借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

2016年01月の記事

2016年1月26日


 話題が前後してしまいましたが、3月一杯までカリフォルニア州立大学バークレー校(UCバークレー)に滞在しています。シリコンバレーで活気づくベイエリア一帯は今現在、アメリカで一番地価が高いとされる状況で本当にそれはもうまったくおそろしい家賃で息も絶え絶えですが、無理して大学まで8ブロックほどのエリア(近くはないが歩ける距離)に住んでおり、学園町の便利さを満喫できています。アメリカでは近年、店舗型書店が町からすっかり姿を消してしまいつつありますが、映画『卒業』(1967)に映り込んでいるMoe’s Booksやコミックス専門店をはじめユニークな書店が複数存在しているのが何といってもありがたいです。

 UCバークレーゆかりの映画といえば、まずは学生運動を舞台にした『いちご白書』(1970)が思い浮かぶ。とはいえもともとはニューヨークのコロンビア大学で起こった学生運動に基づく同名のノンフィクション(1968)を原作としていることもあり、原作を先に読むか、映画を先に読むかで印象は大きく異なるものになるのだろう。当時19歳だったジェイムズ・カネンによる原作は角川文庫(青木日出夫訳)で2006年に復刊がなされているのだが、肝心の映画の方がなぜかいつまでたっても日本版DVDが出ないままになっている(授業などで導入する際はVHSテープを使用)。荒井由実による提供曲、ビリー・バンバン「『いちご白書』をもう一度」(1975)は若い世代でも「何となく知ってる」ことがあり、むしろ日本での知名度の方が高いようにも思うので、ぜひDVD化してほしい。映画史上の評価は決して高いものではないのだが、グラグラと目まぐるしく回転する映像手法に、軽快な音楽、キャンパス内に集う学生の姿など、時代の雰囲気を写し取るドキュメントとしての資料的な価値は高く、今の大学生の世代からしたら日本の学生運動やあさま山荘事件をとりあげた作品よりも身近に感じられるように思う(日本の学生運動について学ぶ際にも、『いちご白書』などの欧米の事例と比較参照すると導入しやすいだろう)。
 ノンポリで平凡な男子学生サイモンが活動家のかわいい女子学生リンダに惹かれて好奇心から学生運動の世界に入り込んでいくという物語であり、学生運動に対して引いた目で観察する視点が軸になっていることも、この時代を体験していない世代にも入り込みやすい。抗議運動で警察隊ともみあいになった結果、護送車に連行されていくこともエリート学生の逸脱として「非日常」的なわくわくする体験として捉えられており、バリケード封鎖(ストライキ)決行中の高揚感もさながら学園祭の前準備のようにも映る。リンダと行動を共にしていく中で距離を縮めていったり、あるいは、彼女がつき合っている相手の男性の存在を意識してがっかりしたりなど青春群像として恋愛をめぐる要素も魅力。当時の大学生の政治に対する関心のあり方や行動姿勢なども見えてくる。
とはいえ学生運動の時代を実際に体験しているか否かでこの作品に対する評価や好み、エンディングの解釈もまったく異なるものになるのであろう。作中で描かれている学生たちの政治姿勢は実は背景に押しやられてしまっており、「学生運動自体を取り上げた作品」というよりは、「学生運動の時代の青春群像」。1960年代のUCバークレーは「フリースピーチ・ムーブメント」が沸き起こり、リベラルで革新的な気質が学風として継承されている(最近は保守的な伝統校という印象が強いかな)。西海岸のリベラルで開放的な風土が青春群像の物語に明るい彩りを添えている。
 アメリカン・ニューシネマを代表する映画『卒業』(1967)もまた、ヒロインのエレーンがUCバークレーの学生であるという設定によりUCバークレー周辺で一部撮影が行われている(キャンパス内の撮影は実際には主にロサンゼルスにある南カリフォルニア大学)。『卒業』は「結婚式のさなかに花嫁が何者かに奪われる」エンディングが何といっても有名で、様々な形でくりかえしパロディとして描かれてきた。私の世代であれば、あだち充『みゆき』(1980-84)のラストシーンはトラウマ的な刷り込みの作用をはたしていて、「絶対に結婚式などするまい」という教訓が子ども心に深く刻み込まれた(もう少し正確に言えば、突然、恋人を失うことになるひとりっ子の鹿島みゆきに感情移入していた)。そんなわけで役所に届を出した(出してもらった)だけで一切の儀式と無縁できてしまった私にとって、『卒業』は間接的にだが人生に大きな影響を及ぼした作品。実際には、「何者かに奪われる」可能性は皆無であったみたいですけどね。

 UCバークレーには専門研究機関マーク・トウェイン・ペイパーズがあり、フルブライト奨学金による研究員として各方面に無理をお願いして送り出していただきました。成績処理などもまだ残っていて何やかやでなかなか集中できていないのですが、3か月でもまとまった時間を与えていただけるのはありがたいことです。マーク・トウェイン・ペイパーズの編集主幹ロバート・ハースト教授直々に貴重書コーナーで2時間ほど特別レクチャーをしていただきながら、トウェインの直筆原稿や創作ノート、予約出版という販売形態で用いられたサンプルコピーなどを見せていただきました。この研究機関はトウェインの没後百周年記念事業として『自伝完全版』(3巻本)を刊行し、話題性の面からも大きな成功を収めています。惜しげもなくオンライン上(無料)で研究成果を開示していく姿勢はハースト教授の方針によるものなのですが、研究成果をオープンにすることで愛好者・研究者の裾野もさらに広がっていくことでしょう。また、専属図書館員の方が常駐していて、こちらの関心を伝えれば次回の訪問時までにボックス一杯の資料を用意してくださっており、ありがたいやら申し訳ないやら。直ちに論文が書けるような題材に繋げられそうにないのですが、新たな発見も多く、作家研究のおもしろさをあらためて実感できています。手紙一通でも入手に至った過程がファイルに詳細に記録されていて、そこにもドラマがあったりします。
 さらに、一年以上に渡って移転改装中だった「UCバークレー美術館+映画博物館」もタイミングよくリニューアルオープン。2月は「ポスト・ヌーベルバーグのフランス映画」および「アフリカ映画」の特集上映。モーリス・ピアラ監督(1925-2003)については日本でも没後十年となる2013年に特集上映があったようですが、『裸の少年期』(1969)をはじめ十作品を超える本格的な特集になっており楽しみ。また、「アフリカ映画の父」セネガルのセンベール・ウスマン監督作品『黒人女』(1966)から、その現代版になぞらえられるブラジルのガブリエル・マスカロ『ハウスメイド』(2013)までラインナップを眺めるだけでも勉強になり、おもしろい。
 私にとって正規の留学ははじめてということもあり、できるだけ土地勘を掴むことを目標に頑張ってあちこち足を延ばしてみたいです。これまではどうしても、さながら村上春樹作品に出てくる土地の固有名詞のように記号的で代替可能な地名という感じでしかおそらく捉えきれておらず、描かれている舞台が四国であろうが名古屋であろうが、サンフランシスコでもシカゴでもメイン州でも極論すると変わらないようにしか見えていなかったようにも思うので、それぞれの土地の光景や風土に実際に触れることからも多くを学んでいきたいものです。














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2016年1月25日

 スヌーピーのキャラクターで有名な漫画『ピーナッツ(「困った連中」の意)』(1950-2000)の原作者チャールズ・シュルツ(1922-2000)を記念する博物館(2002年開館)は、サンフランシスコから車で1時間弱の距離にあり、シュルツが長年住んでいたソノマ郡サンタローザはワイン・カントリーとしても知られる地域。新作3DCG映画『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』(2015)公開の余波もあり、オフシーズンにもかかわらず家族連れから初老の夫婦まで幅広い年齢層によって賑わっていました。
丸50年間休みなく連載が続いた上に、アニメーションやキャラクターグッズ展開を通じてさらに新しい層を現在なおも拡張し続けており、まさに比類ない作品受容。グッズやアニメーションから作品に入って、後にあらためて原作に触れたり、作品の思想・哲学の奥深さに感銘を受けたり、という形で読み手の成長にあわせて、時代・世代を超えて親しまれているのも『ピーナッツ』ならでは。
 企画展ではスーパーボール50周年がベイエリアで開催されることを記念して「フットボール」特集開催中(2016年1月13日~7月25日)。チャーリー・ブラウンがフットボールを蹴ろうとする瞬間にルーシーがボールを取り上げてしまい、チャーリーが転倒するというギャグは定番中の定番。50年におよぶ作品史をテーマ別にじっくりふりかえることができる企画展はリピーターには何より嬉しいものだろう。映画『I LOVE スヌーピー』関連展示も充実。常設展としてはシュルツのアトリエ展示「スパーキーズ(幼年時代のニックネームから)・スタジオ」などもあり、さらにスケート/アイスホッケーの熱心な愛好家であったシュルツ自身が建てたスケートリンク場も隣接されている。
 1922年生まれのシュルツにとって、アメリカの新聞漫画の拡張期にあたる20~30年代を少年読者として過ごした経験は重要であり、常設展示においても「シュルツに影響を与えた古典新聞漫画」が紹介されている。具体的には、『ポパイ(シンブル・シアター)』(1929-94)、『勇敢な王子』(The Prince Valliant, 1937)、『キャプテン・イージー』(1933-88)など。また『ピーナッツ』の世界観を創出するにあたり、ジョージ・ヘリマンによる擬人化された猫を主人公にした『クレージー・カット』(1913-44)の作品集から大いなる影響を受けたことにも言及がなされている。ヘリマンの没後1946年に刊行された作品集がシュルツの習作期と重なっていく様子が年譜を通して浮かび上がってくるのもおもしろい(1947年より『ピーナッツ』の前身となる『リル・フォークス』発表)。また、20世紀史と重ね合わせるならば、シュルツの第二次世界大戦への関与や、ヴェトナム戦争期における作品受容も興味深い観点になりうるだろう。

 『ピーナッツ』の作品世界は不思議なぐらい記憶を呼び起こす力があるようで、展示を眺めながら私自身の幼少期や漫画に触れた原風景を唐突に思い出した。
幼稚園児の頃、病弱で一か月ぐらい入院していたことがあって、子どもが病室にいるのはかわいそうだからと同じ病棟の他の患者のお見舞いに来ていた、あるおじいさんにもらった漫画が前谷惟光『ロボット三等兵』(1955-57)。これが私にとって最初に自分の所有物となった漫画の単行本。文字通り、ボロボロになるまで読み返した作品で、「チャップリン映画を思わせる戦争ドタバタ喜劇」という定評のこの作品から思い返せば結構、影響を受けてるかもしれないな。退院後、父親に田川水泡『のらくろ』(1931-81)を紹介されたもののさすがに『のらくろ』は消化できなかった(おもしろさがわからなかった)。2007年に『ロボット三等兵』の復刻版(マンガショップ版)が刊行された際に懐かしさから購入したのだが、「貸本版」を底本にしているもので印象が大分異なるものだった。漫画っておそらく最初は誰かからもらったり、紹介してもらったりするものだと思うので「最初の漫画体験」は自分の意思を超えて運命的でおもしろい。
 昔話をもう一つ。近所に住む年の離れたお姉さん姉妹2人に丸一日遊んでもらった(子守りをしてもらった)ことがあって、その家に『スヌーピー(ピーナッツ)』の漫画が壁一面に揃っていて、今思えば鶴書房版『PEANUTS BOOKS』(谷川俊太郎訳)。表紙の英語表記がすごく印象に残っていて当時、内容を理解できたとは到底思えないのだが、外国文化やアメリカを意識したおそらく最初の原風景。ストーリー漫画ではないのでどこからどこまで読んでいいのか当惑したことも何となく覚えている。たしか公園で一緒に遊んでもらう予定だったのが、部屋から動けなくなってしまって結局、一日、お姉さんに時々、わからないところを教えてもらいながら『PEANUTS BOOKS』を読んで過ごしたはず。あるいは公園に漫画をもっていったかも。
 この時の体験についてあらためて母親に尋ねてみたら、その日、母親は健康診断の再検査のためにはるか遠方の病院に行っていたそうでそれは今まで知らなかった事実。しかし、具体的な年代は特定できず。幼稚園の頃だと思うんだけどな。聞けるうちに親に聞きたいことがあれば聞いておくとよいということなのだが、同時に本当に知りたい情報があったとしても得られるとは限らないという・・・。さっぱり要領をえないのが残念。このお姉さんは当時小学生の高学年ぐらいだったはずだが、後にきっちり英文科に進んでいるので初志貫徹ですごいなあ。

 『ピーナッツ』は名言やスヌーピーの哲学として紹介されることも多いし、誰しも好きなエピソードを持っているものだろう。一番印象深いものとしてすぐに思い出すのは、チャーリー・ブラウンがペパーミント・パティに「安心」とは何かを説明している逸話(1972年8月6日付作品/http://www.gocomics.com/peanuts/1972/08/06)。車の後部座席に座って目的地に着くまで何も心配しないで眠っていられることがまさに「安心」の状態なのだが、突然、この立場は予告なく終わりとなり、「二度と後ろの座席で眠れなくなる」。私の場合、父親の運転がヘタだったので、車に乗る際はいつも緊張を伴うもので「安心」をこのように実感しえたことはないのだが、いつからか後部座席ではなく運転する側にまわらなければならなくなるわけであり、アメリカは広いし、16歳から免許が取れるので高校生も自分で運転して通学しなければいけなくなる場合が多い。それどころか私の年齢であれば家族のために安心を提供する側にまわらなければいけないわけで皆それを当然のようにこなしていることを思うと、免許を取得すらしていない我が身を顧みて複雑な感慨に。おそらく訪問者は皆このように『ピーナッツ』と自分の半生とを重ね合わせる不思議な体験を得られるのでは。
 グッズ売り場も充実していて、何から見ていいかわからない子どものような状態に陥ってしまうほど。チャーリー・ブラウンがいつも着ているジグザグ模様の黄色い服を買いかけるが、途中からジャイアンの服にしか見えなくなってしまい断念。お気に入りのキャラクターであるペパーミント・パティのグッズや初期作品の研究書などを買い込み、すっかり堪能しました。







2016年1月9日



 「第89回(2015年)キネマ旬報ベスト・テン」が発表になり、橋口亮輔(1962- )監督『恋人たち』が日本映画部門の第一位に。1993年の第一作『二十才の微熱』から20年を超えるキャリアで長編5作品という寡作ぶりだが、ゲイバーで体を売る男子大学生の日常(『二十才の微熱』)や同性に恋してしまう男子高校生の恋愛や友情(『渚のシンドバッド』1995)を描いた初期作品の青春物語の印象が強烈で、売り専、レイプ、ゲイのカップルによる子ども・家族のモチーフなどセンセーショナルな話題を扱いながら、登場人物の細やかな心情や関係性を丁寧に描く手法に特徴がある。その後、前作『ぐるりのこと。』(2008)、および『恋人たち』では「絶望と再生」をテーマに大人のドラマをじっくり描き、円熟の境地に。ワークショップを経て若手役者の実人生を重ね合わせるかのような演出なども興味深い取り組み。
 同性愛を軸に社会や世間の一般的通念からはみだしてしまう立場からの視点は同質性/画一性/社会のこわばりがますます強まっているかのような今日の日本の風潮においてとても有効で、『恋人たち』のコピーにある「それでも人は、生きていく」が示しているように、不器用だったり、社会や世間の風潮にうまく適合できなかったりしている人物たちが精一杯人生をまっとうしようとしている姿は、観てるだけで苦しくなるけど、力強く励みになる。
『二十才の微熱』の公開時、私自身もちょうど二十歳で(描かれているような繊細な青春とはまったく無縁だったけど)、PFF(ぴあ・フィルム・フェスティバル)など学生映画や映画祭の作品を一番熱心に観ていた時期に印象深く出会った表現者が時代にあわせて成熟を示し、高い評価を受けているのは勝手ながらこちらも嬉しい。私の趣味と実はほぼ重ならないような気もするのだけど、なぜか不思議と惹きつけられ、魅了されてきた。 
「愛について」という担当している授業にて、ゲイカップルが子どもを持とうとする『ハッシュ!』(2001)を取り上げて「新しい家族と愛のかたち」を導入しているのだが、実感としては力不足で未消化な手応えのままであり続けているので、次年度は橋口亮輔の長編5作品を捉え直した上で現在の日本社会における愛や家族の問題やその変遷を提示できるように準備していきたい。

 サンフランシスコのカストロ通りはLGBTコミュニティ/ゲイタウンの代表的な地区として知られていて、ひところのように全裸の男性が闊歩しているということはないけれども(と思うけどどうだろう?)、レインボー・フラッグで町全体が覆われていて(アップル社の広告や横断歩道もレインボー・カラーに!/レインボー・フラッグの発祥の地)、今でもシンボル的な地区であり続けている。市民権をめぐる芸術や運動に対する功績をなした人物に対する記念碑が道に埋め込まれていて、オスカー・ワイルド、ヴァージニア・ウルフ、ガートルード・スタイン、ジェイムズ・ボールドウィン、テネシー・ウィリアムズからフリーダ・カーロ、三島由紀夫まで記念碑を探し歩くのも楽しい。
 2011年に創設されたというGLBT歴史博物館は、入館料5ドルのささやかなものではあるけれども、この地にあって歴史を学ぶことができる意義は大きい。お目当ては何といっても「カストロ通りの市長」として同性愛の権利活動家として活躍したハーヴェイ・ミルク(1930-78)の足跡を讃える展示。ミルクは1977年に同性愛を公表して立候補し、当選した米国で最初の公職者となるが、78年には暗殺されてしまっている。1984年制作のドキュメンタリー映画『ハーヴェイ・ミルク』およびショーン・ペン主演による映画『ミルク』(2008)などを通して、同性愛のみならず、人種・階級問題などに対する取り組みが讃えられ、伝説化・再評価が今もなお続いている。もともと東海岸出身のハーヴェイ・ミルクがサンフランシスコに移住してきたのは1972年のことで、1960年代末に近隣のハイト・アシュベリー地区で起こった「サマー・オブ・ラブ」と称する文化社会運動の盛り上がりにあわせて、20歳年下のゲイのパートナーと共に移り住んでいる。映画『ミルク』はこのサンフランシスコ移住以降の8年間を描いた物語。さすがに聖地だけあって、ミルクがパートナーと共に開業したカメラ店や、彼の名前を関した広場などミルクの足跡を今もなお至るところで確認できる。
 映画『ミルク』の監督は、ゲイであることをカムアウトしているガス・ヴァン・サント(1952- )で、早逝してしまったリバー・フェニックス(1970-93)を主役に据えたロード・ムービー『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)や、銃乱射事件を題材にした『エレファント』(2003)など、特に十代の同性愛をモチーフにした抒情的な映像表現を特色とする(十代の物語を主要なモチーフとして描き続ける映画監督・勝又悠もガス・ヴァン・サントの『永遠の僕たち』[2011]への影響に言及している)。青木ヶ原樹海を舞台にした新作映画『追憶の森』が5月に公開予定であるようだが、橋口亮輔のフィルモグラフィーともあわせてじっくり比較検討してみたい。
 カストロ通りのGLBT博物館を訪問した収穫として、日系アメリカ人、ジロー・オオヌマ(大沼二郎、1904-90)という人物が大きく特集されており、興味深く展示を見学した。サンフランシスコ芸術大学で教えている映像作家ティナ・タケモトによるドキュメンタリー映画『ジローを探して』(2011)などを通して近年、注目されている人物であるようだ。ジロー・オオヌマは1920年代に19歳でサンフランシスコに移住し、洗濯業などで生計をたてていたようだが、男性のヌード写真などを撮影・収集することを趣味としており、第二次世界大戦中、日系強制収容所(オオヌマが送られたのはユタ州トパーズ)に送られた際の所持品没収でその性的嗜好が露見するなど、数奇な人生を送っている。詳細はタケモトによる論文( “Looking for Jiro Onuma: A Queer Meditation on the Incarceration of Japanese Americans during World War II”『GLQ: A Journal of Lesbian and Gay Studies』Vol. 20-3 [2014]: pp. 241-275)で一望できる。
カストロ通り自体がもともと第二次世界大戦期にアメリカ陸軍が同性愛の性的嗜好を理由にサンフランシスコで除隊させたところからゲイタウンとして発展していった歴史的背景からも、ジロー・オオヌマの足跡からカストロ通りおよびマイノリティの境遇の発展史を探っていく試みは確かに興味深く意義深い。














2016年1月7日



 新世代青春映画の旗手と称される映画監督・勝又悠(1981- )の作品は確かに不思議で複雑な感慨をもたらしてくれるもので、思い返して楽しい青春時代なんてまったくなかった者にとっても懐かしさを、年齢を重ねた立場であっても心が走り出してしまうような気恥ずかしさや躍動感を、いつも追体験させてくれる。
 郷里である神奈川県南足柄市(小田原市・箱根町周辺)を舞台に女子中高生の日常をスケッチのような形で描いた短編作品を数多く発表してきており、AKB48のメンバーなどを起用した中・長編映画『はい!もしもし、大塚薬局ですが』(2010)、『オードリー』(2011)、『いつかの、玄関たちと、』(2014)などが代表作となるだろうか。南足柄の町はおそらく地元の人にとってはうんざりするほど何百回と言われているであろう民話の「金太郎」で有名な町であり、神奈川県で一番人口が少ない市でもあるそうで、東京や地方中枢都市との微妙な距離感が物語においても大きな役割をはたしている。地元に残る者ももちろんいるだろうが、圧倒的多数は高校を卒業すると町の外に出ていってしまうわけで、「今、ここ」で過ごす十代の限定された時間と光景が刹那の感覚を特別なものにしている。
地方を舞台にしたアイドル映画ということであれば、先人として大林宜彦を想起しないではいられないが、実際に勝又悠の初期作品を逸早く評価しているのが大林宜彦で、2007年に短編映画『青空夜空に星空』がある映画祭のグランプリを受賞した際の審査委員長を大林がつとめている。とはいえ勝又本人が映画製作を志し、影響を受けた作品として言及されているのは、『バトル・ロワイヤル』(2000)と『ラブ&ポップ』(1997)であり、このラインは私としては合点がいくもので、そういう系譜ができるんだなあと。そもそも巨匠(大林宜彦)の方はAKB48の「So Long!」(2013)一曲分のプロモーションビデオ制作を頼まれたはずなのに勢い余って64分の大作を作り上げてしまうなどアバンギャルドの極北を今もなお突き進んでいるのでとてもではないが後をついていける存在ではない。

 勝又作品はそこらへんにいる女子高生がただ喋ってるのをスケッチとして写し取ったような迫真性に魅力があるのだが、そうはいっても私も含めてたいていの人にとっては「そこらへんにいる女子高生」が実際にどんなふうに喋ってるのか詳しくは知らないのが実情であるわけで、きっとキャストと綿密に打ち合わせをしたり、実際の十代女子に取材をしたりして台詞や間合いを作り上げているのだろうと素人目には思ってしまうところだが、監督曰く、「頭の中に10代の女子が住んでいて、彼女が勝手に(物語を)描いてしまう」とのこと。いくら思春期に思い入れがあるという表現者でも、「あんた誰が好きなの?」「好きなら好きって言わなきゃ」などの話を職業的にずっと作り続けなければならないとしたらしんどいだろう。さすがにフルスイングで振り切っているだけあるなあ。
つくづく巧いと感心させられるのは、一貫して十代の青春物語に軸を置きながら作品によって見せ方に趣向が凝らされている点。最初の商業作品となった『はい!もしもし、大塚薬局ですが』(2010、48分)では中学生女子(AKB48小林香菜主演)の初恋の話を中心に、円城寺あや演じる薬局につとめる中年女性(設定は40歳)を介入させることで2つの世代を交錯させている。概して十代の物語は「セカイ系」に顕著に表れているように作品世界がどうしても閉じてしまいがちなところを異なる世代を交えることで中学生女子の世界を相対化する視点を導入すると同時に、40代にも影響を及ぼす(枯れたはずのおばさんが青春を取り戻そうとする)展開もベタだけど巧い。監督自身は「この脚本で撮れると思わなかった」と述懐していて、確かに派手な物語ではないが、初恋の中学生女子のおまじないを媒介に薬局のおばさんと繋がるというのもおもしろいし(学校の教師や親ではなく)、大人になってからの回想やタイムスリップの手法を用いるとしたらありふれた物語になってしまう。「うちら友達でしょ?」(「友達じゃねえよ」)の言葉の背後に潜む女子同士の思惑や、ケンカになって「ぶっ殺してやる」と女子同士で飛びかかって首を絞め合う展開など、中学生ってなかなか大変だなあと思わされるけど、すべてが全力で加減を知らない感じが不思議な活力をもたらしてくれる。
 『オードリー』(2011、67分)は高校生の物語(笠原美香主演)で、仲の良い女子三人組が屋上にしのびこんで夜中まで話し込んだり、親友の頼みで本心を隠したまま片想いの相手と期間限定でつきあうことになったりなど現実離れした展開が続くのだが、それはそれで引き込ませるテンポの良い演出の力が見事。こういう作品は斜に構えて観ても仕方がなくこちらも覚悟を決めて入り込むしかない。短編『つまさき』(2008、12分/「第3回デジタル岡山グランプリ」受賞作として岡山県立図書館HPより閲覧可能)での「男だったら黙って目をつぶれよ」(と言ってつまさき立ちでキスする)の台詞とか、冗談交じりに告白する場面とか、現実にありそうで実際にはないかもしれず、でもそんな感じもリアルに映るものでもあり、ディテールがまさに「新世代の青春映画の旗手」ならでは。吉田秋生原作・中原俊監督の映画『櫻の園』(1990/2008)を想起させられるのだが、文化祭という装置(設定)が大きな役割をはたす系譜の物語の進化形に位置づけられるだろうか。
『いつかの、玄関たちと、』(2014、85分)は高校卒業後に町を出て東京に進学することが決まっている女子高生が主人公(NMB48藤江れいな主演)の物語で、そこに18年間絶縁状態だった姉が突然帰ってくるところから物語が展開し、「家族」や「地方」の問題が描き込まれていく。『オードリー』のモチーフを追求し続けていっても表現の幅は狭くなる一方なので巧い展開だなあと感心したし、作品もおもしろかったのだが、なぜかいつまでたってもDVD化されずに今に至っている。はて? 青春物語からは徐々に卒業していって器用な監督になってしまっていってもおかしくないのだが、『ワールドオブザ体育館』という18分のスピンオフ短編も同時に発表していて(やはり藤江れいな主演)、こちらは目が覚めたら体育館にいて一人きりの卒業式を迎えるという幻想的な作品。商業作品を成立させる上で抑制した要素をスピンオフの形で表現し尽す姿勢が何よりも素晴らしい。

 結構、器用でクレバーな表現者であるようにも思うのだが、頭の中にいるという十代女子が走り出していくような振り切った物語を今後も紡いでいってほしい。2010年ぐらいまでの短編は『勝又悠短編集DVD「小田急足柄線」』としてまとめられているのだが、続編もぜひDVD化してほしい。十代女子の日常をスケッチするような短編が巧いのだが、やはり長編の新作を期待したい。新作が一番気になる表現者の一人。










2016年1月5日

 アメリカ文化論への導入装置として「ディズニー」は万能に機能する存在であり続けており、マーク・トウェインやトム・ソーヤにしたところで、「あのディズニーランドにおいて特別に扱われているぐらいだからすごいのかもしれない」ということで関心を持ってもらえたりする。その後に繋げることが多い『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985-90)にしても現役の大学生からすれば「生まれる前の古典」の扱いで「名前は聞くが観たことのない」作品になってしまっており、ブルース・スプリングスティーンに至っては「こめかみに脂汗をしたたらせながらシャウトしてるおっさん」以上の関心をなかなかもってもらえないのが現実だったりする。
 ウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアムはサンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジ周辺、プレシディオと呼ばれる米国陸軍基地跡地に2009年にオープンした施設で、主にウォルト・ディズニーの生涯とディズニー・スタジオの遍歴をたどる展示が充実している。辺鄙な場所にあるのに冬休みの時期ということもあり、日本人大学生らしい人たちがちらほら。情熱のなせるわざなので趣味があるというのは素晴らしい。
1901年生のウォルト・ディズニーは20世紀メディア文化史のみならず、その歩み自体が激動の時代の20世紀と重なっていて年代順にその足跡をたどっていくことで時代変貌のダイナミズムが浮かび上がってくる。
アイルランド系移民としてのファミリールーツについて、あるいは、戦時中から冷戦期にかけての政府や反共産主義に対する関与などアメリカ文化史との関連だけでも重要な観点には事欠かないものの、このたびのミュージアム訪問で一番興味深いと思ったのは1964-65年のニューヨーク万博への関与と実験未来都市構想「EPCOT」について。この点については映画『トゥモローランド』(2015)の公開にあわせて様々に取り上げられているようだが、交通手段やテクノロジーの利便性と田園都市構想との共存など、「郊外化・消費文化」の流れに加えて1960年代の未来観が重ね合わされている点がおもしろい。ウォルト・ディズニーの父親イライアスが1893年のシカゴ万博に仕事で関与しており、その想い出話を子ども時代に聞かされたことがディズニーランドの着想に影響を及ぼしているのではという説もあるように、最晩年のディズニーの大きな仕事がニューヨーク万博のパビリオン設計となったのも20世紀メディア文化史の体現者として運命的帰結であるようにも思う(1964年のニューヨーク万博は会期などの基準を逸脱し、アメリカ中心主義・商業性が強いものであったために万博としては非公認扱い)。
「EPCOT」構想はフロリダのディズニー・ワールド・リゾート(1971年開園)で一部、テーマパークとして具現化されているのだが(1982~)、ニューヨーク万博にてディズニーは4つのパビリオン設計に関与しており、ジェネラルエレクトリック社提供パビリオンの「プログレスランド」ではオーディオアニマトロニクス(機械人形)により、電化製品の発展史とアメリカ中流階級の家庭像の変遷をたどっている。あるいは、ディズニーの出身地であるイリノイ州提供のパビリオンでは、同じくイリノイ州議員として政治活動を展開したリンカーン大統領の機械人形を展示。冷戦期からカウンターカルチャー/公民権運動にかけてのリンカーン再評価の流れと併せて見ていくと、アメリカ中心主義を象徴するニューヨーク万博にて、ディズニーの手によってリンカーンが復活するというのも象徴的に映る。自動車会社フォード社提供パビリオンの「マジックスカイウェイ」では、車に乗って恐竜のいた先史時代から人類の歴史を一望するアトラクションで、鉄道好きでも知られるディズニーの乗り物文化に対する相性の良さも良く現れている。

 このたびのミュージアム訪問でもう一点興味深く思ったのは、初期映画「アリス・コメディ・シリーズ『マンガの国のアリス』」(1923-27)と称される、それぞれ6分から10分程度の短編映画群。実写映画を軸に女の子がアニメーションのファンタジー世界に入り込むという体裁をパターンとするもので、さらに遡り、アニメーション映画草創期のウィンザー・マッケイの代表作『恐竜ガーディ』(1914)やフライシャー兄弟『インク壺の外へ』(1919)などにおいても現実と空想の世界を繋ぐ形でアニメーションが機能している。
「アリス・コメディ・シリーズ」は当時、発足したばかりのディズニー・カンパニーの財政基盤を支えたヒット作であったにもかかわらず、実写映画の技量に乏しく、猫のキャラクター(ジュリアス・ザ・キャット)も物語のアイディアも先行作品の模倣が目立ち独創性に欠け・・・と今日では人気も評価も低いのが実情であるのだが、トーキー映画の誕生期となる1927年までに計57作、海に行ったり、ジャングルに行ったり、幽霊が出てきたリ、異国情緒あふれる外国を旅行したり、闘牛をしたり、風船に乗ったり・・・とステレオタイプによる図式化なども含めた上で当時の冒険世界の捉え方が見えてくる。フランスのコミック『タンタンの冒険』(1929-76)を連想しながら展示を眺めていたのだが、その点でも女の子が主役の冒険物語というのはおもしろい。ヴァージニア・デイヴィス(1918-2009)から計4代の子役女優が代替わりで主役をつとめている。

 ほか、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦する直前の1941年にウォルト・ディズニーが中南米親善大使として南米旅行を敢行し、『ラテン・アメリカの旅』(1942)、『三匹の騎士』(1943)の作品制作に関与しているのも、政治文化状況や表層的な異文化理解などをめぐる批判も視野に入れた上でなお興味深い素材。満州映画協会の国策事業とソフトパワーの政治的力学などの観点から比較することで見えてくることもありそうだ。
また、ウォルト・ディズニー制作による『砂漠は生きている』(1953)、『滅びゆく大草原』(1954)などのドキュメンタリー映画を通して、自然観、動物観やドキュメンタリーの捉え方なども文化史や作家研究の観点で捉え直してみてもおもしろそうだ。『砂漠は生きている』は日本でも年代によって学校行事で鑑賞した(させられた)経験を有するようであるが、ウォルト・ディズニーほどのメジャーな表現者の作品が、一部のファンや研究者を除いては、実は意外に共有されていないのではないかということにあらためて気づかされた。
 さらに特別展「ディズニーとダリ――想像力の設計者」も行われていて、1945年頃に共同制作を進めながらも生前には完成に至らずに終わった短編アニメーション映画構想『ディスティーノ(運命)』(6分)もあった(2003年にディズニー・カンパニーにより発表)。シュールレアリズムのサルバドール・ダリ(1904-1989)と同時代人と言われれば確かにそうかもしれず、とりわけ夢や無意識の領域をどのように視覚的に表現するか、という観点はディズニーとの交流を超えて気になるところではある。とはいえ今の私にはさすがに消化不良なので190頁ある図録をこれからゆっくり楽しみたい。図録で印象深いのはダリのマルクス兄弟への傾倒ぶりでその思い入れの強さが凄い。










2016年1月3日

 アメリカのマンガ文化は男の子中心で、というのはよく言われることだけれど、その一方で女の子文化としてのヤング・アダルト(YA)小説やティーン向け映画は発展を遂げてきており、その流れは近年マンガ文化にも繋がってきているようだ。
ジェニファー・L・ホルム(1968- )&マシュー・ホルム『サニー・サイド・アップ』(2015)はペンシルヴァニアに住む十歳の女の子サニーがおじいさんの住むフロリダでひと夏を過ごす話。フロリダといえばなんといってもディズニー・ワールドなので、さっそく連れて行ってもらえることをサニーは期待していたのだけど、「あんなところは観光客用の罠だから」と相手にしてもらえない。温暖な気候で退職して移り住む街という印象が強いフロリダの土地柄、周りはお年寄りばかりで年齢の近い子どもの姿を見かけることも少なく、サニーは早々に退屈してしまう。そんな中、地元に住むアメコミ好きの男の子バズと友達になって、アメコミの世界を紹介してもらったり、ゴルフ場のロストボールを拾い集めて持っていくとお金をもらえたり、川にはアリゲーターがいたり、と徐々に世界が広がっていく。一回読むだけでは構成がわかりにくいのだが(よく読むと回想と現在が交錯して物語が展開している)、もともとは夏に家族旅行を予定していたはずが「女の子の一人旅」となってしまった背景に家族をめぐる問題があったことが明かされる。「著者あとがき」においても、ドラッグやアルコール依存症の問題を抱える身内がいた場合に子どもが抱えてしまうであろう心の問題が作品の主要テーマの一つであったことが示されている。作者のジェニファーとマシューは姉弟でこの作品は「半自伝的」作品であるという(設定されている年代も1975-76年)。
特別なことが起こるわけでも、男の子との間に恋愛や初恋の感情が芽生えるというわけでもなく、おじいさんとの間の交流も特にいつもずっと一緒に過ごしているというわけでもないのだけど、でもたぶん確実にサニーにとって忘れられない特別な想い出になるだろうという十歳の女の子のひと夏の冒険物語。タイトルの「サニー・サイド・アップ」は目玉焼きを意味する言葉と女の子の名前をかけて、「ずっと明るく笑顔でいてほしい」というおじいさんの言葉から。この作品は日本でもぜひ紹介(翻訳)されてほしい。現役の少女読者だけでなく、かつて少女(少年)だった人たちにもお薦め。
ジェニファーは児童文学で定評あるニューベリー賞受賞作家で、『ペニー・フロム・ヘブン』(もりうちすみこ訳、ほるぷ出版、2008)、『14番目の金魚』(横山和江訳、講談社、2015)などの翻訳(小説)がすでにある。日本の児童文学の翻訳受容はさすがにすごい。

 レイナ・テルゲマイヤー(1977- )『スマイル』(2010)は、小学6年生の女の子の話で作者と同じレイナという名前が付されていることからも高校までを描いた「自伝的回想録」(グラフィック・メモワール)。はしゃいで遊んでいた際に前歯を2本折ってしまい、その後、思春期の長い間にわたって義歯や歯列矯正、手術などに悩まされることになってしまう。この年代の女の子にとって歯の問題を抱えてしまうことは大きなハンディになりうるもので作者自身思い返すのも辛い体験であったようだが、作品の発表後、読者から同様の体験に根差した共感の反応を思いのほか多く得たそうだ。ニキビができたり、突然髪の毛が巻き毛になったり、第二次性徴に伴って体つきが変わっていったり、好きな男の子のことや、男子にからかわれたり、授業中に女子同士で手紙をまわしているのを先生に見つかって怒られたりなど・・・、日本のマンガだと今さら物語の素材になりそうにないぐらいどこにでもありそうなありふれた話がアメリカの女の子を主人公にしていることでひときわ新鮮に映る。前歯を失った最初の頃は笑顔をうまく作れなかった主人公が自然に笑えるようになるまでを描いており、時代・世代を超えて読み継がれる作品になりそう。

 アン・ハリデイ(1965- )&ポール・ホップ『ピーナッツ』(2012)は、高校入学前に親の事情で転居してしまったことから新しい場所で新しい人間関係を作らなければならなくなった女の子が主人公の物語。思春期特有の自意識の現れからか、ピーナッツ・アレルギーがあるという嘘をついてしまい、緊急時のための「メディカルIDリストバンド」を腕につけ、学生食堂で食事を注文する際にはピーナッツが成分として入っていないことを確認してもらうなど特別扱いをされることで、ちょっとだけ得意になったりしている。よりによってそんな嘘つかなきゃいいのにというのは誰しもが思うことで、この設定だけで結末に何が起こるか先が読めるのだが、まあそういうどうでもいい自意識のあり方や浅はかさもまたこの年代特有なものであるわけで、まったく新しい環境で人間関係を作らなければいけない緊張感や、担任の先生、学校看護師(スクールナース)、親や友人たちなどとの間の繊細な人間関係などが丁寧に描かれている。作者のハリデイは、主にライター(コラムニスト)、ノンフィクション作家であり、演劇で役者などもやっているようだが、この『ピーナッツ』が最初で、今のところ唯一のグラフィック・ノヴェル作品。

 ティーンの女の子を描いたマンガ(グラフィック・ノベル)と一口にいっても、もちろん描かれる年齢によっても、その主人公の性格類型によっても多様であるわけで単純に概観することはできないものであるが、『サニー・サイド・アップ』と『スマイル』はヤング・アダルト小説の流れに繋がる潮流と言えるものであり(実際、児童書を得意とする同じ出版社[スカラスティック社]から刊行)、一方、『ピーナッツ』は現役のティーン向けというよりは大人の読者を想定したグラフィック・ノヴェル。
それぞれ重なりあう面もあれば、手法や読者層など異なる面もあり、「女の子を描いた/女性アーティストが描いた/女性読者を想定した」物語の多様性が窺えておもしろい。とはいえ読者のレビューからは思春期を扱っている視覚文化に対する戸惑いの方が大きいようで、「娘のために買ってみたものの不適切な表現が多いので心配」という反応が散見される。ヤング・アダルト小説の方がはるかに表現では先をいっているはずだが・・・。そういった反応を含めてもこれからの展開がますます期待される領域。



















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