借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

2015年10月の記事

2015年10月28日

 第52回日本英学史学会全国大会が拓殖大学にて開催。主に明治期に英語圏文化がどのように移入されてきたかをめぐる歴史研究が中心となるのだが、近年では英語教育史や仏学史(フランス文化流入史)研究の学会との連携も盛んに行われている。私自身は翻訳を通して西洋文学および思想がどのように移入され、どのように日本の文学・文化に影響を及ぼしたのかをめぐる文化交流の過程に関心があるのだが、英学以前には蘭学(オランダ経由の文化流入)もあったわけで、さらに当時の西洋文化もまたフランス語/ドイツ語圏文化などが様々に交錯して流通していたことからも、翻訳の過程を通して当時の多岐にわたる文化流入のダイナミズムを一望できるところにこの分野の魅力がある。
 さらに原作の物語を自由に脚色する「翻案」小説も、まだ西洋文化になじみのない日本の読者向けの大衆小説の形成期において当時、有効に機能していたこともあり、比較文学研究の魅力的な素材となりうる。大衆文化の黎明期としてどのような物語がどのような雑誌・新聞などを初出媒体として成立していたのかも興味深い論点。正直なところ、海外と比してもデジタル・アーカイヴ化が進んでいるとは言い難い状況にあるのだが、少なくとも翻訳文学にまつわる二次資料はこの20年ほどで飛躍的に進展してきており、英学史研究の成果をもとにした比較文学研究が今後、拡張していくことが期待される。
 専門性の高い研究学会として、発表の中である人物や事柄に言及すれば、「その人物でしたらさらにこういう側面があって・・・」と数珠つなぎにいろいろな繋がりを示唆してもらえるのもおもしろい。歴史研究が基本となるので、それぞれの個々の発表は専門性が高く細分化して多岐にわたっているのだが、ふだん気にとめていない領域であっても、「近代日本の文化生成と異文化流入」の観点から何らかの接点がおぼろげに、あるいは突然明確に見えてくる瞬間が多くある。中でも研究発表「プロテスタント医療伝道の受容と終焉」(高畑美代子氏)が興味深いものであった。西洋医療もまたキリスト教伝来と共に医療宣教師により流入されてきた背景があり1870年代に最盛期を迎えるのだが、布教と西洋医療の流入を分断させたいという明治政府の狙いによりドイツ医学の導入が推進された背景。また、「病院」の語の初出は1868年戊辰戦争時とされてきたが、1862年にロシア(ヲロシア)起源の函館の医療機関がすでに病院を名乗っていることを資料(絵図)により確認できること。さらに、「宣教医」であるプロテスタント医師たちや、教団派遣ではなく独自に「クリスチャン・ドクター」として布教に励んだ存在がどのようなものであったのか・・・など私の誤認もあるかもしれないが、これまでに文化流入をめぐる比較文化の観点からは考えたことがなかったトピックであったので新鮮だった。

 私自身は「探偵小説の英学受容」として、近年の英学史研究のアーカイヴ資料をもとにした比較文学研究の可能性について、また、グローバルな文化交流の枠組みの中で英学史研究を展望する可能性について示唆する研究発表を行った。この領域では、川戸道昭・新井清司・榊原貴教編『明治期シャーロック・ホームズ翻訳集成(全3巻)』(アイアールディー企画、2001年)、川戸道昭・榊原貴教編『明治の翻訳ミステリー復刻版(全3巻)』(五月書房、2001年)をはじめアーカイヴ資料が充実しており、さらに近年では日本初の探偵小説受容とされるオランダのJ・B・クリストマイエル(1794-1872)「楊牙兒(よんげる)ノ奇獄」(神田孝平訳『花月新誌』[成島柳北主宰])の復刻および現代日本語訳の刊行などもある(西田耕三編『日本最初の翻訳ミステリー小説 吉野作造と神田孝平』耕風社、1997)。
 あるいは、高橋修『明治の翻訳ディスクール――坪内逍遙・森田思軒・若松賤子』(ひつじ書房、2015)では、今よりも翻訳の概念が緩やかだった時代にそれぞれの翻訳受容がどのような方針によってなされていったのかを分析する最新の研究成果。中でも「人称」の概念に対する注目が興味深い。「近代」および「小説」の生成をめぐり、人称に対する意識が先鋭化された背景は自己や他者との関係性をめぐる「近代」の根源的な問いにも繋がってくるように思う。分析の対象になっている坪内逍遥訳「贋貨つかひ」(1889/明治22)は女性で世界最初に長編ミステリーを発表したとされるアメリカのアンナ・グリーンによる作品。

 探偵小説の流入以前にももちろん大岡裁きに代表されるような江戸時代の「裁判小説」や「白浪物」とされる人情ものや「毒婦もの」の系譜などミステリー・ジャンル「前史」はあるわけで、結局は「探偵小説・推理小説・ミステリー」の系譜の接続と変容を見ることによって「前近代」と「近代」以降の断面と接続・変容が見えてくるであろうし、探偵小説の「緻密な筋立てと描写」が日本の小説の発展に及ぼした影響はことのほか大きいものであったことがわかる。
 ミステリーの領域はファン層が厚いこともあり、関心や注目も高く、通史的な概観や系譜を展望する試みは強く求められているだろう。日本文学研究者・堀啓子『日本ミステリー小説史――黒岩涙香から松本清張へ』(中公新書、2014)はその点でも前近代のミステリー前史を繋ぐ姿勢と、明治期の文学者によるミステリーへの影響について森鴎外などを素材に分析しているところに強みがあるのだが、個人研究の限界もあってか、レビューでは、「本当に挙げられている作品を読んでいるのか?」、「そもそも著者はミステリーを好きなのかどうか?」などという手厳しい反応も少なからずあるようだ。とはいえ、書き手個人のジャンル観や文学史観が最大の読みどころとなるわけで共同研究の成果としてよりもやはり単独の研究書で読んでみたい。副題に挙げられている黒岩涙香の翻案が西洋文化と前近代の日本の物語伝統を繋ぐ大きな役割をはたしえたことを系譜から捉え直すところはやはり興味深いものであるし、ミステリーのサブジャンル化の生成過程や、「家庭小説」や「捕物帖」などの様々な大衆小説のジャンルとの関係性などを幅広くとらえることができる視点は比較文学の醍醐味を示している。












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2015年10月21日



 ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズによる23年ぶり3枚目となるソロ・アルバム『クロスアイド・ハート』が9月18日にリリース。ファンや批評家からの反応はどれも好意的であり、御年71歳、50年を超えるキャリアをふり返る雑誌やムック本などの特集が相次いでいる。もちろんソロ以前にストーンズ自体の旧譜およびアウトテイク集も併せた過去の音源のアーカイヴ化が急速に進展を遂げており、ここ数年、過去のライヴ音源・映像も「公式ブートレグFrom the Vaultsシリーズ」としてボブ・クリアマウンテンによるデジタル・リマスター化プロジェクトが展開されていることから、ストーンズにまつわる研究も活況を呈している。アンディ・パピアックほか『ザ・ローリング・ストーンズ楽器大名鑑 Rolling Stones Gear』(DU Books、2015年)は出色の研究書で、ストーンズはセッションにより曲を作り上げていく傾向が強かったことからも、代表曲であっても未だに創作のプロセスは謎が多く、レコーディング時に使用されていた楽器を詳細に分析する本書は欠かせない基礎文献となる。写真もふんだんにあり、貴重な証言や逸話が多数収録されていて眺めるだけでも楽しい。曲はキース主導であることが多く、アルバム『ヴードゥー・ラウンジ』(1994)のアウトテイク集(ブートレグ)『ヴードゥー・シチュー』などではキースが全曲ヴォーカルをとっているデモテープも存在する。
  2015年前半のストーンズは北米ツアー(Zip Code Tour)を敢行し、アルバム『スティッキー・フィンガーズ』(1971)のデジタル・リマスター版(スペシャル・デラックス・エディション)の発表も併せてバンド自体が自らのルーツを辿り直しているところに近年の活動の特徴があり、近々リリースが噂されているストーンズとしてのオリジナル・ニューアルバムにどのように影響を及ぼすのかが最大の注目点とされている。

 私は個性的なヴォーカルに惹かれることもあってストーンズへの関心もミック・ジャガーによるところが大きいのだが、キースの最初のソロ・アルバム『トーク・イズ・チープ』(1988)に対しては当時購読していた学習雑誌に衝動的にレビューを書き送って掲載してもらったことがあり、居住地区での作文コンテストなどを除いてはじめて自分の文章が活字になった懐かしい想い出。とはいえ、桑田佳祐の音楽エッセイ集『ケースケランド』(集英社文庫、1986)の文体模写で茶化したものだったのであんなふざけたものをよく載せてもらえたなと今では思う。
 『トーク・イズ・チープ』の時期を含む85年から89年までは「第三次世界大戦」と称されるほどミックとキースの仲が険悪だった時期で、ローリング・ストーンズというバンドから離れてソロ活動に軸足を移しつつあったミックに対し、ストーンズの存続を最大の優先事項とするキースはメディアで公然と「殺してやる」に近い表現で挑発しあっていた。今から思えばこの時期のストーンズの空白期間はわずか2年半ほどにしかすぎないものであったのだが、本当に二度とバンドの再活動はないのではと思えるほどの緊迫感があった。
 だからこそ1989年の再活動の際に、先行シングル「ミックスト・エモーションズ」のレコーディング風景でキースがミックに歌唱指導をしている場面や「おまえは一人じゃない(You are not the only one)」などというベタな歌詞も感動を誘うわけである。「50年も一緒にやってればもちろんケンカだってする。俺たちは兄弟だしね」と語るキースはひとりっ子なわけであるが、ストーンズの作詞・作曲はビートルズと同様に基本的にすべての曲がジャガー/リチャーズの共同名義であり、別名グリマー・ツインズ(双子)を名乗っている。ある程度、年齢を重ねて落ち着いたかというとまったくさにあらずで、キースの自伝『ライフ』(2009)刊行の際にはその記述内容にミックが激怒してるし、2003年の大阪ドームでの公演の際にもキースの準備ができていないまま曲の演奏が開始されてしまったことにキースが激怒。最後まで不機嫌さを隠そうともしない態度に大丈夫か、と観客を動揺させた。

 ニューアルバム『クロスアイド・ハート』の発表と併せて、ドキュメンタリー映画『キース・リチャーズ――アンダー・ジ・インフルエンス』がオンライン上の映像配信サービスNetflixにより先行公開されている。多様な音楽遍歴を反映した『クロスアイド・ハート』を補完する解説としても実質、機能している。『バックコーラスの歌姫たち』(2013)で知られるモーガン・ネヴィル監督だけあって映画単体として観ても完成度が高い。
 親交の篤いミュージシャンであるトム・ウェイツによるキース・リチャーズ評なども織り交ぜながら、イギリスに生まれ育ったキースがエルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、マディ・ウォーターズ 、ハウリン・ウルフなどのアメリカの音楽からハリウッド映画に至るまで50年代アメリカ文化にいかにして魅了されていったのか、さらにキースの音楽観をじっくり聴けるのも見どころの一つ。ジャズやブルースに対するアメリカの音楽文化への憧憬を出発点としてきたキースであるが、ドキュメンタリー映画においては、ケルト音楽のメロディ、アイルランド、ウェールズ、スコットランドなどの音楽との類似点に注目した発言をしているところも興味深い。もともとブルースのコピーバンドから出発していることからも、麻薬依存症で無頼派のイメージとは裏腹に音楽ジャンルに対する学究的な姿勢が強くあり、ニューアルバムでもギターやベースのみならず、ピアノを含め、自ら複数の楽器演奏に携わっている。「絵具で描く感覚で(ピアノを)弾いてるんだ」という独特の表現が表すように、言葉の裏の裏を読まなければいけないミック・ジャガーの言葉遣いとは対照的に、ガハハハという誘い笑いを交えて訥々と自分の言葉で喋るキースの語り口の魅力はドキュメンタリー映画においてもよく表れている。
 ローリング・ストーンズ自体が文化アイコンの最たる存在であるわけだが、1964年にはじめてアメリカでツアーを行った際の回想からは、公民権運動以前の人種分離政策時代のアメリカの文化状況の実際の様子が、アメリカを外側から見るイギリス人の視点により浮かび上がってくる。ニューアルバムとドキュメンタリー映画を通して何よりも伝わってくるのは、音楽の探求者としてのキース・リチャーズの側面であり、流行にとらわれず自分の好きな音楽を好きなように好きなペースで楽しんでいる姿である。

 雑誌『CROSSBEAT』の「キース・リチャーズ特集号」は歴史ある雑誌の特性を活かして、キースの昔のインタビュー記事や、かつてアメリカの情報が遠かった時代に電話インタビューなどによる記事の再録により、キースがのめり込みはじめていた当時最先端の音楽ジャンルであったレゲエの紹介がどのようになされていたかなど同時代の反応を探る上で貴重な資料集にもなっている。個人的に感銘を受けたのは、キースが刊行した絵本『ガス・アンド・ミー――ガスじいさんとはじめてのギターの物語』(奥田民生訳)の翻訳出版の経緯についてまとめられた記事「祖父との交流を描いた絵本日本語発売に至るまでの紆余曲折」(佐藤睦・文)。児童書を得意とするポプラ社から翻訳刊行がなされたわけだが、一人の若い編集者の熱意により素敵な本に仕上がるまでの過程がとても魅力的な物語として紹介されている。

 ドキュメンタリー映画と併せてニューアルバムを聴くとより味わい深く、また、絵本なども併せて読むとキース・リチャーズが不思議と人に好かれるその魅力が見えてくるように思う。十代の頃に出会った音楽についての想いをつい昨日のことにように生き生きと語ることができる少年のような側面と、現在の老成した円熟の境地とが矛盾なくあわさって、音楽を愛し、音楽に愛された幸せなミュージシャンの姿がそこにはある。「少年のような」なんて陳腐で使い古された表現がこれほどしっくりくる人も珍しいのではないかと思うぐらい気持ちが表情にそのまま出るのも相変わらずで、最近は好々爺を飛び越えてなぜかおばあさんを思わせる風貌になってしまっているが、それも含めて味わい深い。
















2015年10月15日


「短い歌なのにいつまでも終わらない 私はいつまでもかけらを捜してる」
――薬師丸ひろ子「未完成」(1987)

「薬師丸ひろ子コンサート2015」が大阪オリックス劇場および東京Bunkamuraオーチャードホールにて開催。2年前のデビュー35周年記念コンサートは23年ぶりのコンサートとなったこともあって特別感に満ちていたが、今回は特別なコンサート名も付されておらず、グッズもプログラム(パンフレット)の販売もなく、会場に看板となるようなパネルなどもなく、来場者が戸惑うほどそっけない感じ。それだけ歌手としての活動がもはや特別なものではなく軌道に乗ってきたことを示すものではあり、余計な装飾によるものではなく、歌のみで勝負したいという気持ちの表れでもあるのだろう。個人事務所であることもあり、適正規模で自分が納得できる仕事を大切に継続していこうとする姿勢も彼女らしい。最近の女優・歌手活動の好調ぶりもあってか、チケットは2年前よりもはるかに取りにくくなっているのかもしれない。2013年の際はセンターで最前列近くという良席だったのだが、今回は2階席でそれはそれで会場の全体を展望することができて堪能できた。
 心なしか表現力が増しているように感じたのだが、本人も自覚があるようで「最近、犬の散歩をしてるので2年前よりも体力がついた」とのこと。活字に起こしたら何のおもしろみもないようなお喋りが表しているように、終始リラックスした雰囲気で展開されるのも心地よい。昔、日曜にパーソナリティをつとめていたラジオ番組を思い起こしていたのだが(アルバム『夢十夜』[1985]所収の「スマッシュ・ボーイの微笑み」がコーナーの切り替えに使用されていた記憶があるので85年頃?)、印象が変わらないのがすごいというか何というか。「薬師丸ひろ子 あなたに・愛・わいわい!」(ニッポン放送)ってこんなタイトルだっけ? 覚えてないなあ。中学に入って部活の練習が入るまでずっと聴いてたはずなんだけど。
 チケットの値段も8940(やくしまる)円で、アイドル時代の野球チームでも背番号は8940だったのだが、まだやってるのか(笑)というこの不思議な時間の浮遊感も素晴らしく、通常は子どもの頃にファンだったアイドルのコンサートを私のこの年齢で観に行けるなんて夢のような話であるわけで、51歳ですか。いやはや。年齢も時間も超越した感じでなんだかすごい世界だなあ。コンサートでは往年の角川映画時代の主題歌を中心に20歳前後で歌っていた曲が中心になるけれども、楽曲提供者がよってたかって早く大人にさせようとするかのような内容の歌詞が多かった。「メイン・テーマ」(1984)の有名なフレーズ「20年も生きてきたのにね」という歌詞を何の衒いもなく今でも歌えるのも清々しい。単に懐メロとしてではなく、今の年齢の彼女だからこそ表現できる曲として提示できているところに歌手としての成熟を見ることができると思う。

 大阪の方がMCも演奏曲数も若干多かったかな。「セーラー服と機関銃」をアレンジ違いで2回やったし。ステージ映えする曲というのは確かにあって「語りつぐ愛に」(1989)、「僕の宝物」(2011)、中島みゆきのカバー曲「時代」(薬師丸版は1988)などは圧巻。カバー曲も文部省唱歌「仰げば尊し」、尋常小学唱歌「故郷」(「兎追ひし彼の山」)だったりするので、ある意味ぶっとんだ独自の世界観というか・・・。
 今回のコンサートの白眉となったのは、30年近くぶりに披露された中島みゆきによる提供曲「未完成」(アルバム『星紀行』[1987]所収)。私は当時、直接、観に行けてはいないものの唯一発表されているライブアルバム『87薬師丸ひろ子ファーストライヴ星紀行』(1987)を通してこの曲を何度も聴いていたこともあり、とりわけ感慨深かった。大阪のオリックス劇場での公演終了後、iPodに入っているこのライブ盤を聴きながら帰路についたのだが、若い時のか細く未消化な感じもそれこそ「未完成」であるところに魅力があり、一方、今は今で声は低くなったけれども落ち着いた雰囲気で声量と表現力に奥行きがあり、どちらも味わい深い。
それにしても本当に便利な時代になったものだ。私のように「No Music No Life」などからはるかに隔たった者でさえも、数年来iPodを使っていればアルバムが400枚分ぐらいは累積されていくわけで気軽にその時の気分で懐かしいと思う曲を瞬時に取り出すことができる。1987年当時はまだKenwoodのポータブルカセットプレーヤーを使っていたはずで、かさばるし、重いし、面倒な上に今から思えば音質も悪く、とてもではないがあの頃には戻れない。

 コンサート会場ではグッズの販売もないので、10月7日にリリースされたばかりのDVD/Blu-ray『薬師丸ひろ子Premium Acoustic Live時の扉~Look for a Star』がまさに飛ぶように売れていて、2014年12月にビルボードライブ東京でのパフォーマンスを収録したもの。このライブ版に限った話ではないのだが、もうライブアルバムをCDで出せることはないと思うし、DVD/Blu-rayでのライブ映像が公式に出るのは良いとしてCD版もつけてほしい。ローリング・ストーンズのライブDVD/Blu-rayブートレグはたいていCD付きの仕様になっていて、さすがファンの使い勝手に通暁していてありがたい限り。映像版は家でじっくり観るにしても、ライブ音源はやはり外で自由に聴いていたい。
 コンサートについては毎回アレンジャーがトータル・コンセプトを統括し、その都度、独自の世界観を提示しているのだが、音楽活動も再開後、定着してきたところで今後ほどよく異質な表現者ともコラボレートできるといいなと思う。『ど根性ガエル』(2015)の「ひろしの母」役に薬師丸をキャスティングするなんて普通は思いつかないところがおもしろいわけで、宮藤官九郎脚本『木更津キャッツアイ』(2002)以降を分岐点として今の再評価に繋がっている。
 ちょうど来年2016年は「セーラー服と機関銃」(81)による歌手活動のスタートから35年になるし、初期作品は松本隆や竹内まりや、伊集院静、中島みゆきをはじめ、映画だけでなく音楽の領域でもさながら歌謡曲の実験場のような多様性が魅力だった。個人事務所であることもあって制約はあるだろうが、50歳を超え、円熟の境地にある彼女に対して新旧の表現者がどのような曲をぶつけることができるのか。オリジナルによる新譜が難しいとしたら、ファーストライヴツアーが4枚目のアルバムに基づくものだったので、松本隆プロデュースによる3枚目のアルバム『花図鑑』(1986)などアルバムの旧譜をじっくり掘り起こしていくのもおもしろい試みになるように思う。



2015年10月14日


 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015が閉幕。1989年以来、2年に1回の頻度で開催されているこの映画祭はもともとは山形市の文化事業として開始されたのだが、2007年以降はNPO法人となっていて私自身も正会員として名を連ねさせてもらい、山形にもう10年以上通っている。この映画祭の最大の魅力は何といっても監督との距離が近いこと。とりわけ「インターナショナル・コンペティション」部門にノミネートされた作品の多くは監督との質疑応答のセッションがあり、その後もロビーで通訳の方を交えて気楽に話をさせてもらえるのが醍醐味。最新のドキュメンタリー表現作品を通して、「今」、世界の各地で「何が」「どのように」問題になっているのかを展望することができる。
 私が山形に通いはじめた21世紀初頭はセルフ・カメラやフェイク・ドキュメンタリー表現が実験的手法としてあらためて注目されはじめていた頃に相当し、ドキュメンタリーの概念に関する問い直しも進んでいた時期だったので何もかもが新鮮だった。また、女性監督による自己および家族とは何かを探求していく作品群も興味深い潮流となっていた。さらにテレビドキュメンタリーをはじめとするアーカイヴ研究の急速な進展もあり、ドキュメンタリー表現の変遷を歴史的/包括的に辿ることができる場として多くを学ばせてもらってきた。8日間の行程をすべてフルに参加できたことは残念ながらないのだが、部分的な参加であっても実際に来てみると「来ないと何もはじまらない」ということをあらためて実感する。物語作品にも共通して言えることではあるのだけど、とりわけドキュメンタリー映画に関してはどれほど巧みな概要を事前に読んだところで、映像の質感、「インタビューをする者/される者」との距離感や関係性、ドキュメンタリーのナラティヴ(物語方)/展開の手法など、実際に作品に触れてみないと伝わらない要素が多い。
 2008年の世界同時不況以後の作品の傾向としては、格差社会、経済・政治・社会政策の問題に焦点を当てた作品が再び多く現れるようになってきており、そこに家族をめぐる問題やセクシュアリティの問いなども様々に入り込んでくる。

 日本発信による国際映画祭ということもあり、スタート以来、特に力を入れてきたのが、アジアの潮流「アジア千波万波(New Asian Currents)」であり、日本、台湾、中国、韓国、香港から東南アジア、インド、バングラデシュ、イラン、ボスニアまでその射程を広げている。今年の受賞作の一つ、『ラダック――それぞれの物語』(2014)は日本の奥間勝也監督による作品で北インドに住む男の子の夏休みの物語。日本の状況を相対化して捉える発想を得ることはもちろん、国境の概念をも超越して、グローバル/ローカルにそれぞれの今の状況を炙り出していく作品の数々からは世界の多様性をまざまざと実感させられる。
 また、毎回、特集が組まれ、今回は「二重の影――映画が映画を映すとき」として、映画に対する自己言及性を示した作品がとりあげられている。白眉となるのは『薔薇の葬列』(1969)、『ドグラ・マグラ』(1988)などで知られるカルト的映像作家・松本俊夫に焦点をあてた「映像の発見――松本俊夫の時代」(全5部、700分、2015)。700分ってあなた(笑)、それだけで丸一日完全に終わってしまう。5分の3ほど観たが、高度に抽象的ながらよどみなく延々と言語化された解説が続く。曰く、虚構と現実の境目を探り、つまるところ映画とは何かを探り続ける姿勢(とりわけ実験映画に対して)はさすがにおもしろいし、圧倒されるけど、こちらもまどろみと疲労の只中にいるのでなんだかよく消化できないというのが実感。またちゃんと見てみたいけど700分は覚悟がいるなあ(笑)。
 もう一つ大きな特集は、「ラテンアメリカ――人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生」。これまでもキューバ映画特集などはなされてきたが、本格的なラテンアメリカ映画特集で、キューバ、チリ、コロンビア、アルゼンチン、ブラジルなどの作品を、現在のみならず、1960年代の「第三の映画/サードシネマ」以降の主要作品とあわせて約25プログラムを鑑賞できる企画。近年、私はアメリカ合衆国文化におけるロード・ナラティヴとホーボー文化を捉え直して展望する構想に着手しているのだが、社会人講座で取り上げた時も最後は「アメリカの彼方」へ射程を広げ、ブラジル、リオデジャネイロ出身のウォルター・サレス(1956- )監督『セントラル・ステーション』(1998)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004)、『オン・ザ・ロード』(2012)で締めくくっている。ラテンアメリカの光景は驚異(wonder)に満ちており、ロード・ナラティヴの可能性が広がっている。とはいえ、いくつかラテンアメリカ作品を観てみると、やっぱり歴史、言語、文化、様々な観点から複雑さをきわめていて、当たり前だが、生半可で語れる気がまったくしない。というわけで言及だけにとどめるが、『主人――コパカパーナのある建物』(ブラジル、2002)はリオデジャネイロにあるアパートに住む様々な人々にそれぞれの人生を語ってもらうというもので、人々の何気ない人生や生活が実はおもしろいと気づかせてくれる意外な収穫だった。

 さらに「ともにあるCinema with Us」は東日本大震災および福島原子力発電所事故「以後」の世界にドキュメンタリー映画がどのように対峙してきたのかをめぐる特集企画で、2011年から今回で3回目。国際ドキュメンタリー映画祭の拠点となった東北・山形の地で、ドキュメンタリー映画表現の底力をもっとも効果的に発揮する契機となってしまっているのは皮肉ではあるけれども、定点観測的にその後の状況を継続して映像に記録し続けていくのはとても有意義な仕事となるにちがいない。中でも、遠藤ミチロウ監督『お母さん、いい加減、あなたの顔は忘れてしまいました』(2015)がまさに出色の出来。パンク・ロックバンドのザ・スターリンのイメージからは、迂闊に話しかけようものなら殴られるんじゃないかとつい思ってしまうところだが、質疑応答も丁寧に受けこたえをされている姿がとても印象深いもので、作中で福島県二本松市に現在も住む実家の家族のもとを訪れる際の、遠藤氏の優しく落ち着いて朴訥としたふるまいからはまた別の魅力が表れていると思う。このように人物のまた別の側面が浮かび上がってくるのもドキュメンタリー映画ならでは。
 この他にも「現代台湾映画特集」、「アラブ映画特集」などもあり、いくら時間があってもたりないぐらい。映画上映に加えて、トーク・セッションも数多く展開されており、初心者でも必ず楽しめるはず。日本の映画祭事情を考えると夜中近くまで会場を使用できるのはきわめて珍しく、ボランティアの方々をはじめ、考えうるかぎり最高の環境で運営していただいているのは確実なので感謝の気持ちで一杯。メインはやっぱり土日祝日の3日間なのでそこを外してしまったのはいかにも痛恨ではあるけれど、一度行ってみたらまた行こうと思える魅力的な映画祭の一つ。









2015年10月13日



「愛してるなんてつまらないラブレター マジやめてね 世界はもっと面白いはずでしょ」――大森靖子「絶対絶望絶好調」(2014)

 第54回日本アメリカ文学会全国大会におけるシンポジウム「逸脱する結婚――アメリカ文学と不倫とエロス」では立ち見が出るほどの盛況ぶり。司会・講師の高野泰志氏(九州大学)の概要にも示されているように、「ギリシャ神話や聖書を始め、これまでおびただしい数の文学作品が不倫のモチーフを活用」してきており、その中でも「アメリカ社会においてはそのピューリタニズム的出自のために『不倫』はとりわけ強い断罪の対象になってきた」わけであり、「その強い抑圧こそが逆に物語を駆動させる強い欲望を生み出してきたとも言える」。「不倫の系譜学」をたどることで、「結婚制度、セクシュアリティ、ピューリタニズムといったテーマを新たな角度から問題化する」という試みは確かにおもしろく、専門学会であることもあり、20世紀初頭に焦点を絞った研究報告をもとに討論が展開されたが、想像力の射程を広げさせてくれる刺激的なシンポジウムであった。
 というのも、全学共通(教養)科目で「愛について」というオムニバス講座を担当しており、「様々な愛のかたち」を比較文化的に考察する試みに携わっている。この場合の「愛」は必ずしも恋愛のみを指すものではないのだけれども、恋愛をめぐる最近の研究動向が活発になってきている。どう考えても私の領域になりうるとは思えないのだが、現代日本における恋愛観の変遷などについても授業で話をしていて、若者相手に自分が一体何を喋ってるのか我ながら不思議な気分になるし、学生も何をどこまで知ってるのか不明ながらも悟ったようなコメントを書いてくるのもおもしろい。
 今年は、「人はなぜ、どのように異性を好きになるのか?(強制的異性愛の概念も含めて)」、「片想いと両想いとは?(ストーカーや独占欲も含めて)」、「男女の友情は成立するのか?(恋愛の境界線とは?)」などの論点について映画作品を素材に一緒に考えるという試みを行っていて、もちろん私も答えなんてもっていない。私よりも上の世代に顕著に見られるような恋愛至上主義的な価値観とも異なり、牛窪恵『恋愛しない若者たち――コンビニ化する性とコスパ化する結婚』(ディスカヴァー携書、2015)などでも詳細に分析されているように、興味や関心も細分化し、ライフスタイルも多様になってきている中、恋愛が人生や生活に占める割合は必ずしも高いものにはならず、また、恋愛や結婚に対するモデルも確実に変容してきている。背景となる時代思潮の変遷を探ることで現代社会の諸相も見えてくる。
 深海菊絵『ポリアモリー――複数の愛を生きる』(平凡社新書、2015)は、若い世代の社会学者がアメリカの事例研究の成果をもとにしながら、「ポリアモリー(複数恋愛)」の概念の可能性を探り、1対1のカップルを基盤とする恋愛や結婚のモデル自体を問い直すもので急速に日本でも耳にする概念になってきた。「社会的構築物としての『嫉妬』」に一章分割かれていて、文学や哲学からも横断して検討できればなおおもしろいように思う。前述のシンポジウムでは舌津智之氏(立教大学)が「ポリアモリー」の概念に言及されながら20世紀初頭のアメリカ女性作家ウィラ・キャザーの作品分析を軸に、「反・異性愛制度の政治学」「反・対幻想の系譜学」を提唱されていて、文学研究ならではの方向性を示されてさすがでした。

 私自身が「愛について」の講座で毎年使用している素材に山田太一原作(1985)映画『飛ぶ夢をしばらく見ない』(1990)がある。妻子ある中年男性がある女性に魅せられていくのだが、その相手の女性がどんどん年齢が若くなっていってしまうファンタジー物語であり、不倫に加えて淫行から幼児性愛の問題も内包し、主人公は警察に追われすべてを失ってしまう。愛の究極の形を探る上で興味深い素材であるのだが、幼女になってしまった相手と一緒にお風呂に入っている場面などは視覚表現の提示をめぐる昨今の規制の問題もあり、そろそろ冗談でなくまずいかも。
 四方田犬彦氏が映画論の授業でパゾリーニ(『テオレマ』1968、『ソドムの市』1975)作品を問題なく提示できるところに大学のリベラルさの証があるとよく言及していたが、今から思えば巧みな牽制と言える。視覚表現はそれだけ影響力も強いし、高校までの国語教育では恋愛の要素がそぎ落とされてきてしまっている傾向があるので、そもそも文学の世界が固定概念を乗り超えるところにこそおもしろさがあるということを積極的に伝えていくべきなのだろう。大学は異文化との出会いの場として機能するべきであると心から思う。とはいえ大学教授でもある作家・高橋源一郎氏が自身のゼミで『大正生まれのAVギャル』を教材として用い、生/性の深淵を探るような討論を展開したという逸話には感銘を受けるもののそんな試みはやはり到底、源一郎氏しかできまい。
オムニバス講座「愛について」ではありがたいことに、科学哲学者・吉永良正氏(『複雑系とは何か?』1996)とご一緒させていただいていて、学期末に展開される教員同士のトーク・セッションでは、「近親相姦や幼児性愛はなぜいけないんですかね?」というようなバカみたいな問いを投げかけて、まじめに答えてもらえるのがとても楽しみ。学生よりも私自身が一番勉強になっているはず。

 坂爪真吾『はじめての「不倫学」――社会問題として考える』(光文社新書、2015)が現在ベストセラーとなっているが、その内容よりも気になったのは、文学どころか社会学に対しても変化の激しい現実社会にとってはすでにまったく無効化されていることを突きつけられていること。
 
「かつて、不倫を含めた恋愛の問題は文学の専門領域だった。(略)文学や作家の社会的影響力が弱まった後に登場したのは、社会学だった。(略)しかし、シャーマンとしての社会学者の力も時代と共に徐々に衰え、社会学者自体の供給過剰と小粒化が進んだ。大学院で社会学をかじった程度で、この複雑極まりない現代社会を語ること、あるいは語れると思っていること自体が痛々しくなったのだ」
(坂爪真吾『はじめての「不倫学」――社会問題として考える』』「あとがき」)
 
 なかなか手厳しいが実のところ世間一般の人文科学に対する見方はこのようなものなのかもしれず、的確な状況分析でもあるのだろう。さらに続けて坂爪氏は「文学の力も社会学の力も弱まった今、不倫をはじめとするセクシュアリティの問題に敢然と立ち向かえるのは、作家でもなく社会学者でもなく、NPOや社会企業家ではないだろうか」と続けている。実際に『恋愛しない若者たち』の著者、牛窪恵氏もマーケティング会社の代表取締役で評論家。深海菊絵『ポリアモリー』は一橋大学大学院(社会人類学/性愛論・家族研究)および南カリフォルニアでのフィールドワーク調査による研究成果をもとにしたものでありながら、現在はポリアモリー・ワークショップなどに関与しているそうで大学の「外側」にいる立場。

 さらにこの文脈の中で宮台真司『中学生からの愛の授業――学校が教えてくれない『愛と性』の話をしよう』(2010)が新書化(コア新書、2015)されたのを今、読むと、オリジナル版刊行当初よりも今の方が有効で力を持つように見える。「13歳のハローワーク」ではないが、恋愛の仕方やそもそも恋愛とは何かなんて、陳腐な表現になるが学校でも誰からも教えてもらうようなものではないもので、それでも皆なんとなく身につけていくような作法であるようにみなされてきたけれどもはたしてどうなのか? 恋愛「しなければいけない」というわけではまったくなくて、しなくていい自由ももちろんあるわけだが、何ごとも知らないよりは知っておいた上で選択できるに越したことはない。
 オリジナル版刊行当初は「ギャル系中学生女子」や「おっとり系少女」とやらに恋愛学を教授する対談形式の構成に、またこのパターンか、と辟易してしまったところはあったのだけれど、中学生の目線に寄り添い、そもそも「恋」「愛」「性」とは何かを社会学から文学、哲学の領域を横断しながら探っていく姿勢は誠実と言えるもので、私自身をかえりみてももう少し根源的なところからちゃんと提示しなければと学ぶべき姿勢が多いことにあらためて気づかされた。「物語の想像力」に何ができるのか、どのように活用できるのか。私の力量を超えた大きな課題ではあるけれどもそれぞれができることをやっていくしかないようにも思うので、その点でも「かつて文学の専門領域であった」とされる恋愛の問題に対して今、どのように向き合うことができるのかを示すシンポジウムはタイムリーな企画であったと思うし、個人的にも継続して考えてみたい。



















2015年10月8日

 ついにこの日が来てしまったというか、中日ドラゴンズの山本昌(山本昌広)投手が32年の現役生活を引退。私自身の観戦ユニフォームは15年以上にわたってずっと山本昌投手の「34」だったこともあり(あとは落合博満監督時代の「66」)、さすがに寂しくなるなあ。野球選手やアイドル歌手がいつからか皆、自分よりも年下になっていることに気づいた時に子ども時代の終わりを実感するものでもあると思うのだが、私のこの年齢で自分よりもずっと年長の野球選手が現役で活躍し続けてくれていたこと自体、奇跡としか言いようがなく、これほどまでに長い歳月にわたって夢を見続けさせてもらってきたことに感謝。

 ふと思い出したのは、小学生の頃に朝礼で「プロ野球の全選手の名前を憶えているような生徒がいるようだが、そんなことに頭を使う余裕があるようだったら漢字の一つでも覚えなさい」というような校長の嫌味な話があって、へえ、そんな奴がいるのかと聞き流してたら、おまえのことだと担任教師に小突かれたことがあった。とすると小5か小6の頃だな。さらに、名古屋出身でもないのにドラゴンズファンであるのが珍しかったのか、校門を出たら2人の男の人に「この学校に中日ファンで有名な男の子がいるって聞いたんだけど君のこと?」と声をかけられて、サイン色紙(当時、評論家だった星野仙一氏のサイン)をもらったこともあった。ドラゴンズの野球帽をかぶって通学してたので、いかにも昭和の小学生というか牧歌的な時代。正確なところは覚えてないのだが、私設ファンクラブだったか応援団の人たちだったか、東京支部を名乗ってたように思うのだけど。
 今でも野球シーズンがはじまる時期には、新しい選手名鑑(昔は佐々木信也監修版、現在は宝島社版を愛用)と『ドラゴンズ・ファンブック(『月刊ドラゴンズ』増刊)』を寝る前に読むのを楽しみにしているのだが、申し訳ないことにそれでも山本昌広投手が入団した頃の印象がまったくない。何せ1984年の同期入団では地元の享栄高校から甲子園で活躍した藤王康晴内野手がドラフト1位で入団している年なので私も含めて皆の期待も完全に集中してしまっていたはず。当時のドラゴンズは野武士野球と言われていた打力中心のチームだったから投手に対する関心がそれほど高くなかったのも要因か。今でも私のドラゴンズの原風景は1982年の優勝時のメンバーで特に大島康徳選手のファンだった。何点取られようがそれ以上取り返せばいいという豪快さは当時は魅力だったけど、あんなに大味な野球を今やられたら、とてもじゃないが到底耐えられないだろうな。
 鮮明に覚えてるのは、1988年の優勝年に夏も終わりになってから山本昌広投手が当時、斬新な球種であったスクリューボールを引っさげてベロビーチ・ドジャースでの留学から帰ってきて活躍してくれたこと。ペナントレース終盤の投手事情は野戦病院さながらであって、失礼ながら誰も期待していなかった若手投手が後半戦になってから突如、厳しい優勝戦線に加わってくれたのは本当に頼もしかった。アメリカのマイナーリーグ(1A)でひそかに頭角をあらわしており、その時のドラゴンズが優勝争いをしていなければ急遽、呼び戻されることもなくメジャーリーグに進んでいたかもしれなかったという逸話は有名だが、ここから200勝投手への道のりもはじまることになる。私自身が中学生の頃の話だからあらためてやっぱりすごい。優勝回数がかつては少なかったこともあり、同年代で集まれば、82年と88年の優勝時の回想を通していつでも少年時代に戻ることができる。プロ野球選手が時代のアイコンとして機能していた時代でもある。
 1993年・94年と2連連続最多勝を受賞している時期が山本昌投手の全盛期となるのであろうが、今中慎二投手とあわせて屈指のWエースを擁しながら、88年から99年までの期間、優勝から遠ざかってしまったのがいかにも惜しい。残念ながら山本昌投手の悲願であった日本シリーズでの勝利は達成できないまま引退を迎えることになってしまった。
 投手であり、昔は予告先発の制度もなかったので、実際に球場で私がその雄姿を観戦できたことはきわめて少ないのだが、個人的に印象に残っている試合は、2004年の日本シリーズ第2戦(ナゴヤドーム)。残念ながら山本昌投手は勝利投手になれなかったものの、私自身にとって初めて日本シリーズでの勝利試合を見ることができた記念すべき試合でもあり、夜行列車で帰ってきて高揚感もそのままに1時間目から授業をしたのも懐かしい想い出。そういえば、その後、日本シリーズで負けてしまった後で廣淵升彦『スヌーピーたちのアメリカ』(1993)から、チャールズ・シュルツの『ピーナッツ』(1950-2000)を通して競争社会アメリカにおける「敗者への想像力」について授業で話をしたものだ。

 引退試合後のインタビューで「これでもう練習しなくていい」というコメントを残していることからも、練習の熱心さには定評があり、その姿だけでも2軍の若手選手には良い手本になっていただろう。近年では結果的に1軍ではわずか数試合の出場に留まってしまっていたものの、逆に言えば、そのわずか数試合のためだけに年間を通じてプロとしての身体を作り上げているわけである。引退試合となった10月7日の広島戦では、広島カープにとってクライマックス(CS)シリーズへの権利をかけた大事な一戦であったのだが、山本昌投手の後を託されたドラゴンズの若手投手2名も最高のピッチングでリレーを繋いだ。20歳の若松駿太投手は「10勝よりも、山本昌さんの引退試合で投げさせてもらったことの方が光栄」という談話を残しており、後輩投手にとっても特別で感慨深い試合となったにちがいない。
 引退試合であれば球場に駆けつけたいと思っていたファンは私も含めて多かっただろうが、引退発表も含めてあまりにもすべてが急に決まったことであり(10月7日は雨天順延による追加日程)、余力があればもう1年継続することもできたであろうから、限界まで挑戦するというのはつまりこういうことなのであろう。突き指とされていた故障は実は靭帯損傷であったとも聞く。その限界の中で打者1名に対して急速110キロとはいえ、先発投手として最後の試合に向けて調整してこられた精神力の強さにあらためて圧倒される思いである。「これでもう練習しなくていい」という言葉が重く響く。

 ありとあらゆることが「最年長記録」となることからも、著書や関連本も多く刊行されており、野球に挑む精神性をビジネスの自己啓発書と結びつける傾向による著書にも良いものはあるのだが、最初の著書となる自伝『133キロ快速球』(ベースボール・マガジン社新書、2009)が一番、素朴で実直な人柄がよく現れているように思う。アメリカ留学時代の恩師・アイク生原氏との出会いなど鉄板のエピソードは何度も語られているものではあるけれども、何度読んでも感動させられる。
 『スポーツマガジン11月増刊号 山本昌引退記念号』(ベースボール・マガジン社)ではなんと1954(昭和29)年のドラゴンズ優勝時のエース・杉下茂氏が「惜別の言葉」として談話を寄せていて、御年90歳の杉下氏が臨時投手コーチとして32年前に「新人投手山本昌広」の入団時に指導した逸話など、時間の感覚を超越していてとにかくすごい。しかも内容も読みごたえがあって、杉下氏の助言でオーバースロー投法に修正を試みるもなかなか自分のものにできなかったという逸話もいかにも「大器晩成型の山本昌」らしいし、杉下氏による技術論・人物への洞察など興味深い記事になっている。

 ちなみに添付の写真は、200勝達成時に発売された記念サインボールでバレーボールぐらいの大きさ。シリアルナンバー入りで私が所持しているのは200番中9番だが、たぶんさすがに高額すぎたんじゃないかな? 何個市場に出回ったのか不明(笑)。


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2015年10月7日

「たぶんキミは本当は(そう)すべてパーフェクトなスター
 つかめない風のように 気楽そうに映るスタイル」
――Perfume「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」

 Perfume結成15周年/メジャー・デビュー10周年を記念して日本武道館(4日間)、広島グリーンアリーナ(2日間)でのワンマンライブをはじめとする10日分のイベント「Anniversary 10days 2015 PPPPPPPPPP『LIVE 3:5:6:9』」が開催され、さらにタワーレコード渋谷店でのPerfume展も展開中(「Perfume展 タワレコ後編~見といた方がえぇおもうよ?~」~11月1日)。

 武道館では当日行ってみたらなんとアリーナ最前列! 新譜を買っても最近は開封してもいないぐらいサボってるのでなんだか本当に申し訳ない。武道館は上の階でも傾斜がほどよくステージを見渡すことができる構造になっているためにどこの席からでも見やすいのだが、さすがに最前列は格別! 360度展開するステージということもあり、センターではなく横に近い場所ではあったものの、どの角度からでも楽しめるステージングの構成も見事。重低音の振動が響きすぎて心臓が痛いぐらい。
結成15年分最初からついてきているファンはさすがにほぼ皆無であろうが、すでにキャリアも長いので、年齢層は私も含めた「上」から下まで幅広く、女子グループも年々多くなっている。傾向としてはカップル率が高いのが目立つところか。神聖かまってちゃんや大森靖子のライブとは異なり、「絶対行きたくない」(それはそれで賛辞と思いたい)と拒絶されないだけの「健全さ」は特徴としてあって、個人的には藤子・F・不二雄のファン・コミュニティに似た印象を抱いているのだが(実際に「未来のミュージアム」[2013]は映画『ドラえもん のび太の秘密道具博物館』の主題曲)、今回の公演でもインスタレーションとの相性の良さというか舞台美術が素晴らしく、ダンス・パフォーマンスといい、アイドル的な要素やカルチャー的な要素などPerfumeのライブにそれぞれのファンが求める要素も多様な分ファン層も多様であるのだろう。
3時間に及ぶ公演であるにもかかわらずなぜか20曲以下しか演奏していない事実が示すように、「P.T.A.のコーナー」と称するファンとの交流コーナーがあり、場合によっては観客がステージに上げられる。これは怖い。あらかじめ実は上げられる人は決まっていて打ち合わせができていると思いたいが、客席にいても突然いじられたり、舞台に上げられたりする可能性もあり、一観客であっても気が抜けない独特の一体感(緊張感?)を作りあげている。
「結成15周年記念」イベントであることからも、これまでの歩みをふり返る場面も多く、また10周年の時にはセットリストの候補に入っていなかった広島インディーズ時代の曲「彼氏募集中!」(2002)なども披露されたのは現在の好調ぶりと自信のあらわれを端的に示していると思う。

 私にとっては、以下の3点がもともとPerfumeに関心をもった主な要因。
<(1)「広島弁を喋る女の子のおもしろさ」>
テクノポップを基調に人工的なアンドロイドの世界観に貫かれた当時の楽曲の作品世界と奔放に広島弁を駆使するMCとのギャップの大きさが何よりおもしろかった。「ローカリティ/地方文化」の文脈で取り上げたこともあるが、方言と地方色をどのように大衆文化の中で活用することができるかという観点も有効だろう。

<(2)「リアリティTV/セルフカメラ研究」の観点からの関心>
アミューズの女性新人アイドル育成プロジェクト「Bee-Hive」(2003-06)の一環として女子寮に設置されたウェブカメラ(Bee-Hiveカメラ、2003-05)を活用して他の同僚アイドルなどともあわせてイベントや女子会トークなどの配信活動を展開しており、まさに「リアリティTV」の最先端を示していた。それこそその時々の人間関係の推移や、音楽やパフォーマンスなどの表の活動とも異なる面が垣間見えるのがリアル。
 ウェブカメラは24時間生中継されており、空いている時間は誰でも利用することができるのでライブ活動などの告知もあれば、暇つぶしのようなお喋りに興じることもあり、あるいは突然、アイドルとして先が見えない不安を吐露することもあって、それこそ十代女子のアンバランスな心情が見え隠れするところに醍醐味があり、悪趣味な覗き見的要素も含めて壮大な実験企画であった。

<(3)「ゼロ年代的ファン・コミュニティの展開」> 
Youtubeやニコニコ動画をはじめとするインターネットツールを活用したファンによる自発的な広報活動が大きな役割をはたしていた。とにかく常に崖っぷちでいつ活動終了を宣告されてもおかしくない状態が続いていたわけでファンも必死。肖像権・著作権など厄介な問題もあるが、ゼロ年代アイドル・カルチャーの展開を探る上でPerfumeをめぐるファン・コミュニティの展開は重要な素材となるはず。

 私の担当している教養科目「現代文化における思春期の表象」(2009- )では、歌謡曲~J-Popの歌詞の分析を導入しており、Perfumeの楽曲も毎年、素材として取り上げている。メジャー・デビュー以降の曲は中田ヤスタカ(Capsule)による詞・曲であるが、インディーズ・レーベル時代は、木の子という女性作詞家による楽曲があり、シングル曲「モノクローム・エフェクト」(2004)などがその時期の代表曲。アイドル冬の時代とされる時期であったことからも、十代の女の子の青春を高らかに歌い上げる内容とはほど遠く、都会にあこがれて田舎から出てきたけれども都会の雰囲気になじめないでいる女の子の不安定な心情を描くなど、およそアイドルらしくない独特の屈折した世界観がこの時期の楽曲の魅力で、実は結構名曲が多い。
さらにメジャー・デビュー以降は、「リニアモーターガール」(2005)、「コンピューターシティ」(2006)、「エレクトロ・ワールド」(2006)と続く「近未来三部作」で、人工的なアンドロイドとして感情を抑えた歌唱法と世界観で特色を示す。ゼロ年代の男女観/恋愛観などを探る上でも格好の素材であり、「コンピューターシティ」(2006)は現在でも一番人気の高い楽曲の一つ。
 その後、2007年に「リサイクルマークがECOマーク。」CMソングに抜擢された「ポリリズム」によるヒット以降、アンドロイド路線から、いわゆる等身大の女の子を描く路線に転換点していく。恋愛しはじめの十代男女の淡い恋を描いた「Puppy Love」(2009)などがあり、私が歌詞の分析を扱っているのはこの時期ぐらいまで。というわけで久しぶりに「Puppy Love」を武道館ライブで聞けたのはよかった。
 アイドルグループの多くに「卒業」がついてまわるように、永続的に続けられるものではない「刹那」に生きることはアイドルの宿命でもあろう。パフォーマーとしてであればその先を志向することはできるだろうし、実際に海外展開を含めた活動の拡張はこれまで功を奏していると言える。2014年に展開されたワールドツアー(「Perfume WORLD TOUR 3rd」など)の様子を辿るドキュメンタリー映画『WE ARE Perfume』(佐渡岳利監督)も10月31日公開。意外にも公式ドキュメンタリー映画ははじめて。
 はたして「どこまで」「どのように」これから先の「瞬間」を志向することができるのか。










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