借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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海外マンガ部会第10回大会(2017年7月25日)


 日本マンガ学会海外マンガ部会第10回大会おかげさまで無事終了いたしました。
 毎年1回程度大会を開催してきまして早いもので10周年を迎えました。
 2001年に日本マンガ学会が創設され、京都精華大学マンガ学部をはじめ、大学の制度内でマンガ研究(実作含む)を学術的に学ぶ場が確立されてきましたが、その中で「海外マンガ」の領域は未だ充分に回路が定着してきたとは言い難いように見えます。とりわけ大学院以降の研究者/専門家養成機関としての面では立ち遅れていると言ってよい現状があります。
 その一方で、アメリカン・コミックス、BD(バンド・デシネ)、アジアのコミックス、世界中のカートゥーンなどを翻訳・紹介・研究している専門家の方々はそれぞれが独立独歩でその道を切り拓いてこられたわけであり、はたしてポピュラー・カルチャーの領域の専門家を養成することはどこまで可能であるのかという問いもあります。
 研究者、翻訳家、出版コーディネーターなど多様な領域の「専門家」にお話を伺い、さらに文筆家、出版業界関係者、ファン。コレクター、院生、学生など様々な方々にお越しいただき、「キャリア/教育」の観点を軸に、海外マンガの現状とこれからについて検討しました。

 翻訳家としてBD(バンド・デシネ)作品を精力的に紹介されている原正人さんにご講演をお願いいたしました。「海外マンガを仕事にする――研究の外側から」という演題で、これまでの遍歴をおもしろおかしくお話くださり、学習塾での人気講師でいらしたというご経歴ならではなのか、話に惹きこまれてしまうわけですが、スキルとサバイバビリティの高さに感嘆するばかりです。
 日本のBD受容の裾野を大きく拡張してこられた立役者ですが、翻訳だけでも、口語表現が生命線であるコミックス翻訳から、理論書、契約書に至るまでその射程は幅広く、さらにBD研究会を経て、現在は「世界のマンガについてゆるーく考える会」(2016年より現在まで7回開催)を主催されるなど分野の発展に対しても意欲的な活動を展開されています。

 海外マンガの先駆者であり、部会代表の小野耕世さんによるトーク・セッションでは、当初、フロアの質問に答えるという予定であったのですが、結果的に最新のご関心についてお話をうかがうことに。最新映画『ドリーム』や『ワンダーウーマン』から、話はアメリカ現代史、文学にまで連関し、さながら往年の大学の名講義のような趣に。東京大学教養学部にて当時、新設された大衆文化論講義を担当されるなど、ポピュラー・カルチャーの大学教育においても先駆者でいらっしゃるのでした。

 ほか研究発表として、初期アメリカ・コミックス研究者の三浦知志さんに「マンガの中の手紙」として、「手紙」がどのようにコミックス表現の中で描かれていったのかを分析いただきました。
 また、社河内友里さんに「アメリカン・コミックスにおけるビート・ジェネレーション文化表象の変遷」について報告いただきました。お二方とも「海外マンガ」関連領域で博士号を取得されています。
 さらに、翻訳家・出版コーディネーターの椎名ゆかりさん、アメリカの大学(ニューヨーク市立大学)にて日本のマンガ文化をはじめとするコミックス研究・教育に従事されているShige (CJ) Suzukiさんを交えて「海外マンガを研究すること――キャリアと教育」にまつわる討論を行いました。

 海外マンガ部会の年次大会は次年度になってしまいますが、臨機応変に随時、研究会も開催できればと思います。
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医療のなかの「物語」(2017年6月30日)


 文化研究の学際的/国際研究学会、カルチュラル・スタディーズ学会の年次大会(Cultural Typhoon 2017、於・早稲田大学)が6月24・25日に終了。
 さながら「大人の文化祭」の趣で、個々の専門研究を外側に開く理念からも、海外からの参加者、ゲスト登壇者も多く交えた多彩なパネル・セッションのみならず、映画の上映会やパフォーマンスなどもプログラムに組み込まれ、にぎやかな祝祭的空間となっているのが最大の特色。今さら記念写真もなあと思って遠慮してたら、結構、あちこちでパネルの写真がアップされていて、ちゃんと写真撮ってもらえばよかった・・・(というわけで開始前の様子のみ)。

 昨年に引き続き、パネル・セッション「医療ナラティヴにおける『物語の共感力』と社会的機能――人文学研究の応用可能性」を企画しました。
 二部構成のうち第一部では「医療人文学研究序説」として、まず中垣が英語圏の「グラフィック・メディシン学会」の研究動向を参照しつつ、日本の医療マンガの多様性を素材に、「医療人文学(メディカル・ヒューマニティーズ)」の可能性について導入。
 各論として、小林翔さん(メディア研究/表象文化論)に、「医療ナラティヴとしての日本のポピュラー・カルチャー表象」にまつわる分析を報告いただきました。中でも焦点が当てられた、現在放映中の『仮面ライダー エグゼイド』は、実際の病院を舞台に展開される医療エンターテインメント物語の新機軸。
 さらに、落合隆志さん(医療系出版社SCICUS代表)に医療系出版の観点から、闘病体験記の物語構造分析や、実際にSCICUSにて刊行された書籍にまつわる逸話、現在の医療人文刊行物の動向についてなどをご披露いただきました。

 続く第二部は「トーク・セッション――医療人文学の応用の可能性」として、第一部の報告を踏まえ、大変贅沢なことに3人のディスカッサントにコメントをいただき、その後、フロアを交えた対話へと接続しました。
 「哲学」研究者であり、応用人文学の実践となる哲学カフェなどの豊富な経験をお持ちの上村崇さん、大学の医療系学部に所属し、医療系学会にて「医療倫理」研究・教育に携わられている大北全俊さん、複数の病棟勤務を経た後、現在は感染管理認定看護師として医療現場に従事されている徳屋しのぶさんから貴重な示唆をいただくことができました。
 事前に伺いたい/討論したいと思って用意していたトピックのほとんどを実際には扱いきれないまま残念ながら時間終了となってしまったのですが、ジェンダーの観点、メディア表現の特質などの論点をはじめ、医療を媒介に多分野が交錯するダイナミズムを存分に楽しむことができ、おかげさまで有意義な時間となりました。

 これは人文学ならではだなあとあらためて実感したのは、当たり前とされている通念を立ち止まって考えてみることで、より明確に問題が見えてくるということ。
 また、医療現場、医療教育の領域においてすでに「物語」があふれている一側面もあるという指摘はとても興味深いもので、さらに、感動を消費してしまうかのような物語の功罪も含めて、医療をめぐる物語のあり方について今後も吟味していきたいです。
 このプロジェクト(医療人文学/応用人文学/医療ナラティヴ研究)は今後も継続していく予定です。分野の領域をさらに拡張しつつ、医療を軸に様々な分野が交錯する対話の場を作っていきたいと願っておりますので、ご関心のある方、ぜひご一緒させてください。

2017年6月20日

 医療分野とコミックス研究とを繋ぐ「グラフィック・メディシン学会」(Comics and Medicine)は、2010年にロンドンでスタート以来、本年度で8回目。米国シアトル公立図書館で開催された年次大会(2017年6月15日~17日)にはじめて参会し、研究発表をしてきました。

「グラフィック・メディシン」は、医療人文学での教育経験を持つ英国在住のコミックス・アーティスト、イアン・ウィリアムズ氏によって提唱された概念であり、2007年にウェブサイトが開設されるところからスタートした(http://www.graphicmedicine.org/)。代表作となるグラフィック・ノベルとして『バッド・ドクター』(2014)がある。医療現場や医学教育の領域にコミックスを導入することによって、コミュニケーション、表現活動をも含めた新しい医療人文学のあり方を探る学際的/領域横断的なプロジェクトである。
ウィリアムズ氏の他には、大学院で医療人文学(生命倫理)を学び、現在も医学教育の現場で「コミックスを描く(“Drawing Medicine”)」セミナーを展開しているコミックス・アーティスト、MKサーウィック氏(「コミック・ナース」の別名もある)をはじめ、英国、米国、カナダ、オーストラリアの大学で医学教育に携わる研究者、医療や病にまつわるグラフィック・ノベルを製作するコミックス・アーティスト、医療系に特化したメディカル・イラストレーターなどがその中軸を担っている。2015年にはペンシルバニア州立大学出版局から『グラフィック・メディシン宣言』を刊行し、今日までウェブサイトおよび年次大会の発展を推進してきている。

英語圏が中心ではあるが、英国、米国、カナダ、オーストラリアでは医学教育/医療現場を取り巻く環境も大きく異なるようであり、実践的な意見・情報交換の場として学会が機能している。集う研究者の領域も、医学・看護学・公衆衛生学・文学・心理学・社会学・教育学・哲学・倫理学・芸術学・美術史・法学・ゾンビ研究など多岐に渡っていることから、医療分野に特化した高い専門性を持ちながら、同時に学際性を共存しうるユニークな学会として回を重ねるごとに拡張してきている。
今年の年次大会の基調講演は、コミックス/文学研究者であるヒラリー・シュート(ノースウェスタン)教授や、アフリカ系アメリカ人によるLGBTQ(性的マイノリティ表象)を打ち出したコミックス・アーティストの先駆的存在に位置づけられるルパート・キナード氏らがつとめた。このように、学術研究を基本としながらも、実作者による講演を交えているのもコミックスの専門学会ならではのことであり、学会の提唱者であるイアン・ウィリアムズ氏も、現在、進行中であるグラフィック・ノベル作品『レディ・ドクター』の構想を披露している。ほかにも、「グラフィック・メディシン」に位置づけられる医療コミックスの「マーケット・プレイス」や原画オークションが開催され、アーティストと対話できる場が多く設けられているのも特色となっている。
さらに、研究発表という形ではなく、フロアを交えた対話参加型セッションも多く、「子どもに対する医療教育のツールとしてのコミックスの役割」や、コミックス・アーティストを交えたトーク・セッションなども盛り込まれている。
コミックス・アーティストを招聘してのワークショップ「医療コミックスを描く」も展開されており(私は画才がまったくないので参加できなかったが)、参加者が医療にまつわる自身の体験をもとにしたコミックス(マンガ)をその場で1頁描き、それぞれが話をしあう試みもある。この場合の医療にまつわる体験とは、患者であれ、医療従事者であれ、どのような立場でもよく、参加者から様子を聞いてみたところでは、それぞれの視点からの物語がヴィジュアル表現と組み合わされることでより一層興味深いものとなることを実感できるという。しかもコミックス・アーティストの論評/助言ももらえる貴重な機会となるもので、毎回このワークショップを楽しみにしている学会参加者も多いとのこと。
同時間帯に4部屋でセッションが行われているために、私自身が参加できたのはごく一部でしかないのだが、傾向としては、精神的な問題/病をどのようにヴィジュアル表現を通して扱うことができるかをめぐる関心の高さが目立った。コミックスを描くことによるセラピー効果を探る「アート・セラピー」という概念、「戦争帰還兵のトラウマをコミックスでどのように表現することができるか」に特化したセッションなどもある。

個人的な収穫としては、やまだようこ先生(京都大学名誉教授/立命館大学教授)とお話させていただく機会を得られたこと。他分野の研究者との新たな出会いは海外学会での醍醐味の一つである。国内の学際的な学会に参加したとしてもたいていセッションは細分化されているために分野の異なる方と知り合う機会は実は意外に少ない。
やまだようこ先生は、新曜社から『喪失の語り――生成のライフストーリー』などをはじめとする『やまだようこ著作集』(全12巻、2007~ )を刊行中であり、ヴィジュアル・ナラティヴ/ナラティヴ心理学など新しい領域の拡張に先進的な研究者。なんとこの学会の第1回大会(と第7回大会)にも参加されていらっしゃるとのことで、いろいろとお話を伺わせていただくことができ、有意義な時間を過ごさせていただいた。
 私自身の研究発表は、闘病コミック・エッセイ『元気になるシカ――アラフォーひとり暮らし告知されました』(藤河るり、2016)を軸に、日本の医療マンガの多様性を示し、その技法と社会的機能について展望を示すもの。現在のところ、グラフィック・メディシン学会は英語圏中心となっているが(ウェブサイトでは『ブラックジャック』、『医龍』、『最上の命医』などいくつかの日本の医療マンガも紹介されている)、表現技法の発達と多様性からも日本の医療マンガの進展は目覚ましく、比較考察することでこの領域をさらに推進していくことができるものと見込まれる。

 来年の年次大会は、再び米国での開催で(2年連続米国での開催ははじめて)、ヴァーモント州のカートゥーン・スタディーズ・センター(The Center for Cartoon Studies)にて2018年8月16~18日の予定。













東京コミコン(2016年12月5日)


 日本ではじめての開催となった「東京コミコン」(2016年12月2日~4日、於・幕張メッセ)が盛況のうちに閉幕。「コミコン(Comic-Con)」はアメリカのサンディエゴで1970年にスタートし、現在も7月に開催されている「コミコン・インターナショナル」がもっとも有名かつ大規模で、コミックス、映画、ゲームを中心としたポップカルチャーのイベント。
 映画で使用されたアイテムや衣装の展示、ハリウッドスターやコミックス・アーティストとの写真撮影やサイン会、新作映画・コミックス・アニメ・ゲームなどの紹介、VR(ヴァーチャル・リアリティ)、「ドローン」などの体験型展示、アーティストと直接対話ができる販売ブース「アーティスト・アレイ」、マニア向けレアグッズの販売、さらにメインステージではトークイベントやコスプレ・ショー、ライブ・パフォーマンスなど多彩なプログラムが用意されている。ファンである参加者とゲストとしてのアーティストや映画スターなどの距離が近いのが「コミコン」最大の特色で、基本的な枠組みやファン第一主義の精神は「東京コミコン」においても継承されており、参加者がそれぞれのやり方でイベントを満喫できるのが醍醐味。キャラクターになりきったコスプレ参加者が会場を闊歩している姿も壮観。

 東京でのはじめての開催ということで、アメリカン・コミックス文化を主軸としていることからも、アメリカの「コミコン」の気風をはたしてどこまで日本に導入できるのだろうかと予測がつかないところもあったのだが、バッグやファッションなどアメコミグッズを身に着けた女性の姿も目立ち、ここ数年のアメコミ映画の隆盛が日本でも実を結んでいることを実感する。アメリカの「コミコン」と比べると規模は小さいが、「東京コミコン」の提唱者の一人であり、マーベル・コミックのアイコン的存在である伝説の原作者、スタン・リー(93歳!)もゲスト参加し、オープニング・セレモニー、撮影会、サイン会に登場していることで記念すべき第一回「東京コミコン」に華を添えた。ほか、『アヴェンジャーズ』の「ホークアイ」役を演じたジェレミー・レナー、『ハリー・ポッター』のネビル役、マシュー・ルイスなどがゲスト参加。
 日本のポップカルチャーとの融合という観点からは、映画関連の展示として、『アイ・アム・ア・ヒーロー』、『寄生獣』、『シン・ゴジラ』、『デスノート』、あるいは『おそ松さん』なども。SNS時代のファン・カルチャーのあり方に対応し、写真撮影のポイントが様々に用意されており、撮影会・サイン会ブースなどの一部を除いて写真撮影がどこでも可能であるのも嬉しい。また、外国からの参加者向けに日本文化紹介にも力を入れており、地方文化紹介ブース(香川・出雲・松山など)や地域色豊かなフードエリアなども日本のコミコンならではの特色を示している。
 近年、「コミコン・インターナショナル」において商業主義の傾向が過度に強まっていることに対する懸念の声もあるのだが、映画、ゲームの領域ではとりわけ新作の宣伝の場として機能している面は確かに見られる。「東京コミコン」でも12月下旬公開の『バイオハザード・ファイナル』が一際目を引いた。もともとは日本のカプコンによるゲームからもたらされていることからも「凱旋」とも言えるもので、グローバル/マルチメディア時代の文化交流の産物でもある。『バイオ・ハザード』シリーズに加え、続編『ブレード・ランナー2049』の公開が2017年秋に予定されている『ブレード・ランナー』(1982)、新作『ローグ・ワン』公開直前の『スター・ウォーズ』シリーズなど、シリーズの特性を活かしたアーカイブ展示は特に熱心なファンの注目が高い。
 かくいう私は「男の子カルチャー」の王道であるアメコミやアクション、バトル、対戦型ゲームなどがからっきし苦手で、「キャラ」に対する嗜好にも乏しく、特定のキャラに対する思い入れもあまりない。要は『コミコン』の王道からはまるっきり逸れてしまっているわけだが、展示場をぶらぶらと眺めるだけでも多様なファン・カルチャーのダイナミズムを実感できるし、新しい世界や最新の動向、ディープなマニア道などを概観できるのも楽しい。
 映画ゾーンではハリウッド映画の誕生から現在までを写真パネルで展望できる展示があり、ポップカルチャー文化史に対する意識を持つ良い機会になればと思う。ポップカルチャーは(あらゆる文化に言えることであるが)過去の作品からの継承によって成り立つ面が強く、実際に過去の作品からの引用がオマージュからパロディまで様々になされることが多い。同様に、アメリカのコミックスの歴史についても写真パネル展示が今後あれば有意義であろう。スーパー・ヒーローものだけではなく、『フェリックス・ザ・キャット』(1919)、『ポパイ』(1919)など古典コミックスのキャラクターもグッズなどを通して日本でも親しまれているが、歴史として捉える機会に乏しいのが実情ではないか。歴史の意識を持つことでポップカルチャーはさらに奥深く、楽しいものとなるはずだ。

 クロージング・セレモニーでは来年以降も「東京コミコン」を継続できるようにという願いを込めることで締めくくられており、次年度開催の正式発表はまだなされていないが、参加者の満足度も高いように見受けられた。日本のポップカルチャーとの連動についてはさらなる発展の可能性の余地も様々に考えられる。アメコミ文化も、映画やユニバーサル・スタジオなどのテーマパークなどを通じて日本でもかつてないほど多くの層で幅広く浸透してきている。「東京コミコン」が定例イベント化することで、アーティストの文化交流も含めた新しい潮流を期待したい。







ゆるーく、しなやかなる越境(2016年8月26日)

 夏の遠征として各種会合・イベントに参加してきました。
 まず広島・尾道での哲学カフェ(於・antenna Coffee House、8月21日)。夏の盛りの日曜日、坂の多い路地をぐるぐるまわりながら到着するのも街歩きとして楽しい(単に迷っていただけとも言う)。海の町・山の町・坂の町・路地の町としての尾道は少し角度が変わるだけで見える光景がまったく変わってくるのがおもしろい。「行動する哲学者」(と勝手に呼ばせていただいている)上村崇さんにご紹介していただいて、私にとって初めての「哲学カフェ」参加となりました。哲学カフェの起源は1992年のフランスに遡ることができるらしく、日本でも2001年ぐらいから大阪をはじめ様々な形で発展を遂げて定着してきているようだ。
 「哲学カフェ尾道」は今回が第2回でテーマは「私たちは、なぜ争うのか?」。終戦記念日とオリンピックの時期にあわせて、必ずしも戦争についてだけではなく、ゲームやスポーツ競技なども含めて争いや競争心、闘争本能などを広く、かつ根源的に捉えようとする試み。とはいえ、話し方や進め方に決まったルールや法則があるわけでもなく、なんらかの結論をつける必要もなく、2時間の流れを「進行役」がゆるやかに制御しながら対話を続けていく。原則12人が定員とのことで、当日の顔ぶれによっても、あるいは同じ顔触れで同じテーマであっても、その日の流れによってまったく異なる展開になるのではないかと思わせるライブ感覚も魅力。
 進行役の松川絵里さんは哲学者として研究・教育に関与しながら、「哲学ワークショップ」などの活動を支援する団体「カフェフィロ」の代表者の一人として、哲学の領域を多くの人々に幅広く開いていく実践活動を展開されている。松川さんも含めて、この回の参加者の多くは尾道以外(岡山の倉敷など)から集まっているようで参加者の背景も多様。参加してみて特に新鮮だったのは「自己紹介をしない」こと。回を追うごとに顔なじみになっていくのは自然の流れとしても、お互いの背景にとらわれずフラットに意見を交わすことがある種の理想としてあるわけで、とはいえそういった局面は実はめったにない。
 また、「結論を出す必要がなく、時間がきたら終わる」というのもおもしろい試みで、暫定的なものであったとしても何らかの結論を出すとしたらどうしても戦略的に話を進めていく意識が生じてしまい、議論のための議論になってしまいがちである。今回の「私たちは、なぜ争うのか?」というテーマはあまりにも大きなもので、さらにスポーツ競技やゲームに戦争など位相が異なる話題が混在してしまうために議論としては雑駁で未消化になってしまう面もあるのだが、だからこそよいようにも思う。ありきたりの結論で満足してしまうよりも、未消化になってしまった点については各自が持ち帰ってさらに考えを深めていく下地とすることができる。
 人は年齢や経験を重ねていく上で哲学を求めていくものであり、その一方で大学はますます20歳前後の層だけの教育機関という傾向が強くなっており(私の世代はまだ社会人入試や夜間学部による多様性があった)、高校卒業後すぐに哲学という学問分野を求める層はどうしても限られたものにならざるをえない。誰でも参加可能でそれぞれが求める要素も多様であるために運営は大変にちがいないが、様々な分野でそれぞれ生きている人たちに届く言葉で、人文系の可能性と有効性を示すとてもおもしろく意義深い取り組みが哲学カフェでは実践されていると思う。
 ところ変わって「世界のマンガについてゆるーく考える会」第一回会合が四谷にて開催(8月24日)。フランスのコミックス文化BD(バンド・デシネ)研究・翻訳者として日本のBD受容のみならず現在の海外マンガ受容を牽引してこられている原正人さんの呼びかけで30名ほどが集い、会議室が満員電車のようにぎっしり。翻訳者、研究者、コレクター、編集者、出版者、愛好家、アーティストなど多彩な人たちが集い、アメリカ、フランス、ロシア、香港、韓国、フィンランドなど言語、文化、ジャンルなど関心領域も多様。自己紹介だけでも1時間を超えたのだが、それだけでも充分おもしろく、加えて各自が持ち寄った世界のマンガ(原典、翻訳書)や紹介研究本などの閲覧と談話を楽しむことができました。
 ここ数年、海外マンガの翻訳出版はかつてないほど活況を呈しており、しかしながら海外マンガと一口に言っても多様でありすぎて、出版流通もまたさらに多岐にわたっているために概観しにくい状況にある。海外マンガ翻訳の祭典「ガイマン賞」や「海外マンガフェスタ」(2016年度は10月23日に東京ビッグフェスタにて開催予定)などもすでに5年ほど実績を重ね、盛り上がってきている。
 ファン・カルチャーの領域はどうしてもその道に入門する覚悟が求められるところがあり、「こんなことも知らないのか!」という厳しい修業時代を経てこそ見えてくる地平はあるのだろうが、「ゆるーく」間口を横断的に広げることで見えてくる面もまた確実にあるわけでそれぞれがそれぞれの知見や情報を持ち寄って対話ができる場所がこのようにしてできるのは本当にありがたい。究極的にはその言語をまったく解さずともその場で実際に作品に触れ、楽しむことができるのはマンガという視覚文化ならでは。「世界のマンガについてゆるーく考える会」は今後、月例会の勢いで継続される予定であるらしく今後の展開に期待。
 
 さらにもう一件。関西芸術座による演劇『ハツカネズミと人間』(8月18日~21日、於・シアトリカル應典院[大阪]、全7公演)は、アメリカの作家ジョン・スタインベックの小説・戯曲(1937)を原作にしたもので、日本でも特に人気がある舞台作品。翻訳・演出の亀井賢二氏によれば、40年ほど前から舞台化の構想を育んでいたらしく、舞台装置や台詞の端々に至るまで作品に対する情熱が伝わる丁寧な仕上がりになっている。「関西俳優協議会主催新人研修事業参加作品」ということで入団してから数年のキャストにより成立している作品らしいが、古典文学作品に真正面から本格的に取り組んでいる姿勢が清々しい。
 私が観劇したのは夜の部で終演は21時半近くという遅い時間であったにもかかわらず、観客層は多様で年配の方も多く、このような形で文学や演劇が街の光景に溶け込んでいるのはいいなと嬉しく思う。日程が合わず参加できないのが残念だが、8月27日(土)には稽古場にて「DO会」と銘打たれた親睦会が予定されており、出演者と観客による公演を踏まえた対話の場が設けられている。

 偶然重なったというのが正直なところなのだが(もともとは毎年恒例の名古屋・中京大学での読書会を起点に、途中で大阪に立ち寄り、その後、広島への墓参りを兼ねた帰省という旅程)、わずか一週間ほどの間に文学・演劇・哲学・マンガ・アニメなどのそれぞれの分野で、その境界を幅広く拡げようとする試みの実践に立ち会うことができたのはおもしろい経験だった。現在は人文系の危機ということを意識せざるをえない状況にあるが、こうした実践例を通してみるとまだまだできることは様々にあるのではないかという思いをあらためて実感する。










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