借りてきた猫のように

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カテゴリー "ドキュメンタリー" の記事

2015年5月17日

 書籍版『ラストデイズ忌野清志郎――太田光と巡るCOVERSの日々』(PARCO出版)では太田光と制作スタッフによる「取材を終えて」が各章毎に付されており、「太田光と巡る」ドキュメンタリー作品の制作過程が、やがて「忌野清志郎の足跡を辿る」旅に変換されることにより、結局、このプロジェクトが太田光にとってどのような変容をもたらしうるものであるかが新たな読みどころとなっている。
 『COVERS』の時期は清志郎にとって養父母の死別、実母の遺品との対面、第一子の誕生など、家族をめぐる状況が大きく変化した時期であり、「表現の有効性/表現の覚悟」を表のテーマとすると、「家族の問題(家族との対峙)」は裏のテーマとして大きな意味を持つ。太田光による最終章において、清志郎の実母に関する戦争体験を反芻する過程を経て、太田自身の亡くなった父親の戦争体験の話題から、自身の父との関係に触れていくところが書籍版の白眉となっているように思う。

「光くんは――俺のこと、光くんって言うんだけど――光くんはさ、俺のこと恨んでるだろう、って一回言われたことがあるんだよね、病院で。
え、なんで?って。
いやあ、何もしてやれなかったからさ、おまえには。
いや、そんなことないよ。
そうか。おまえは俺のこと嫌いなのかと思ってた」(239頁)

 思春期以降、対話がなくなってしまった父と息子による、父親が病床にある中での対話の一コマであり、「忌野清志郎の足跡を辿る旅」の帰結として太田光自身による家族をめぐる個人的な逸話を引き出せたのがこのドキュメンタリー作品の最大の収穫の一つだと思う。

 私自身も父親とはいつからかほとんどまともに話をしたことがなく、かといって特に反抗期があったわけでもなく、なんとなくお互いを避けるようになって今に至り、ここ数年父親には会ってない。結婚したことも事後報告というか、友人に証人になってもらって勝手に婚姻届を出したので、よく考えたら未だに直接、「報告」はしてないな。5年前に父親が癌の摘出手術をした後に、これが最後と思ったのか、入院中の病院に配偶者をはじめて連れて行って、でも特に感動的な対面という形にもならず、そういえば点滴をしながら一階の出口まで見送りに来てくれたっけ。そういう不器用なところがずっと嫌ではあったのだが、その時だけは好ましく思えたような気もする。
 そんな個人的な背景もあり、太田光による亡き父にまつわる回想はとても胸に響くものだった。どこかで父親とも対峙しないといけないということか、と。
 がしかし、じゃあ父親が健在のうちに近いうちに会いに行こうと思えるかというとそれはまた別の話というか、業は深いものですね。恨んだり、嫌ったりしているわけではもちろんないんだけどそのように思われているかもしれず、なんとなくこういう関係性にしかなれなかったというか。父と息子の関係なんてどこもこんな感じかもしれないけど。

 そんな個人的な感慨はともかくも、ドキュメンタリーの帰結として思いもしていなかった方向で着地したのがとても新鮮だった。ドキュメンタリー作品としての「意外な」収穫の一つ。



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2015年5月16日

 NHK「ラストデイズ」取材班による書籍『ラストデイズ忌野清志郎――太田光と巡るCOVERSの日々』(PARCO出版)、まさかの傑作ドキュメンタリー作品に変貌していてびっくり。昨年5月2日に放映された同名のTV放送(60分)を書籍化したもので、てっきりDVD化されたものと思ってとりあえず注文していたつもりが届いたら「あれ?本なの?」というぐらい把握していないものだったのですが、TV放送をもとにしているにもかかわらず、放映時の写真などもなく、爆笑問題の太田光をインタビュアーに据え、関係者の証言をそのまま収録し、じっくり読ませる構成に。
 私は今でも唯一聴いているラジオ番組が「爆笑問題カーボーイ」なので(田中裕二の明るいお喋りが好き)太田光が案内人となることにそれほどの違和感はなかったのですが、対象となる忌野清志郎と2回だけしか会ったことがないという微妙な距離感もうまく作用している。
 本放送も視聴したものの、ハイライトとなる盟友・仲井戸麗市と太田光の(初対面となる)対談も含めて60分の放送時間では消化不良の感が残ったのですが、まさかこうして書籍の形で帰結するとは。仲井戸麗市との対談は50頁近くにおよび、丁寧に慎重に言葉を選びながら訥々と話をするというもので、これは一部だけを編集して採用することも難しく、なるほど結果的に書籍の形としてまとめられたことも納得できるものでした。
 忌野清志郎の活動の大きな転換点となったRCサクセション『COVERS』(1988)前後の活動を辿っていく構成で、泉谷しげるや当時のレコード会社の宣伝担当者など蜜月とその後の訣別を経験することになる関係者の人選も絶妙で、でも人と人とが深く交わるということは(しかも表現の現場で)いろいろ起こりうるのも当たり前だし、そしていろいろあってもその時の思い出をそれぞれがとても大事にしていることがインタビューから深く伝わってきます。
 インタビュアーとしての太田光は、所属レコード会社から発売ができなくなり、話題となった『COVERS』における表現の有効性をめぐり、考えをめぐらせていく。『COVERS』における直接的な表現ははたしてどこまで有効であったのか、と。
ファンはいつでも身勝手なもので、今となれば様々な背景資料から、RCサクセションが当時、彼らの原点となる洋楽を「替え歌」を通して共に楽しく演奏することで原点回帰をはたそうとしていた必要な過程であったことがわかります。しかし、私にとっても、ソロアルバム『RAZOR SHARP』(1987)、RCのアルバム『MARVY』(1988)と続く好調な流れの中で、RC/忌野清志郎の真骨頂はオリジナルの作品世界にこそあると信じていたこともあり、なぜカヴァー・アルバムが必要であったのかは当時の私にはうまくつかめないものでした。
 太田光にとって『COVERS』における直接的な表現は「不器用」なものであったという位置づけは最後まで変わらないながらも、インタビューを軸にした探求を通じて、表現者としての姿勢に感化されていく過程が立ち現れてくるところに、この作品のドキュメンタリー作品としての醍醐味があると思います。
 「表現を研ぎ澄ませて行くんだったら、敏感なままで」いるべきであって、たとえそれが「苦しい」ものであったとしても。

2015年4月25日(その2)

水曜深夜(テレビ朝日系列)の『なぜ?そこ?』がおもしろい。女性スタッフ・キャストによる番組作りを標榜していることもあり、働く女性たちに「なぜ?その仕事をしているの?」をリサーチしていく番組。2012年のTVドラマ『13歳のハローワーク』を見返していたところだったこともあり、様々な「仕事/キャリア」を通して時代や社会、人物像が見えてくるおもしろさがありますね。世の中には様々な仕事があり、必ずしも就職活動などを通して門戸が開かれているものばかりではないわけですが、「こんな世界もあるのか」、という発見にも満ちています。4月22日放映分でとりあげられていた女性鷹匠の方などプロフェッショナルの世界に生きる女性は確かに魅力的ですね。
 私自身は学生時代もレギュラーでアルバイトをしたことは皆無ですし、キャリアの世界などまったく知らないできてしまいましたが、本当にいろいろな世界があり、いろいろな人生があるものですね。ふと周りを見渡しても、同世代はやたらめったら忙しいようで、仕事だけが人生のすべてではないものの良い仕事をしている人はやはり輝いて見えますね。
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