しているわけで、アップルストアの店舗のあり方に近いと言えそうだ。オンラインのamazon会員情報とも連携させており、現金による支払いは不可。顧客の反応をダイレクトに確認することもできる。宣伝やデータ収集などを考えれば採算も十二分に期待できるのだろう。
 さらに目を引くのは店員の多さで、さながらアパレル店員のように気さくに声をかけてきてはお客の嗜好を探り、お薦めの本を紹介してくれる。これはやはり、話しかける文化が根づくアメリカならではだろう。日本では、アパレルにせよ何にせよ、「とにかく店員に話しかけてこないでほしい」という最近の顧客の傾向にまつわる記事(「話しかけない接客サービス広まる」)を読んだばかりであったのでその対照性をより一層興味深く思った。
 日本ではやはり根づかないスタイルなのだろうが、書店員がそれぞれの得意分野を持ち、コンシェルジェや熟練のアパレル店員のようにそれぞれの顧客にあった本をコーディネートしてくれる試みもおもしろく、ある意味で理想の書店像。新刊ばかりに偏重がちな日本の文化傾向(出版にかぎらない)と比して、既刊本、あるいは古本までもが書棚で並列しうる海外書店の文化背景にもよるのだろう。

 配架する本の数を店舗型書店では絞り込んでいるわけで、本のジャケットが見やすい配架方法も特色になっている(日本での「平積み」に相当)。amazonといえば、取扱量の多さこそが最大の利点であるはずだが、逆に、書店員が掌握できる範囲に量を限定する方針というのも店舗型書店の一つのあり方を示すものでもある。
 開店してまだ間もないこともあって、店に入ってくる人たちが口々に「え? amazonが店を出してるの?」という言葉を交わしているのも一興。

 ニューヨークは1927年創業の老舗「ストランド書店」が品揃えで抜きん出ているし、配架の工夫も凝らされていて本を探しやすい。日本と異なり再版制度もなくディスカウント販売もできるため安いのも強み。
 テナント料が超絶高額な都市部ということもあり、どうしてもこのように大型店に限定されてしまっている状況であるが、amazonはすでにアメリカ国内での店舗創設事業計画を発表しており、西海岸・東海岸を中心に今後、出店数を拡張していくようである。そこからまた少しずつ多様な店舗型書店の復活に繋がっていってくれることを期待したい。

OTAKON @ Washington,D.C.(2017年8月16日)



「OTAKON」の年次大会に行ってきました。1994年にスタートして以降、昨年度まではメリーランド州ボルティモアで開催されてきたのですが、増大する来場者数に収容能力が追いつかずついに今年からワシントンD.C.に場所を移し、そのはじめての開催となりました。

 「オタク・ジェネレーションのためのコンベンション」と銘打たれているように、日本のオタク文化(東アジア含む)およびその精神性を称揚するところに最大の特色があり、日本からクリエイターを毎回ゲストとして招聘している。3月に西海岸のシアトルで開催される「サクラコン」(23000人)、ロサンゼルスで開催される「アニメ・エキスポ」(50000人)とあわせて、30000人規模の「OTAKON」は東海岸最大級のイベント。
 ファン・カルチャーによるコンベンションは21世紀以降、アメリカでさらに拡張してきているが「OTAKON」を通して実感されるのは、商業主義化の傾向がより一層進むポップカルチャー領域において、ファン自身によってイベントを主導しようとする精神が浸透していること。プロ・アマを問わずクリエイターに対する敬意も随所に窺える。
 そして、とにかく参加者皆がそれぞれのやり方で楽しんでいる。とりわけ会場を闊歩する様々なコスプレ姿からは、日本のポピュラー・カルチャーばかりでなく、アメコミはもちろん、「誰?」と問わずにはいられないオリジナルキャラに至るまでその多彩さが際立つ。ツノか触角かシッポか羽根が生えてる人たちが闊歩する会場は壮観であり、髪や肌、服の色もカラフル。

 プログラムは丸3日間、朝の9時から夜2時まで続く。「パネル」と称されるトーク・セッションに、映画上映、ゲームの実演コーナー、コスプレのコンテストや写真撮影会、ゲストによるサイン会、ワークショップなども。コスプレの写真撮影会は(パネルを中心にまわっていたのでほぼ立ち会えなかったのだが)、特定のアニメに特化したカテゴリー分けがなされていて、そこに同好者が集う。『ユーリ!!! on ICE』、『ハイキュー!!』の人気が特に目立って見えた。
 「パネル」のゲストでは、日本マンガの先駆的紹介者であるフレデリック・ショット氏と、『ジャパナメリカ――日本発ポップカルチャー革命』(2007)の著者であり、アメリカと日本のポップカルチャーの相互作用を探るローランド・ケルツ氏のセッションなど。フレデリック・ショット氏は今年の2月に日本で講演を行っており、ケルツ氏は(知らなかったですが)今年の夏まで慶應義塾大学にて研究員をつとめていたらしく、それぞれのアプローチで歴史資料からポップカルチャーの最前線までを捉え続けている。
 一方、アメリカの教育現場にマンガ/アニメをどのように導入するかをめぐるセッションなどもあり、実際に教育現場に携わっている方々の報告を踏まえた意見交換なども活発に行われた。

 とにかくあまりにも規模が膨大なので全貌をつかむことなど到底できないのだが、特筆しておきたいプログラムについて何点か。
 会場に神社の祭殿がまつられており、伝統的な日本文化のよくある紹介程度のものかと思っていたら、巫女であるKuniko Kanawa氏をゲストとして招いた本格的なもので「古神道」は今回のプログラムの中でも大きなテーマの一つとされている。
 パネルでのセッションにも登壇され、『千と千尋の神隠し』をはじめとする宮崎アニメなどを素材に日本のポピュラー・カルチャーにおける神道表象を分析する試みなどを披露されていた。ポピュラー・カルチャー研究においてもきわめてよくある視点であり、宗教文化研究者を交えたシンポジウムなどもよくあるものではあるのだが、実際にはかなり雑な分析で事足れりとしてしまっている現実もあり、神道の専門家に話を窺う機会は有効ではないかという思いを強くした。
 『君の名は。』にしても、『神様はじめました』にしても、大森靖子の『kitixxxgaia』にしても、物語を駆動させる媒介として現在なおも神道描写は大きな役割をはたしている。「ポスト神様の時代」と称されるほど「神」のあり方も多様に変遷を遂げながら氾濫している。大林宣彦の『転校生』(1982)にしても男女の体が入れ替わる場として神社が機能しており、高橋留美子作品の神道表象にしても、系譜として包括的に探る研究はもっとあってよい。

 個人的に嬉しかったのは、『うる星やつら』のテレビアニメシリーズにて諸星あたる役を演じた声優・古川登志夫・柿沼紫乃夫妻がゲストとして招かれていたこと。「声優ワークショップ」では、古川氏がエース役をつとめた『ONE PIECE』の一場面を用い、参加者に実際に声優体験をしてもらうというセッション。「日本語版」と「英語版」の二部構成として、まずは日本語をある程度理解することができる参加者を募り、スクリーンの映像にあわせてアテレコをしてもらうというもの。外国語学習の観点からも有効な試みとなりそう。
 実際にやってみると、想像以上に早く場面が進んでしまったり、言語化されない感情を表現したりするのは難しいものであるはずだが、アメリカでは人前でパフォーマンスをすることに慣れているようで皆すごく巧い。

 さらに、ちょうどニューヨークでの公開がはじまったばかりのアニメ映画『この世界の片隅に』の上映会もあり、プロデューサー、アニメーターの立場から、丸山正雄氏・松原秀典氏がゲストとして招聘され、サイン会と上映会後のトーク・セッションも行われた。
 サイン会ではアニメーターの松原氏の代表作品(『サクラ大戦』や『ああっ女神さまっ』)などを皆持ち寄ってサインを求める姿が目立ち、さすがオタクの祭典!
 『この世界の片隅に』は資金難から制作が幾度も困難に陥り、最終的にはクラウド・ファンディングなどによって完成にこぎつけた経緯がよく知られているが、5年前の「OTAKON」にて制作予定の作品として紹介されていたらしく、参加者からも「ようやくあの時に話題に出ていた作品を観ることができて嬉しい」という声もあがり、皆が感慨にふける一幕も。
 律儀にその約束をはたして上映会を開催し、制作陣が直接参会し、ファンとの対話を丁寧に行う姿勢に大きな感銘を受けた。監督は不在であったが、監督を代弁するチームプロジェクトとしてのあり方と、監督に寄り添いながらも監督を客観視する視点からの見解も興味深いものであった。
 太平洋戦争を舞台にした物語をアメリカで上映するという状況からも、他のセッションでの軽快なトークとは対照的に、お互いに言葉を慎重に探りながら語る様子はひときわ印象深いものであった。一つの作品をじっくり作り上げ、その後も地道なまでにじっくりと観客に向き合おうとする姿勢は、一過性の消費に留まらず作品やクリエイターに敬意を払う「OTAKON」のあり方にもいかにも似つかわしい。

 参加する前までは、正直なところ、コンベンションに食傷気味なところもあったのだが、それぞれがそれぞれのやり方で楽しむイベントは居心地のよいもので、なおも拡張を遂げている要因はこうした居心地の良さにこそあるのだろう。















エルマイラのトウェイン学会(2017年8月7日)


 第8回マーク・トウェイン国際学会が8月3日から5日まで開催され無事終了。
 トウェインの妻オリヴィアの出身大学であるエルマイラ大学マーク・トウェイン研究センター主催により4年に一回の開催。エルマイラ大学は1855年創設の伝統校で、女子高等教育のパイオニアでもある。1400人ほどのこじんまりとした学生数で顔が見えるフレンドリーな雰囲気と美しいキャンパスが魅力。

 1989年からスタートしたこの学会はすでに30年近く続いており、キャンパス内の寮に宿泊し、さながら4年に一度の合宿型同窓会のような趣。
 前回の2013年第7回大会はトウェインの没後100周年記念事業となった3巻本『自伝』刊行中(2010-15)であったこともあり活況を呈していただけに、学会規模の縮小を感じる局面は多かったが、じっくり作家研究に向き合うことができる貴重な機会。

「デジタル化/グローバル化時代のトウェイン研究」から、「遺構管理人アルバート・ビゲロー・ペイン(1861-1937)に焦点を当てたパネル・セッション」など、壮大なテーマから高度に専門性の高い内容まで総勢70名を超える研究発表に、基調講演、映画上映、写真展示、エクスカーション(トウェインが夏を過ごした別荘や墓地など)……と丸3日間朝9時から22時過ぎまで続く。変わったところでは、ベテラン研究者たちによるトウェイン作品の朗読劇なども。
 映画上映会では「もしトムやハックたちが現代に大人になったとしたら」を描く『トム・ソーヤーの盗賊団』(Band of Robbers, 2015)の監督・脚本、アーロン&アダム・ニー兄弟のアフタートーク付。アダム・ニー監督はトム・ソーヤー役として出演もしているので、映画上映直後に、劇中の「大人になりきれないダメなトム」と直接、対話ができるのもおもしろい。
「マーク・トウェイン・プロジェクト」(カリフォルニア大学バークレー校)のベン・グリフィン氏による基調講演は、トウェインが小説家として活躍する以前のジャーナリスト時代の通信文に焦点を当てたもので、現在、編纂が進むプロジェクト研究の最新の成果。2018年11月には日本マーク・トウェイン協会でもグリフィン氏の招聘講演を準備中。

 日本マーク・トウェイン協会からは、有馬容子、石原剛、久保拓也、杉村篤志の各氏と中垣の計5名が参加し、研究発表を行いました。次回は4年後、2021年8月を予定。発表者でなくとも楽しめるプログラムなのでぜひ。


海外マンガ部会第10回大会(2017年7月25日)


 日本マンガ学会海外マンガ部会第10回大会おかげさまで無事終了いたしました。
 毎年1回程度大会を開催してきまして早いもので10周年を迎えました。
 2001年に日本マンガ学会が創設され、京都精華大学マンガ学部をはじめ、大学の制度内でマンガ研究(実作含む)を学術的に学ぶ場が確立されてきましたが、その中で「海外マンガ」の領域は未だ充分に回路が定着してきたとは言い難いように見えます。とりわけ大学院以降の研究者/専門家養成機関としての面では立ち遅れていると言ってよい現状があります。
 その一方で、アメリカン・コミックス、BD(バンド・デシネ)、アジアのコミックス、世界中のカートゥーンなどを翻訳・紹介・研究している専門家の方々はそれぞれが独立独歩でその道を切り拓いてこられたわけであり、はたしてポピュラー・カルチャーの領域の専門家を養成することはどこまで可能であるのかという問いもあります。
 研究者、翻訳家、出版コーディネーターなど多様な領域の「専門家」にお話を伺い、さらに文筆家、出版業界関係者、ファン。コレクター、院生、学生など様々な方々にお越しいただき、「キャリア/教育」の観点を軸に、海外マンガの現状とこれからについて検討しました。

 翻訳家としてBD(バンド・デシネ)作品を精力的に紹介されている原正人さんにご講演をお願いいたしました。「海外マンガを仕事にする――研究の外側から」という演題で、これまでの遍歴をおもしろおかしくお話くださり、学習塾での人気講師でいらしたというご経歴ならではなのか、話に惹きこまれてしまうわけですが、スキルとサバイバビリティの高さに感嘆するばかりです。
 日本のBD受容の裾野を大きく拡張してこられた立役者ですが、翻訳だけでも、口語表現が生命線であるコミックス翻訳から、理論書、契約書に至るまでその射程は幅広く、さらにBD研究会を経て、現在は「世界のマンガについてゆるーく考える会」(2016年より現在まで7回開催)を主催されるなど分野の発展に対しても意欲的な活動を展開されています。

 海外マンガの先駆者であり、部会代表の小野耕世さんによるトーク・セッションでは、当初、フロアの質問に答えるという予定であったのですが、結果的に最新のご関心についてお話をうかがうことに。最新映画『ドリーム』や『ワンダーウーマン』から、話はアメリカ現代史、文学にまで連関し、さながら往年の大学の名講義のような趣に。東京大学教養学部にて当時、新設された大衆文化論講義を担当されるなど、ポピュラー・カルチャーの大学教育においても先駆者でいらっしゃるのでした。

 ほか研究発表として、初期アメリカ・コミックス研究者の三浦知志さんに「マンガの中の手紙」として、「手紙」がどのようにコミックス表現の中で描かれていったのかを分析いただきました。
 また、社河内友里さんに「アメリカン・コミックスにおけるビート・ジェネレーション文化表象の変遷」について報告いただきました。お二方とも「海外マンガ」関連領域で博士号を取得されています。
 さらに、翻訳家・出版コーディネーターの椎名ゆかりさん、アメリカの大学(ニューヨーク市立大学)にて日本のマンガ文化をはじめとするコミックス研究・教育に従事されているShige (CJ) Suzukiさんを交えて「海外マンガを研究すること――キャリアと教育」にまつわる討論を行いました。

 海外マンガ部会の年次大会は次年度になってしまいますが、臨機応変に随時、研究会も開催できればと思います。
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