借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

ブルース・スプリングスティーン国際学会(2018年4月21日)

ブルース・スプリングスティーン国際学会が郷里ニュージャージー州モンマス大学にて開催。同大学に2017年にスプリングスティーン・アーカイブ&アメリカ音楽研究センターが創設されて以降、はじめての開催となるもので、2005年、2009年、2011年に続く累計4回目。これまではBOSSの誕生日である9月開催であったが、今回は4月12~15日。
かねてよりこの学会の存在を知りつつもいつもタイミングを逃して参加できなかっただけに、ようやくはじめて参加できましたよ。
大会全体のテーマとして、リリースされてから40周年を迎える『闇に吠える街』(_Darkness on the Edge of Town_, 1978)を特集。『明日なき暴走』(1975)の大ヒット以後、マネージメント関係をめぐり訴訟沙汰になり、人気絶頂期にもかかわらず音楽活動停止に追い込まれ、また、内省的かつ文学的な詩作の傾向を強めていった時期でもあり、長いキャリアにおいても分岐点として位置づけられる作品。さらに2010年に未発表音源をふんだんに盛り込んだボックスセット『闇に吠える街~ザ・プロミス』も出た今こそじっくり吟味する絶好のタイミングが整っている。
トーク・セッション型の基調講演(聞き手による進行)として、スプリングスティーンが『ボーン・トゥ・ラン スプリングスティーン自伝』(2016)にて、「とっておきの悩める若者の表情をしてみせた」と述べている例のジャケット写真の撮影をはじめ親交の深い写真家フランク・ステファンコ氏や、当時のレコード会社の担当(プロダクト・マネジャー)をつとめたディック・ウィンゲイト氏らを招き、40年前の出来事をつい昨日のことのように観衆も交えて語りあう不思議な時空間に。それでいて単なる昔話としてではなく、歴史的証言を確認しながら新しい創造に繋がる手ごたえをも感じさせてくれるもので、BOSSも含めて皆今もなお現役であり続けているがゆえなのだろう。いくつかの講演はランチタイムのさなかに行われ、互いにリラックスした雰囲気で質疑応答もセッションのようにテンポよく進む充実した時間となった。
さらに、当時を回想するトークに加えて、『闇に吠える街~ザ・プロミス』のアーカイブ盤ボックスセットに併せて1976~78年頃のライブやスタジオの様々な映像を交えたドキュメンタリー映画『メイキング闇に吠える街』制作に携わったトム・ジムニー監督の講演がシアターホールでの上演後に行われた。この映像作品自体はボックスセットに収録されているものであるが、やはり大きなスクリーンと迫力ある音響で観てこそ味わいが増す。ジムニー監督は2001年からスプリングスティーンの映像アーカイブ事業に関与しており、『明日なき暴走』30周年盤映像ドキュメンタリー作品(2005)にてグラミー賞受賞、ライブ映像『ライブ・イン・NYC』(2001)にてエミー賞受賞。音楽活動のアーカイブ化においても映像クリエイターの役割はとても大きなものであるが、いわば裏方的存在で、表現者自身に光が当てられることが実際には少ないこともあり、話を聴けたのは収穫だった。物静かで誠実に言葉を選びながら語る姿が印象深いものであった。
また、2012年に刊行された伝記『ブルース』の著者、ピーター・エイムズ・カーリン氏の講演とサイン会も。アメリカ文化には自伝と評伝の伝統が根強くあり、評伝作家は膨大な資料をもとにエピソードを盛り込みながら人物像を創り上げていくのだが、作家の数だけ捉え方も語り口も異なるのが評伝の魅力。カーリン氏の最新作はポール・サイモンの評伝(2016)で、他にもビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン(2006)、ポール・マッカートニー(2009)を手がける多作な作家でファンも多い。
学会は同時に7部屋に分かれてセッションが展開される形式で、計90ほどの発表が行われた。特集されている『闇に吠える街』作品研究や、現在スプリングスティーンが専心しているブロードウェイ・ミュージカルの活動について、音楽ジャンルの系譜、詩人としての側面(文学としての評価)、ジェンダー、宗教観、ファン・カルチャー、心理学・政治・経済・社会的な側面からの考察、スプリングスティーンを題材にした演劇プロジェクトの報告に至るまで、テーマも多岐にわたり、方法論や参加者の立場も多種多様。ドイツ、イタリア、ハンガリーなどからも参加者があった。それぞれの報告者がスプリングスティーンの音楽との出会いについて触れながら活き活きと話をしているのもこの学会ならでは。
私自身は、アメリカ文学文化の授業でスプリングスティーン作品を導入している実践例について報告してきました。セッションでご一緒した図書館勤務の方の報告は、スプリングスティーンにまつわる研究動向をめぐる統計調査によるもので、宗教およびジェンダー観の注目が近年高まっている状況について触れられていたが、このたびの学会でもその傾向は顕著に示されていた。また、研究にとりあげられている対象作品のトップ3は、『ネブラスカ』(1982)、『ライジング』(2002)、『ゴースト・オブ・トム・ジョード』(1995)であるとのこと。
ほか、残念ながら私は参加できなかったが、BOSSの郷里フリーホールドやデビューアルバム『アズベリーパークからの挨拶』(1973)のタイトルで知られるアズベリーパークを解説付きでめぐるバスツアーや、ウォーキング・ツアーなども行われていた。
『明日なき暴走』の収録曲の多くが書かれた頃にBOSSが住んでいたという家はモンマス大学のほど近くにあり、こちらは訪問できました。
モンマス大学が所有するブルース・スプリングスティーン・アーカイブ&アメリカ音楽研究センターは、キャンパスに隣接した一軒家を用いており、文書の整理が進んでいる。ミュージアム化や展示型コレクションに繋がることは当面予定していないようであるが、今回の学会にあわせて『闇に吠える街』のオリジナル・ポスター展示が披露されていた。専属研究員の方もおり、スプリングスティーン研究および関連するポピュラー音楽研究において今後、重要な拠点となることだろう。
次回のスプリングスティーン学会の発表はなされなかったが、『闇に吠える街』に続く『リバー』(1980)、『ネブラスカ』(1982)を特集する学会などを期待したい。同大学では秋にも同様のシンポジウムとして、ビートルズのホワイトアルバム(1968)50周年を記念する国際シンポジウムを予定しており、すでに研究発表の公募もスタートしている。





スポンサーサイト

ガチャピンといつまでも(2018年4月8日)


1973年4月2日にスタートし、様々な変遷を経ながら45年にわたって放映が続いてきた「ポンキッキシリーズ」がいよいよ終了。第一回の番組を観ていた記憶のある人がどのぐらいいるのかわからないが、「永遠の5歳児」のガチャピンと同じ当時5歳ぐらいであろうか。朝のイメージが強い『ひらけ! ポンキッキ』も最初の数年は平日午後(2時台)の放映だったらしい。
 岩井俊二監督『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1993年8月放映)でも主人公の少年が登校日の朝、『ポンキッキ』を観ている場面からはじまることからも、『ひらけ! ポンキッキ』(1973年4月~93年9月)までは世代を超えて共有しうる番組として一時代を築いた。もともとテレビのオムニバスドラマの一話であった『打ち上げ花火』もフジテレビ系列の放映であったわけで、今から思えば、ちょうど『ひらけ! ポンキッキ』の終了間際と重なる時期でもある。
 93年以降は曜日、時間帯の変動をくりかえし、さらにBSに拠点を移すなど様々なリニューアルを経て、「ポンキッキーズ」は継承されてきた。2007年から1年間ほどレギュラー番組のインターバルがあったこともあるので、今後もレギュラー番組の復帰の目がまったくないともかぎらないのだが、誕生日に設定されている2018年4月2日に、2006年から継続されてきたブログの終了も宣言された。
 とはいえ、今でも様々なCMに起用されており、今後もガチャピンとムックの活動が終わるわけではないらしい。『ポンキッキ』シリーズに直接親しんだことがない世代であったとしても圧倒的な知名度の高さを誇るキャラクターであり、ブルーやピンク色で登場する姿までもがなじみ深いものになってきた。
 私自身、思い返してみても、『ひらけ! ポンキッキ』の番組で覚えていることがほぼまったくないことに愕然とするほどであるのだが、3歳から6歳の幼児を対象にした番組としてスタートしたことからも、物心つく前に観ていて、自分でテレビ番組を選択できるようになる頃には離れていってしまう番組ならではであるのだろう。記憶にあるのは、「パタパタママ」(1976)という、この番組からうまれたレコードなどが家にあったこと。正確には絵本の付録としてのソノシートであったかもしれない。レコード売り上げ最大のヒット作「およげ! たいやきくん」(1975)を輩出するなど、音楽にも随分力を入れていた番組であった。ガチャピンとムックのキャラクター造形に、ポール・マッカートニーとジョン・レノンのイメージが投影されていたのではという説もあるが、それも頷けるほどビートルズなどの洋楽がBGMとして起用されていた印象も強い。選曲リストには、ローリング・ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」まである。
 それもそのはずで、『ひらけ! ポンキッキ』はアメリカの子ども向け番組『セサミ・ストリート』(1969- )をモデルに、発達心理学、児童心理学をはじめとする有識者会議を経て、教育効果を追及した幼児教育番組を目指して創り上げられた背景がある。フジテレビに報道番組部長として関与していた映画監督の五社英雄(チーフ・ディレクター)、テレビ・ディレクターでもあったSF作家の野田昌宏(演出、ガチャピンのモデル!)、下積み時代の高田文夫(構成作家)らが制作陣に名を連ねているのもすごい。
 さらに、エルモ、クッキーモンスター、ビッグバードなどのマペット・キャラクターで知られる『セサミ・ストリート』と比べるならば、ガチャピンとムックの存在感もより際立って映る。その後、現在にまで連なるゆるキャラの系譜から見てもおもしろい。「永遠の5歳児」「恐竜と雪男の子ども」などの設定もわりとゆるく柔軟に変化を遂げていて、ガチャピンに至っては、いつからか、ロッククライミング、スキューバダイビング、スキー、空手など、スポーツ万能なキャラクターと化しており、ブログやtwitterでの活躍も目覚ましいものであった。

 個人的に誕生日が近いこともあり(設定上は6日違い)、親近感を勝手に抱いていたこともあり、番組終了とそれにともなうブログの更新終了はとても残念だが、激変の時代の中で現在まで活動を続けてきたことにあらためて感嘆させられる。
 なおもCM出演などで出演が続き、常に意外性で楽しませてくれたガチャピンとムックであるだけに、またぜひ意外なところで遭遇できることを期待したい。







山形国際ドキュメンタリー映画祭(2017年10月12日)



 2年に一回開催されている第15回山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ってきました。
 今回はなんとフレデリック・ワイズマン(『エクス・リブレス――ニューヨーク公立図書館』)と原一男(『ニッポン国VS泉南石綿村』)の大ベテラン監督がともに新作を、しかもコンペティション部門で出品するという驚くべき事態に。どちらもそれぞれまったく異なるアプローチからドキュメンタリーとは何かをあらためて考えさせてくれる、さすがの力作(長いけど)。

 忙しない時間をやりくりして映画館にかけつける日常とも異なり、映画祭であればこそ、長い上映時間を費やしてじっくり描き込んだ作品にどっぷり浸ることができる。上映時間だけでなく文字通り長い歳月をかけて制作された大作も多い。
とはいえ、上映時間が3時間超えるのがザラというのはさすがにしんどいものがあり、会場で特製のクッションを販売していたのも納得。
 毎回のプログラムに応じて力点は変わるのですが、今回は私にしてはめずらしくメインとなる「コンペティション部門」を中心にまわってみました。
 にもかかわらず、すでに発表された大賞受賞作品(ポーランドの『オラとニコデムの家』)は見逃してしまいました(別の作品を観ていました)。

 会場は主に3か所に分かれていて、一つ一つを移動するのに約15分程度かかるのだが、街に根差した市民映画祭のあり方を反映して、なんとなくなじみの風景ができてくるのも嬉しい。朝から夜中まで続く映画祭ということもあって、会場を出てみたら外は真っ暗になっていることではじめて時間の経過を認識するということも多く、歩くのも良い気分転換になる。
 メイン会場近くにあるカフェ・レストラン「花の種」が再開発のあおりを受けて10月末で閉店とのことで、毎回訪れていただけに残念。

 今回の「特集企画」は、「パレスチナ・レバノン1970-80年代」「アフリカを/から観る」「フレディ・ムーラー特集」。その他にも、昨年亡くなった「松本俊夫特集」や「佐藤真没後10年特集」など様々に魅力的なプログラムが同時展開されていた。東日本大震災以後を捉える「ともにあるCinema with Us」はすでに定着し、定点観測としてじっくりと風景や人々の暮らしを見つめ、記録し続ける試みは回数を重ねるごとに深みを増してきている。
 この映画祭の最大の特色は監督との距離が近いことで、上映後に観客との対話の時間が用意されており、さらにその後も場所を移し、ロビーでカジュアルに直接話をすることもできる(海外の監督の場合、通訳者も対応してくれる)。もちろん観客との対話は表現者にとっても貴重な機会なのだろうが、長時間におよび、かわるがわる様々な質問に丁寧に向き合っている監督の姿をあちこちで目にし、頭が下がる思い。

 いくつか雑記として。『私はあなたのニグロではない』(2016)は、アメリカ文化における様々な「黒人表象」映像を素材に、公民権運動の1960年代からオバマ大統領の時代以後までのアメリカの歴史を再構成するもので、黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの言葉・思想・映像を軸に歴史を繋ぐ趣向がよくできている。トランプ政権下の今こそこの作品の価値が増すというのは皮肉ではあるが、それだけ過去と現在、未来を繋ぐ手続きが見事。この映画祭で優秀賞を受賞。
我妻和樹監督『願いと揺らぎ』(2017)は、宮城県南三陸町の波伝谷という町に暮らす人々の姿を描き続ける連作(続編)で、この作品では伝統行事「お獅子様」の復活を目指す過程に焦点を当てている。1985年生の若い監督がじっくりと時間をかけて町の人々と信頼関係を作り上げてきたことがよく伝わるもので、監督自身も含めた人々の心の揺れ動きや風景の変化が丹念に描かれている。
「なぜ今、押井守の『トーキング・ヘッズ』(1992)を上映?」と思っていたら、脚本をつとめた伊藤和典氏の実家が山形県上山市の温泉街にてかつて老舗の映画館を営んでいたそうで、その映画館で撮影が行われた背景から、「やまがた映画」の特集企画の一環による。
 ほかには、イランの更生復帰施設で過ごす10代の少女たちの生活を描くメヘルダード・オスコウイ監督『夜明けの夢』(イラン、2016)、中国出身の作家で「歌舞伎町案内人」という異名を持つ李小牧氏の新宿区議選挙活動をたどった邢菲監督『選挙に出たい』(中国、2016)などが印象に残るものであった。
公式パンフレットの詳細な概要を参考にしても、実際に映像に触れてみるとこれがまた印象がまったく異なるものになるのがドキュメンタリーならではで、毎回、「あれ? 思ってたのと違った」という驚きも楽しみに。

 トーク・セッション「東日本大震災はドキュメンタリー映画になにをもたらしたか(中間報告)」は、「PFF(ぴあフィルムフェスティバル)」に長年携わっている荒木啓子氏、『311』(2011)、『赤浜ロックンロール』(2015)などのプロデューサーであり、日本映画大学教授でもある安岡卓司氏、ドキュメンタリー専門雑誌『neoneo』編集室の佐藤寛朗氏がそれぞれの視点から現在の表現を取り巻くメディア状況を展望するという構成。震災をめぐるドキュメンタリーのみならず、PFFアワードや大学の教育現場を通して見える若い表現者の創作傾向について、表現者をどのように育成しうるかという教育の側面、さらには、現在の「不寛容の時代」とも称されるメディア状況の中での表現のあり方など、多彩な論点が示された。
魅力的なプログラムのごく一部しか実際には触れられておらず、実はさらに交流の場なども様々に用意されている。ドキュメンタリーと一口に言っても、アプローチも描かれる世界も多様であり、ドキュメンタリーの多様さと世界の多様さをあらためて実感できた。まだ未消化のままであるだが、表現とは何かをゆっくりと考えさせてくれる時間であった。次回は2019年10月の開催予定。




大林宣彦映画祭(2017年10月2日)


 大林宣彦映画祭(於・池袋「新文芸坐」)閉幕。
 9月30日最終日はオールナイト上映会「アンコールワンダーナイト編」でトークショー付。
 ラインナップは、
・『CONFESSION=遥かなるあこがれ・ギロチン恋の旅』(1968)
・『HOUSE/ハウス』(1977)
・『金田一耕助の冒険』(1979)
・『少年ケニヤ』(1984)

 なんとまあ絶妙なセレクションで、カルト的名作『HOUSE』はまだしも、他の3作品は今では単独で話題になることもあまりなく、オールナイト上映会の高揚感であればこそ味わいが増すもの。
『CONFESSION』は1968年の時代の産物であり、当時20代後半であった監督の青春時代との訣別の記録でもある。文字通り片時も目を離せない映像詩(イメージ)の集積で、実験映像作家としての大林宣彦の原点。
 初期作品集DVD『大林宣彦青春回顧録』に収録されているのですっかり観た気になっていたが、上映中2回ほど生じたフィルムのトラブルも含めて映画館で観ることができてよかった。クセになる音楽に、クセになる独特のテンポ。
 実験映画製作集団「フィルム・アンデパンダン」に参加し、自主映画/実験映画の先駆者であり、ヌーベル・ヴァーグ、アメリカン・ニューシネマとまさに同時代人であったわけで、公にされている初期作品からだけでも優に半世紀を超えるキャリアに加えて、現在なおも旺盛な創作意欲にひたすら圧倒させられる。
 1964年のインディペンデント映画祭の作品集『フィルム・アンデパンダン1964』が2013年にDVD化され、展覧会「エクスパンデッド・シネマ再考」(東京都写真美術館、2017年8~10月)の開催など1960年代の実験映像文化が再評価されている流れの中で大林作品を捉え直す機運も高まっているように思う。叙情的な映像詩人であり、モダニストであり、ポップ・アーティスト。1970年代のCMディレクター時代の作品(2000本を超える!)を、代表作だけでも一望できたら素晴らしいのだが、やっぱり難しいんだろうなあ。

『HOUSE』はもちろんのこと、『金田一耕助の冒険』も深夜映えする作品で、今だからこそ楽しめるパロディ映画の怪作。壮大な遊び心(悪ふざけ?)も含めて大林映画の真骨頂。オールナイト映画祭ならではのマジック効果もあるのだろうけど、こんなに楽しめるとは思わなかった。

『少年ケニヤ』は、大林監督唯一のアニメ映画ということもあり、アニメ史においても語られることが少ない壮大なエンターテインメント冒険活劇。もともと原作が山川惣治の絵物語(1951-55)ということもあって、1984年の発表時においても時代錯誤的な冒険物語であったのだが、原作者である山川惣治本人が実写で登場する冒頭場面といい、メタ構造的な仕掛けも随所に凝らされていて斬新。とはいえ、明け方に2時間近い長編はさすがにちょっときつかった。
 宮崎駿『風の谷のナウシカ』、押井守『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の二大巨頭と完全に同時期ということもあって光が当たらないのもやむをえないのだが、思えば『幻魔大戦』に続く角川アニメ映画の第2弾であり、ほかにも『カムイの剣』(85)、『ボビーに首ったけ』(85)、『時空の旅人』(86)、『火の鳥』(86)と当時の角川映画は長編アニメにも力を入れていたわけで、音楽、キャラクターデザインなど顔ぶれも異様なまでに豪華。

 上映会開始前に行われたトークショーは、『ねらわれた学園』(1981)でデビューをはたし、『時をかける少女』(1983)の未来人「深町君」役で有名な高柳良一氏をゲストに、映画評論家・樋口尚文氏が聞き役として、実際の高校生であった視点から「大林組」(大林映画)を回想する構成。樋口氏の最新刊『「昭和」の子役――もうひとつの日本映画史』(国書刊行会)に収録されている長編インタビューのダイジェスト版のような趣であったが、やはりご本人の声で聞く方が貴重であり、おもしろいし、何より話がうまい。
 かつて筒井康隆氏がエッセイで「深町君が編集者として原稿を受け取りに来た」と触れていたので俳優業引退後、編集者になっていたことはなんとなく知っていたのだが、その経緯やその後の経歴(現在はラジオ局総務部長)について知るのははじめて。
 『ねらわれた学園』の高校生(関耕児)役は、まじめでスポーツも得意で人望もあって、それでいて反骨精神もユーモアもあって、という眉村卓原作小説をまさに具現化したような人物像で、当時も子ども心に大人っぽいなあと思っていたものだが、今観返しても堂々とした存在感。普通の人のようで、超然としたそのあり方は役柄のイメージと変わらず。本当に不思議な人だ。
 また、この度の映画祭では聞き役に徹していらしたが、樋口氏の大林映画論についてもぜひじっくりうかがってみたい。

 最近も実写映画版『亜人』(本広克之監督)に「大林監督らしき人が出演していたと思ったら本人だった」とまったく思いがけない形で話題になっていたが、大林監督の新作『花筐HANAGATAMI』は12月16日公開予定。
 作品数が途方もなく多く、キャリアも長く、作風も媒体も多様なので、全体像をつかみにくく、テレビやCMなど現在ではそもそも視聴不可能な作品も数多いのだが、大林映画から映像文化史を捉え直す視点もおもしろい。















元気になるシカ!(2017年9月23日)



 初めて手にする「最強BLマガジン『花音』」(芳文社)。
 私にとっては「シカの自画像で、『元気になるシカ!』の著者」ですが、本業は言わずと知れたBLマンガ家・藤河るり先生の「シカフィギュア」が『花音』250号記念プレミアムグッズプレゼント企画に登場!
ブログ「治療日記 元気になるシカ!」(https://ameblo.jp/rurishika/)を日々、刻々と楽しみに愛読しているだけに待望のプレゼント企画なのですが、「2名にプレゼント」。

 2名!?

 当たる気がまったくしない・・・。
 フィギュアは目の大きさに少し戸惑いますが、何度も写真を眺めているうちに慣れてきました。

 LINEやってないのに、「シカLINEスタンプ」も買いましたとも。
 絶妙な汗の描写は蛭子能収とまさに双璧で、ほぼパントマイムなのにすばらしい表現力。
 とかってに思ってるのですが、ぜひ商品化、ぬいぐるみ化してほしいものです。

 で、雑誌ですが、全ページにわたって、男性占有率9割8分を超えてるんじゃないかと思うぐらい、シカや猫を数に入れてもそのぐらい女性がほぼまったく出てこないことにびっくり。
「スパダリ」という言葉を覚えました。
「スーパーダーリンの略。非の打ちどころのない攻」だそうです。
 基本用語なのでしょうが何ごとも勉強ですね。
 世界は驚異に満ちている。

 『花音』で連載されているエッセイはこれまでのところ電子書籍版『シカとして~腐女子BL漫画家の日常』が刊行されています。







上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。