借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

2015年11月の記事

2015年11月30日



 第2回ドキュメンタリードラマ研究会終了。理論・歴史的アプローチのみならず、資料のアーカイブ化、映像教育の側面にも目を向けており、実作者(制作現場のディレクター、カメラマンなども含む)を交えたネットワーク構築の場をも目指している。

 はじめに研究代表の杉田このみ氏により「これまでのドキュメンタリードラマの探索――データベース構築に向けて」として日本のドキュメンタリードラマのデータベース化をめぐる現状と課題にまつわる報告がなされた。「ドキュメンタリードラマ」自体、定義しにくい概念であるのだが、雑誌記事などに現れる言葉や概念から丹念に辿ることで言説史の整理を進めている。また、ドキュメンタリードラマの表現が現れていると見込まれるテレビドラマ作品をリストアップしている過程にあり、今後、実際にアクセス可能な作品をつぶさに検証・分析していくことで日本のドキュメンタリー表現の変遷史をまとめていくことを目指す。

 研究会と直接の関係はないのだが、杉田このみによる単著『アクション! 地域を変える8人の対話』(アトラス出版、2015)は、「映画を作る」という切り口から見えてくる「故郷」「地域」をテーマに、映像作家としてのこれまでの足跡を辿る第1部と、その創作・上映活動を通して知り合った8名との対談をまとめた第2部によって構成されている。南相馬市を故郷に持つ小説家・志賀泉氏、アートの社会的活用を目指すNPO法人「カコア」の主導者・徳永高志氏、エチオピアを拠点に映像人類学の理論と実践を展開する川瀬慈氏など、国内外を含めた「地域」に立脚した表現現場に携わる様々な声を拾いあげることで「今現在」の「表現」をめぐる状況が見えてくる。地道に着実に表現の場を広げようとしているそれぞれの方々の活動は活力に満ちていて頼もしい。

 昼間行雄氏からは「高校での映画教育から生まれる作品の可能性」として、芸術高校での映像制作コースにおける指導の実践例をもとに映像表現教育の現状と課題にまつわる報告がなされた。「表現や創作を教えるとはどのようなことか?(そもそも教えられるのか?)」、「映像制作の現場で職業に携わりたいとした場合に教育課程で何がどこまで有効なのか?」など創作表現の教育全般に関わる話から、「生徒同士で作品を作る際にどのようにしてリアリティを作り出すことができるのか?」といった具体的な方法論に関する話まで様々に議論が展開された。

 創作表現に関する領域は教えにくいものであるだろうから映像制作の技術自体を伝達することに意義があるのではと思っていたのだが、機器は飛躍的に発達していくために学校で学んだ技術はすぐに使い物にならなくなってしまうとのこと。まさに「今役に立つことはすぐに役に立たなくなる」実例。作品を制作し、発表する「場」を設けることに意義があり、作品を完成させることを通して経験的にそれぞれが学んでいくことが重要なのだろう。

 私自身の報告は「モキュメンタリー表現の現在」として、近年の「疑似ドキュメンタリー/モキュメンタリー」の手法による映像作品をいくつか提示し、「リアリティTV」以降の表現技法がどのような傾向に向かっているのかを展望することを目指した。アイドルの公開オーディション番組や、シェアハウスや集団で旅をする中での恋愛模様など1990年代後半以降に隆盛したリアリティTV番組は、演技や台本、演出を極力排し、出演者の行動を手持ちカメラ、隠しカメラなどを用いてドキュメンタリー番組風の撮影手法により「本物らしく」見せる趣向を追求したテレビ番組のフォーマットを基本とする。リアリティTVの手法は多様かつ過剰に発展してきたために現在ではさすがに食傷気味であるのだが、モキュメンタリーの手法はその後も先鋭化を続けており、アメリカ映画『容疑者ホアキン、フェニックス』(2010)は、実在の俳優ホアキン・フェニックスがプライベートを含めた2年間の時間を丸々費やして作り上げた壮大なプロジェクト。グラミー賞受賞など俳優としての評価が高まった2008年に俳優活動の停止とヒップホップ歌手への転向を突然宣言し、ヒップホップ歌手としての新たな歩みをドキュメンタリー映画として提示するというもので、麻薬中毒を想わせるような奇行や性格の悪さをカメラが克明に追う。しかしヒップホップ歌手への転向自体までもがモキュメンタリー映画企画の一環であったことが後に明らかとなり、酷評され、肝心の映画も興行的にふるわなかった。とはいえ、プライベートもさらけ出して費やした2年間がまったく無に帰してしまったかといえばそうでもなく、2012年に『ザ・マスター』で俳優に復帰以後、個性派俳優としての評価はますます高まっており、虚構と現実の境目に肉薄した2年間が役者としての幅を押し広げている。そもそもの着想自体がリアリティTV番組を真に受ける視聴者に対する関心に由来するものであったようで、メディア・リテラシーに対する批評性をも内在している。

 この作品を先行例として踏まえた『山田孝之の東京都北区赤羽』(2015)は、もともと清野とおるによるエッセイマンガをもとに、俳優・山田孝之が一個人として赤羽に住むことを選択した2014年夏をめぐる記録映像プロジェクト。赤羽に住む実在の人物を登場させているマンガと現実をめぐる層に加えてさらに「ドキュメンタリー」の要素が入り込み、そのうえ「自主映画」や「芝居」といったいわば、現実内虚構が導入されることで、虚構と現実の境目といった二層に留まらない複雑さを帯びる。プロジェクトの中で試行錯誤する監督(山下敦弘)の姿をもカメラの前で晒すことにより、被写体としての役者と作り手との間の境界線などもとっくに飛び越えている。この作品は山下敦弘・松江哲明による共同監督となっていることからも、本編と異なる別ヴァージョン「もうひとつの『山田孝之の東京都北区赤羽』」(4時間35分)までもが存在し、どこまでが素で、どこからが演出・演技で、など境界線も表裏ももはやよくわからなくなるクラインの壺を体現するような不可思議な怪作。放映開始時にはすでに撮影は終了していたにもかかわらず、実在の赤羽で展開される実在の人たちも登場する物語がテレビで毎週放映されることにより、放映時の「今現在」起こっている出来事を垣間見ているかのような錯覚に陥ってしまう。

 フィクションの設定としてドキュメンタリーの手法を用いることに力点を置いているのか(「ドキュ・フィクション」)、フィクションの中にドキュメンタリーの要素を導入することに力点を置くのか(「ドキュメンタリードラマ」)、ざっくりと2つの流派に大別されるとされるが、両者の概念区別も時に混在・曖昧となることもあり、『山田孝之の東京都北区赤羽』はその格好の例としてその先の地平を志向している。

 フェイク・ドキュメンタリーの手法が先鋭化された例としては、長江俊和監督(企画・構成・演出)による『放送禁止 劇場版 ニッポンの大家族 Saiko! The Large Family 』(2009)の作り込み方が秀逸。アメリカのコメディ映画『ボラット 栄光ナル国家――カザフスタンのためのアメリカ文化学習』(2006)を彷彿とさせるように、カナダ人ディレクターが日本の家族を取材するという設定で異文化を見る視点を導入し、外国人から見た日本文化理解をも笑いの素材にしている。全編ドキュメンタリータッチで展開するが、大家族が抱えている深い闇の部分が次第に明らかになってくる。ミステリー/サスペンスの要素が細かく散りばめられており、くりかえしの視聴とネットコミュニティなどの情報交換などを通して、視聴者は謎解きと伏線の妙を楽しむことができる。

 また、映像技法としての「POV(主観ショット)」の手法については、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)以降、数多の類似作品がもたらされてきており、もはや陳腐にさえ映りかねないところ白石晃士監督はPOVの手法をさらに先鋭化させている。中でも『ある優しき殺人者の記録』(2014)は韓国を舞台に「全編86分ワンカット」の手法で撮影している。「86分の長回し」「作中の記録映像そのものが映画自体になる」など手法としてのPOVをひたすら突きつめようとする探求心がすごい。

 リアリティTVにしても、フェイク・ドキュメンタリーにしても、流行の現象としては旬を過ぎてしまっている感は強いのだが、手法もテーマも実はなおも深化している。『山田孝之の東京都北区赤羽』はドキュメンタリードラマの極北となる壮大な実験企画だが、幾重もの現実と虚構の境目の深いところを降りていくかのような試みはリスクも高くどんな役者にとっても応用可能な手法とは到底思われない。ホアキン・フェニックスの例にしても、役者としてさらに高次のステージに行ける可能性もあれば、すべてを失うリスクもありうるだろう。また、『放送禁止』にしても、『ある優しき殺人者の記録』にしても、手法や設定の枠組みを限定し、突きつめていく姿勢は苦しい挑戦だろうなとも思う。

 ドキュメンタリードラマ/モキュメンタリーの変遷を探ることで、そもそもテレビとは、ドキュメンタリーとは、メディア・リテラシーとは何か、といった根源的な問いに立ち戻らざるをえなくなるのも必然なのだろう。
















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2015年11月29日

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 2枚の写真は現在と30年前(1985年)。そりゃ30年もたてば時代の変化も年齢の変化も相当なものであるはずで歳月の重さ(時の残酷さ?)を痛感しますね。

 しかし、くまモンさんはさすがスター。いい表情してるなあ。30分で80名の写真撮影をこなしていくのですが、会って数秒でうちとけた雰囲気を演出してくれるのがすごい。なんであんなに表現力豊かなんだろう?

 一方、30年前の写真は当時、TVアニメ『タッチ』(1985-87)の浅倉南の声優役で人気だった日高のり子さん。えー、僕は主役級のヒロインに魅了されることはまずないので、浅倉南を特にひいきにしていたことはないのだけど、『少年ジャンプ』全盛期の中、あだち充作品をようやく教室でも話題にできるようになって嬉しかったのは確か。『みゆき』のアニメ化(1983)の際にクラスで観てた同級生なんて他に一人しかいなかったし、そんな一人にすら「私はアニメ版はおもしろいと思わない」ときっぱり言われた。そりゃそうだよなあ。今でこそ「日常系」「空気系」など何も起こらないダラダラした日常を描くジャンルもなじみがあるけど、部活の青春ものでもなく、ドタバタコメディでもなく、アクションがなくて起伏に乏しいし、あだち充作品特有の「間」やユーモアを表現しきれていなかった。キティ・フィルム制作だけあって「想い出がいっぱい」をはじめ音楽はよかったのでそれは何よりの収穫だったけど。

 Rebeccaの再結成ライブ「Yesterday, Today, Maybe Tomorrow」(追加公演)がさいたまスーパーアリーナで開催。昔、西武球場にライブ「FROM THE FAR EAST」を観に行ったのが1987年7月31日なのでほぼ30年ぶり。Rebeccaがシングル「フレンズ」とアルバム『Maybe Tomorrow』でブレイクしたのは1985年だからまさにこの写真の頃。Rebeccaは当時の僕らにとって「万能の接点」として機能していて、何となく洋楽好きな仲間内でも「あのちっこいヴォーカルってシンディ・ローパーみたいですごいよな」と無邪気に興奮して喋ってたのを思い出す。まあ子どもの言うことですから。

 洋楽好きといったところでたかが知れたもので、当時はA-ha(「テイク・オン・ミー」)やワム!(「フリーダム!」)の全盛期で、カルチャークラブが子ども心をくすぐってくれるアイドルだった。一方、J-Popなんて言葉も概念もなかった時代だったけど、チェッカーズやおニャン娘クラブといった歌謡曲全盛期でも誰と話しても「REBECCAならOK(許す)」だった。誰が何を「許す」のか?(笑) 同じ女性ヴォーカルでも、中村あゆみやSHOW-YAやバービーボーイズはちょっとケバいというか、もちろんそれが魅力であったとしても女子ウケはあまりしてなかったし、渡辺美里は当時でも優等生でまじめすぎるというかREBECCAに比べると受容層は狭かったんじゃないかな。とはいえ、僕は小学校の卒業文集で渡辺美里から引用してるはず(アルバム『eyes』神沢礼江作詞)。ちょうど小6の3学期に流行ってたから。『eyes』も30周年記念盤が出るのか。

 NOKKOの回想によれば、「戦略で歌詞を書いていたところもあった」とのことで、
「バンドですごく売れたいと思ったときに、不良という風になってしまった人の気持ちを書けば、たくさんの人が振り向くんじゃないかと思ったのよ。そしたら、ホントにたくさんの人が振り向いてくれたんだけど、わたし自身は不良じゃないのよ。(略)学校では地味な女の子だったから」(「パンフレット」より)

 ちょっと不良っぽい世界に対する憧れを潜在的に持ちながら、でもそちら側にまわれないおとなしい層の人たちの支持も得られたことが実際には大きかったんじゃないかな。

 渡辺美里「My Revolution」が起用されたTVドラマ『セーラー服通り』(石野陽子主演、1986)にしても、Rebeccaの「ガールズ・ブラボー」が主題歌となった『ハーフポテトな俺たち』(中山秀征主演、1985)にしても今思えば若さが特権となって希望がもてた時代。個人的にはそんな若く希望がもてたはずの時期も無為に過ごしてしまったけど、男子も女子も、洋楽好きも歌謡曲好きも、文化系も体育会系も、皆を繋いでくれる万能の接点がRebeccaだった。

 87年の西武球場での第一声「こんな田舎まできてくれてどうもありがとう」を今でも鮮明に思い出す。「日本のニュー・ジャージー」埼玉出身であるNOKKOの詞は、都会に対する憧れと飽くなき上昇志向が基調をなしている。都会がすぐ近くに見えるからこそその輝きに魅了されるものの、でも手に届かない絶望的な心理的・物理的距離感というか、早くこの街(子ども時代)から出ていきたいという活力と渇望感に満ちている。時に童話のようにメルヘンチックに、それでいて時にリアルに、早く大人になりたいという期待感と、でもこの瞬間は今しか得られないという刹那の感覚を表現力豊かに歌い上げる。ものすごく大人に見えたものだが、当時21~23歳! しかし、昔も思ったが、あれだけ豊饒な物語を紡ぎだせる人がなんでライブのMCでは口下手なのか。

 最初のスマッシュ・ヒット曲「ラブ・イズ・Cash」(1985)は、「Can’t Buy Me Love」(ビートルズ)の現代版としても、マドンナの「マテリアル・ガール」(1984)の日本版としても、これほどまでに資本主義社会における女の子の若さの価値を高らかに謳いあげる曲も今となってはすがすがしい。それでいて明るく、嫌みがないキャラとして幅広く受け入れられていたのもすごい。1984年当時のサザンオールスターズに対して「日本に初めて現れたポップバンドだと思う」と評したのは村上龍だったが、同様にNOKKOのキャラクター、J-Popの先駆としてもはたした役割は大きく、また、上條淳士のマンガ『TO-Y』(1985-87)に出てくるボーイッシュな女の子ニヤ(アニメ化の際の声優はNOKKO)のモデルの一人とも称されるように、文化的アイコン、ロールモデルとして何といってもキャラが立ってる。

 「ラブ・イズ・Cash」が作詞家・沢ちひろとの共作になっていて、アルバム『WILD & HONEY』(1985)の「NEVER TOO LATE」の作詞者・宮原芽映の存在などともあわせて、後にNOKKOが独力で作詞を手がけるようになっていくうえで、またキャラクターの造型において、青春期の刹那の感覚やアメリカン・ポップスのような十代の女の子の軽やかな世界観など、初期の作詞に関与した作詞家の影響はどのぐらい大きかったのだろう? 21歳に「まだ遅くない(NEVER TOO LATE)」と歌わせるのは一体何なんだろうとも思うのだけど、刹那の感覚とノスタルジア(郷愁)はその後の曲においても継承されていく。

「女の子は小さな石ころ どんな色にも輝きだす」(「Little Rock」1989)

 女の子は誰しも輝く可能性を秘めている。そんなベタな夢や理想を衒いなく高らかに語れた時代。だからこそ文化系から体育会系まで十代の幅広い層で支持されたのだろう。活動時期がバブル景気と符合する(1984-91)ように世相の華やかさとも相まって、何か新しいことがはじまるわくわくするような期待感に満ちている。

 90年の活動休止後、NOKKOはアメリカに渡り、英語圏での海外リリースを目指す。世界規模での提携をしていたソニーより海外版アルバム『I WILL CATCH U』(1993)、『CALL ME NIGHTLIFE』(1993)を発表するも、まだJ-Popブームとはほど遠く「日本らしさ」がクールでポップな文化として注目される前の時代。当時のアメリカのミュージック・シーンに対応すべく、ハウス、ダンスミュージックを基調に、大人の女性シンガーの成熟さも求められ、イメージの変容を強いられた苦しい時期であったのではと思う。あるいは、REBECCAのイメージとの訣別を狙いとしていたのだろうか。人気絶頂期のバンドを投げ出してオリジナルメンバーでかつての恋人・小暮武彦と結婚するなど、それこそドラマや映画のような展開。海外デビューは成功とはほど遠いセールスの結果は残念だが、今のように日本のポップカルチャーが注目される前、日本人メジャーリーガーが多くなっていく前の時代でもあり、Rebecca時代の楽曲「Little Rock」を地で行くように「あこがれはハリウッド」を体現してみせてくれたのはすごい。

 追加公演はまさに一日限りの大人の学園祭で「かつての自分に戻れる時間」であり、NOKKOの歌詞を通して、あの頃僕らが何を感じ、何を考えていたのか、その一端だけであったとしても思い出させてくれる。流行りの音楽が存在していたという共時体験はありがたく、その時に過ごしていた場所も、学年も違っていた相手とすら音楽を媒介に思い出話ができる。

 突然の活動休止で「活動を中途半端に終えてしまったという気持ちがあった」と活動再開にあたって言葉を寄せているように、ある種の聞き手にとってもまた「止まってしまっていた時間」を再び動かす契機となるかもしれない。しかし僕らもまた結構な年齢を重ねてしまっているわけで単に昔を懐かしむだけでは時計の針は進まない。今のNOKKOで

 あったらどのような「今現在の」物語を示してくれるのだろうか。限定的な活動再開とされているようだが、「今、そしてこれから」の彼女の新しい物語も聞いてみたい。

 HMV&BOOKS TOKYO『REBECCA展』も開催が予定されている。(2015年12月19日~2016年1月3日)













2015年11月24日



もし「女性医師が終末期を迎えている患者の心を読むことができたら」(『If――サヨナラが言えない理由』2014)

もし「47歳の女性3人組が17歳の頃に戻って別の人生を歩むことができたら」(『リセット』2008)

もし「抽選見合結婚法が制定され、未婚の25歳から35歳までの男女は強制的に見合い結婚をしなければいけないとしたら」(『結婚相手は抽選で』2010)

もし「70歳以上の高齢者が生存権を剥奪されてしまうとしたら」(『70歳死亡法案、可決』2012)

もし「夫の不倫相手と心と体が入れ替わってしまったら」(『夫のカノジョ』2011)


 垣谷美雨(1959- )の小説は今どきこんなベタな「もしも」をめぐる仮定を、作中人物の心情に寄り添って丹念に描くことで読者を物語の世界に誘ってくれる。しかしながら、物語のプロットだけを伝えても作風の魅力が今一つ伝わりにくいところがあり、上記の「もしも」をめぐる物語にしたところで、正直なところ読書になじみのない人にとっては荒唐無稽な絵空事につきあってるヒマはないと敬遠されてもやむをえないし、読書好きな人にとってもベタな設定が陳腐に映り、敬遠されてしまうかもしれず実は届くべき層に行きわたっていないのではないか。TVドラマ化された『夫のカノジョ』(TBS系列、2013、川口春奈主演)にしたところで今世紀民放連続ドラマ最低視聴率(3.0%/平均3.8%)を叩き出してしまったことで逆に話題になるという不遇な作品となってしまった。

 第27回小説推理新人賞受賞(『竜巻ガール』2005)により46歳でデビューしている遅咲きのキャリアが示しているように、浮世離れした設定の一方で、地に足が着いた登場人物たちの心情をじっくりと描写することで安定感がある。SF物語の性質の根幹にかかわることであるが、「なぜ」そのような状況が生じてしまうのかというところにはほぼ力点が置かれておらず、そのような状況が生じてしまったとしたら人々は「どのように」ふるまうものであるかをめぐる「シミュレーション」小説となっている。『リセット』(2008)にしても、高校時代に遡るという展開はありがちな設定であるとしても、元の年齢に至るまでの30年間もう一回人生を送ることになり、途中で元に戻りたくとも戻れない。となれば様々な人生の可能性を享楽的に試してみるという軽やかさはなくなり、今置かれている状況の中で人生を着実に過ごすほかなくなってしまう。あの頃に戻ってみたいという気持ちはあったとしても「もう30年」の歳月は重い。

 一見なかったことにされたり、注目されない日常生活の背後でひそかに違和感を抱いていたり、鬱積している「どこにでもいる平凡な女性」の声や心情を描くのが巧い。東日本大震災直後の避難所を舞台にした、その名も『避難所』(2013)という物語は、「段ボールの仕切りを最後まで使わせなかった避難所」の存在について作者が耳にしたことを契機に、この状況を強いられていた被災者はどんな思いで過ごしていたのだろかという想像力が着想の原動力になったという(インタビュー「大震災で露わになったこと」より)。「家族同然で互いに親睦を深めるために連帯感を強めて乗り切ろう」とその避難所のリーダーが狙いとしていたように、避難所の方針に格別な落ち度があったわけでも、取り組みが誤っていたというわけでもない。非常時であればなおさら唯一の正解が存在するわけでもないだろう。しかしながらそこで声をあげられない人たち、とりわけ「どこにでもいる平凡な女性」の心情に想いを馳せることで、ふだん存在がなかったことにされていたり、ことさら声高に主張をしない人々たちの存在に留意することで、世界の見え方は格段に異なるものになりうることを気づかせてくれる。

 主張しない人たちは必ずしも現状に満足しているから黙っているわけではなく、時に我慢を重ね、それまでの経験則上、声をあげたところで事態は改善しないことに絶望して諦めてしまっているのかもしれない。そしてそもそも「どこにでもいる平凡な女性」など存在せず、誰しもが物語の主人公になりうることを示してくれている。

 物語のスタイルについても、SF的な「もしも」の物語でない場合でも、よくある設定を用いながら、垣谷美雨でしか表現しえない世界観を提示しえていることに感嘆させられる。震災の避難所をめぐる物語を私たちはたくさん見聞きしてきたような気になっているかもしれない。しかし、多様な人たちが存在し、視点を変えれば世界の見え方はまったく異なったものになる可能性がある。そして他者に対する想像力をそれぞれが養っていくことで私たちの世界をより寛容なものにしていくことができるはずだ。

 『結婚相手は抽選で』(2010)では強制的にお見合いをさせられる男性と女性の思惑がそれぞれ内面描写で示されており、恋愛初期であればそうした駆け引きも楽しいものになるかもしれないが、同じ場面を共有しているにもかかわらず、男女の捉え方の違い、中でも女性のシビアで冷徹な観察力と男性の能天気で独りよがりな視点とのギャップに慄然とさせられる。もちろん結婚しなければいけないわけでも、異性を好きにならなければいけないわけでもないわけで、恋愛とは何か、結婚とは何か、家族とは、親子とは、といった根源的な問題を考えさせてくれる。

 総じて男性に対しては厳しい傾向がある一方で、それまで我慢していた女性が立ち上がり、それぞれの境遇の違いを超えて女性たちが時に連帯し、人生の新たな一歩を踏み出していくという展開が多く、読後感は明るいものになっている。勝ち組、負け組というような描き方ではまったくなく、それぞれの人生にはそれぞれの課題や悩みがあり、どんな年齢になったとしても、今ある人生を精一杯生きるしかないという、言葉にすれば陳腐なことを様々な人生模様をめぐる物語を通して示してくれているように思う。

 垣谷美雨の作品における安定感はつまるところ「普通の人の普通の感覚」によるのだろう。文学や文芸は一部の熱心なファンのためだけに存在しているわけではないし、特別な変わった世界を垣間見ることだけが目的であるわけでもない。「普通」の概念も揺らぎつつある中で、垣谷作品の登場人物たちは皆、住宅ローンを抱えながら家計をやりくりし、子どもや家族の問題に悩み、「私はこのままでいいのだろうか」と自問自答しながら日々生きている。

 ありふれた設定、ありふれた登場人物によって紡ぎ出される物語なのになぜかそれが非常に斬新なものになりうるという、物語の想像力をめぐる不思議な力を垣谷美雨の作品は実感させてくれる。現代の社会や家族をめぐる状況を女性の視点から捉え直す契機をもたらしてくれる。
















2015年11月23日

 デイヴィッド・マメットの戯曲『オレアナ』(1992)が小田島恒志による新訳(栗山民也演出)により再演中(東京PARCO劇場ほか)。大学の研修室を舞台に、男性である大学教授と女子学生を田中哲司・志田未来がそれぞれ演じる2人芝居。現代アメリカ演劇を代表する存在であり、難解さで知られるマメットにおいてももっとも議論を招いた作品の一つであり、PC(「政治的正しさ」)の風潮が過剰に蔓延しつつあった90年代初頭の時代思潮を先鋭的に描いている。授業についていけないと研究室に相談に来る女子学生と、大学での終身在職権(テニュア)を間近に控えている大学教授との間のパワーバランスが3幕ものを通して劇的に展開していく物語なのだが、初演から20年を超える歳月を経て極端な戯画ではなく、大学内で潜在的に起こりうる光景になってしまいつつある。
 日本でも94年9月に同じPARCO劇場(大阪公演は近鉄小劇場)で初演がなされており(キャストは長塚京三、若村麻由美、西川信廣演出、酒井洋子翻訳[劇書房、1994])、99年にも再演されている(長塚京三、永作博美、PARCO劇場ほか大阪・名古屋・福岡公演)。
 94年、99年の公演時も私は観に行っており、とりわけ94年の初演時は私自身が学部生であったことからもとても感慨深い思いがある。当時、履修していた「英米演劇」の授業で年間2本の劇評を書くという課題があり、そのうちの1本を『オレアナ』で書いた。演劇の授業であることからも教室外で舞台を観に行くことを前提とした課題は本来当然のものであるのだが、舞台のみならず、フィルムセンターであれ、ミニシアターであれ、教室外での課外研修はもっと導入されてしかるべきなのであろう。真似事ではあるものの劇評を書くという課題もやりがいを感じるものであった。当時の同級生にしても現在、演劇や文学に関連する仕事についているわけでなくとも、この課題を契機に舞台を観に行く習慣がついて今でも劇場に足を運んでいるという声を耳にする。こうしたことも大学で学ぶ重要な要素であるように思う。
 また、大学の研究室を舞台にした物語であることからも、女子学生に私自身が当時、感情移入することはなかったとしても身近な素材であったわけで、その後、私自身が教員としてアメリカ文学を教える立場になってから十年にわたって『オレアナ』を講読のテキストとして扱ってきた。過剰なことばの応酬で難解な作品でもあるのだが、2人芝居であり、3幕もので展開が見えやすく、電話の役割など基本的な演出の効果を学びやすいなど教育教材として有効な面も多かった。実際には大学内の物語ということよりも、パワーバランスの変化およびディスコミュニケーション(コミュニケーション不全)が主要テーマとなる。
授業時には講読後に、実際の脚本のことばをほぼ忠実に再現している94年のテレビドラマ版(William H. Macy、Debra Eisenstadtによるキャスト)を鑑賞することでまとめとしていたのだが、キャストによっても印象は大きく異なるものになる。Debra Eisenstadtが演じるキャロルは相当にエキセントリックに映るもので受講生も総じて大学教授のジョンに同情的であった。多様なアメリカの教室の光景からも、キャロル役をアフリカ系の女優が演じる舞台版もある。
 大学教員というと当事者でない人から見れば、単位の認定も教員のさじ加減次第であるかのように映るかもしれないが、実際にはそんなことがあるはずもなく、とりわけ今日ではシラバスなどで成績評価基準を明確に設定しており、不合格の認定を下す方が気をつかうぐらいである。場合によっては設定しているはずの成績評価基準を騙し騙し下方修正せざるをえないことも少なくない。とはいえ基準をしっかり保っておかなければ全体の士気も下がってしまうし、単位や卒業の価値自体も下がってしまう。世間で思われている以上に教員は気をつかっているはずである。

 『オレアナ』におけるジョンの立場は今まさに終身在職権の審査を受けつつあるところであり、アシスタント・プロフェッサーからアソシエート・プロフェッサー(准教授)への昇進となる時期に相当することが多い背景からも、このたびの公演では田中哲司演じる40代の大学教師として若い印象を強調している(実際には長塚京三による初演時も田中哲司氏と同じ49歳)。終身在職権の審査に不合格となった場合、パンフレットの解説では「権利を取得できなかった者は研究者として失格の烙印を押されたに等しく、研究者人生を断念せざるをえない」とあるが、いやいやさすがにそこまでのことはなく、単にその大学の基準に合致しなかったというだけで研究者生命を失うまでには至らない。しかし、新しい職場を求めて拠点を移さなければならなくなり、確かにシビアであり、審査の不公平さを訴える裁判が起こされることもある。こうした研究者の任期制は日本の大学でも導入が増えてきており、研究職を目指す大学院生の減少、ひいては国際研究力の弱体化などの事態も懸念されている。

 初演から20年の歳月を超え、当時センセーショナルであったPCの時代思潮が予見する極端な戯画としての『オレアナ』の光景は2015年の今現在、アメリカでも日本でもことさらに特別に映るものではなく「なぜ今この物語が求められているのか」という疑問を若干抱えながらPARCO劇場に向かった。結論から言えば、マメットの繊細な言葉遣いに新たな解釈を加えた新訳の趣向はとても味わい深いものであった。パンフレットにて翻訳者である小田島恒志氏により、「日本語にすると必要以上に意味が大きくなってしまう箇所がいくつかあった。読みながら栗山さんもひっかかったようで、稽古場で栗山さんの提案で他の表現に変えていった。二つだけ挙げておくと、動詞の『like』と呼びかけの『baby』である。舞台でどう言うか、どうぞお楽しみに」と示唆されているように、現場で丹念に舞台が練り上げられていったことがよくわかる。
 全体的にカジュアルで自然な雰囲気で演出がなされている点に特色があり、過剰な長台詞の連続でありながらも洗練されたことば遣いで、役名こそジョンとキャロルであるものの終始、日本を舞台にした物語のように映る。また、この芝居の有名かつ議論を招いたラストの台詞も新解釈となる訳語があてられており、そのことばの違いによるだけで舞台全体の印象が様変わりしてしまうのも新鮮であった。私の観劇した回ではアメリカ演劇研究者の黒田絵美子氏(パンフレットにも「Rashomonスタイルの『オレアナ』」を寄稿)と小田島恒志氏とのアフタートークがあり、細やかな訳出上の工夫について話をうかがうことができた。この芝居はまずは筋を追うのを楽しみ、次に、光と影の効果的な用い方など細かい演出や翻訳の工夫を楽しむというようにリピートして観ることでより一層楽しみが増すものであるだろう(リピート割引はないそうだが)。
 センセーショナルな物語としてだけでなく、コミュニケーション不全の物語として、2人とも終始、話し続けながらもかみあわない会話の様子などは、大学の舞台を超えて、今現在の時代においても切実に響くものであろう。
 公演は11月29日までPARCO劇場。その後、豊橋・北九州・広島・大阪公演が12月まで継続予定である。




2015年11月22日

「世界のCMフェスティバル2015」の東京会場は今年から世田谷区の109シネマズ二子玉川に場所を移しての開催。もともとは1981年にフランスでスタートした、世界50ヶ国の最新傑作CM500本をオールナイトで上映するイベント「CM食べ放題の夜」をもとに、九州大学・九州芸術工科大学などで講師をつとめていたジャン・クリスチャン・ブーヴィエ氏が1999年に日本版として博多でスタートさせて以降、日本全国をまわるTVCM上映会ツアーとして現在に至るまで発展を遂げ、毎年恒例のイベントとして定着してきている(福岡・兵庫・京都・静岡・名古屋・群馬・東京・札幌など)。
昨年までは58年の歴史を持つ新宿の老舗映画館ミラノ座を長年、東京での会場にしてきたのだが、残念ながらミラノ座の閉館に伴って継続できなくなり、本年度から新しい会場に。新宿歌舞伎町が持つ独特の猥雑な活気もお祭り気分との相性がよかったのだが、二子玉川の落ち着いた街並みと最新のシネコンの洗練された映画館の雰囲気に様変わりし、シネコンのシアターを2会場同時に用いて上映イベントを展開するという荒業で東京会場はまさに新時代の到来に。昨年までの大会場での一体感の代わりに、2会場を繋ぐライブ感覚がお祭りイベントの雰囲気を盛り上げ、現場では新しい会場のスタイルを探る試行錯誤期となっていたのかもしれない。
 それにしてもブーヴィエさんは2会場を行ったり来たりで大変だったはずですが、真夜中に誰よりもお元気で会場中を走りまわられてました。

 世界のCMフェスティバル(東京会場)の醍醐味は何といってもオールナイトで400~500本のCMを鑑賞することにある。CMは「時代の鑑」とよく言われるように、定点観測的に毎年これだけの数のCMを見ていくとその時代のトレンドが何となく見えてくるし、文化の違いに対する意識も鋭敏になってくる。飽きさせずそれぞれのCMに先入観なく浸ることができるように基本的にランダムにCMは流れるのだが、特集として、珍しい国や地域のCMやテーマ別などの枠組みでまとめて概観できるのも魅力。
象牙売買がテロに繋がることを示唆する政治的な狙いを込めたCMや、交通事故撲滅キャンペーンの公共広告など胸に迫るメッセージ性にあふれたCMもあれば、インドとパキスタンへの分離独立をきっかけに離れ離れになってしまったおじいさんの旧友を、その孫娘がインターネットで検索して見つけ出す物語(GoogleのCM)など短編映画を観るような感動的な作品まで、CM表現の多様性を実感できる。TVCMを映画館のスクリーンの迫力で堪能できるのも新鮮。5部構成となっており、休憩時のロビーではワインや焼酎、コーヒーなどの特別割引や試飲なども。パントマイムやマンダリン演奏などのパフォーマンスやスポンサーからの景品が当たる抽選会なども挟み込まれ、オールナイトならではの高揚感もあわせてお祭り感覚を演出してくれている。

 現在はメディアの転換期であり、若い世代のTV離れやTV以外のCM展開も目立つ傾向にあるが、だからこそTVCMというメディアの有効性や表現の可能性をあらためて考える良い契機にもなると思う。とはいえ、小難しいことをことさらに考えなくとも、CMを純粋に楽しみながらメディアや世界の「いま」について学ぶことができるのが、この「世界のCMフェスティバル」の最大の魅力であり、とりわけ大学生をはじめとする多くの若い世代の人たちに楽しんでもらいたい。広告、CM、メディアや世界を見る見方がきっと変わってくるはず。

 本年は今後も12月19・20日にアンスティチュ・フランセ関西(京都)でのイベントが予定されているほか、次年度以降も継続される予定である。


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