借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

2016年03月の記事

2016年3月25日



 7枚組アーカイブ版『ザ・リバーBOX』(The Ties That Bind: The River Collection、2015)に焦点を当てたブルース・スプリングスティーン&Eストリートバンドによるライブツアー「ザ・リバー・プラス」がますます快調。全米公演に加え、5月からはヨーロッパツアーに引き継がれていく。1980年発表の2枚組アルバム『ザ・リバー』を全曲再演し、その後、往年のヒット曲が続く標準セットリストは35曲、3時間半以上! BOSS(スプリングスティーンの愛称)も66歳なわけで、「オレはまだまだやれる」と若さを無理に誇示しなくても・・・などとつい思ってしまうところだが、とにかく楽しそうに演奏している姿に加えて、様々な人生模様を織りなすスプリングスティーンの物語詩そのままに、観客の姿からもそれぞれの物語が立ち現れてくるかのようなところがBOSSのライブの魅力。
 1973年デビューであり、42年もの間、第一線に立ち続けているわけで(なおかつ21世紀にもっとも精力的に新作を発表し続けてきている表現者の一人でもある)、そのライブに集う人々の人生の中に曲が浸み込んでいる様子を垣間見るのも楽しい。日本では1997年以降公演がなされておらず、現在の欧米での人気ぶりからは日本で同等の興行が成立しうるとは考えにくく、ライブを体験したければ海外公演に出向くしかないのだが、幸いなことに滞在中の西海岸の街にBOSSが来てくれることに! 私にとっては、97年の東京国際フォーラム、2009年NYのマディソン・スクエア・ガーデン公演に続く3回目。2009年の際はアルバム全曲再演を日替わりで行っていた時期で、実は偶然にもその際も『ザ・リバー』公演。通常であれば十数曲のアルバムを再演後、ヒット曲になだれ込む構成だったのだが『ザ・リバー』は2枚組20曲のため再演後ほどなくしてエンディングとなってしまい、しかも私にとっては不得手なアルバムだったこともあってその時点ではうまく消化できなかった。

 スプリングスティーンといえば、私の世代では御多分に漏れず『ボーン・イン・ザ・USA』(1984)で、小林克也の『ベストヒットUSA』(1981-89)を観ては翌週の朝礼時に友人と話題にするのが楽しかった時期に圧倒的に売れていて、同じアルバムから7曲もシングルカットされていたぐらいだったので好きも嫌いもないほど身近な存在だった。流行歌とはまさにそういうもの。加えて、「ウィー・アー・ザ・ワールド」(1985)では子ども心をくすぐる絶妙なパフォーマンスで大人数のミュージシャンの中でもひときわ印象に残る(笑える)。あれから30余年。今でも現役第一線であり続けてくれることがひたすらありがたい。いかにも甘やかされた感じで申し訳ないのだが、クリスマスだったか何かでCD1枚買ってやると親に言ってもらって、3枚組(LP換算で5枚組)のライブアルバム『LIVE 1975-85』(1986)をすかさず選んだこともよく覚えてる。
 アメリカのティーン・フィルムでは主人公の内向的な少年が愛聴している音楽がスプリングスティーンであることが多く、「こんなチンケな街から抜け出したい」という十代男子特有の心情と特に初期作品は相性がよいのだが、私の中高校生時代に出た新譜は『トンネル・オブ・ラブ』(1987)のみで、肝心のティーンネイジャー時代の想い出とあまり重ならないのが残念。「ボーン・イン・ザ・USA」の爆発的流行に戸惑い、私生活でも離婚の只中で模索していた時期の作品で人気のあるアルバムとは言い難く、「スプリングスティーンは政治家でも目指すつもりなのか」と揶揄されていた頃。

<1>“Good Evening, Oakland!”“Yeah!”
 バークレーの隣町オークランドのオラクル・アリーナは、なぜかものすごい厳戒態勢のセキュリティ・チェックでぴりぴりと張り詰めた雰囲気。リュックを背負ってたら「持ち込みできないので預けて来い」とのこと。もー、雨の中、人込みをかきわけて大変でしたよ。
 ちょうど全体を見渡せる席だったこともあって(要するに後ろの席)、人々の様子がよく見える。あるカップルの姿が印象深いもので、旦那が熱心なファンらしく、顔を紅潮させながら全身で喜びを表現している。
「すごいよ、『ロザリータ』だよ。来てよかった!」
「よかったわね」
 最初は満面の笑みで応えてくれていた奥さんの愛想笑いも3時間近くなるとだんだん引き攣ってくる。最後は「あなた、明日も仕事あるんでしょ。もう帰るわよ」と余韻に浸っている旦那を引きずるように退場。
 別に男性だけが主要なファン層であるわけではもちろんなくて、初老の女性がカクカクした不思議な踊りで楽しんでいる姿も微笑ましい。

<2>“Good Evening, Los Angeles!”“Yeah!”
 続いて向かったのはロサンゼルス・スポーツ・アリーナ。
 予定の開演時間を超えても入場まで長蛇の列ができていて、「これじゃあさばききれないまま演奏がはじまっちゃうんじゃないかな」と冗談めかして笑ってたら、本当にいつまでたっても進まない。最後尾を示してくれる係員もおらず、スタッフの数はそれなりに多いのに全体を把握できている人がまったくいないようで、たまたま通りがかった係員に誰かが「この席のチケットはこの列でいいのか?」と尋ねると皆が確認のために殺到。たちまち処理しきれなくなると露骨にキレる。もうむちゃくちゃ。結局、セキュリティ・チェックは「両手をあげたまま適当に素通りしてくれ」。This is America.
 座席案内もまったく行き届いていなくて、結局、観客同士がお互いに教えあっている。いつも思うが大国アメリカがこんな有り様で成り立ってるのが不思議でならない。

 目の前の席はお父さんと息子2人、娘1人の4人組一行。長男らしき少年は曲にあわせた腕の突き上げ方と声のかけ方をお父さんから教え込まれている。小学校高学年か中学生と思しき、次男と女の子は「連れてこられた」感一杯で、ふだん聴いている音楽とは明らかに違うであろうながらも、独自の踊りをお互いに開発して披露しあっている。特にローティーン女子、やっぱりすごい。洗練されていてセンスいいなあと感心してしまった。
 終盤になって「涙のサンダー・ロード」(1975)のイントロがはじまると、お父さんが感極まって咆哮をあげた後、親子で肩を組んで合唱。お父さんの人生の中で「サンダー・ロード」を特別な曲にさせる何があったのか知る由もないが、それぞれの人生の中にスプリングスティーンの曲が脈打っている様子が伝わってくるのはまさにライブならでは。お隣もお母さんと娘の2人連れ。親子の組み合わせも目立つ。

<3>“Good Evening, Seattle!”“Yeah!”
 最後はシアトル(ワシントン州)・キー・アリーナ。当初は予定に入れていなかったのだが、Popular Culture Associationの学会参会期間に追加公演として発表され、ちょうど研究発表後の日程でタイミングもばっちり。とはいえ他の人たちの様子を微笑ましく眺める余裕など実はなく、「家計も苦しいのにもうさすがにつきあいきれん。行くなら一人で行ってこい」と同行者に言い放たれ、いよいよ一人に。
 オークランド・LAとはうってかわって入場・誘導も万事スムーズ。この日はシアトル出身のバンド「パール・ジャム」から、エディ・ヴェダーがゲスト出演し、「ボビー・ジーン」(1984)を披露してくれた。好きな曲なのでこの一曲だけでも来てよかった。

 というわけで3回(2009年を含めると4回)「ザ・リバー」ライブを体験できたのは無上の贅沢ではあるのだけど、1回目では3時間半以上のリズムをうまく掴めなかったので(同行者曰く「これで終わりかなと思う瞬間が10回以上あった」)、2回目以降がやっぱり楽しい。『アーカイブBOX』を3ヵ月間聴き込むことができたおかげで、『ザ・リバー』というアルバムがまるでオペラのように起伏あるドラマとして浮かび上がってくるのをライブで実感することができた。また、スプリングスティーンの訳詞は詩人・三浦久によるもので、翻訳詩を併せて楽しむことができるのは日本語話者としての特権であるとつくづく思う。『アーカイブBOX』リリースにあたり、新たに発表された「アウトテイク集」部分のみならず、既訳にも手を入れられたそうで一語に込める思い入れの強さに心を打たれる。

 スプリングスティーン研究は様々に展開されており、中でもブルース・スプリングスティーン学会は2005年と2009年にスプリングスティーンの出身地であるニュージャージーにて彼の誕生日となる9月に開催されている。次回の開催はいつになるかわからないが、残念ながらまだ参加したことがないので次回は研究発表ができるといいな。








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2016年3月23日



 記念すべき第一回「シリコンバレー・コミコン(コミック・コンベンション)」がカリフォルニア州サンノゼ・コンベンションセンターにて3日間(3月18-20日)開催。先行する「コミコン・インターナショナル」は南カリフォルニアのサンディエゴにて1970年以降開催され続けている伝統的で人気の高いイベントであり、近年はあまりの人出の多さにチケットや宿泊の手配も困難をきわめ、会場は飽和状態。21世紀以降はニューヨークやシアトル、シカゴ、テキサスなど様々な都市でそれぞれの地域による独自のコミコンも相次いてスタートし、着実に定着してきている。

 シリコンバレー・コミコン会場の至るところでアイコンとして描かれている「人の良さそうなあのオタクの大将みたいな人は誰だろう?」などと呑気に思ってたら、アップル社の共同創始者である、「ウォズ」こと、スティーブ・ウォズニアック(1950- )! 若き日のスティーブ・ジョブズに何度も何度もピンハネされていた伝説のエンジニアではないか。ウォズの出身地がこのサンノゼであり、シリコンバレー発祥の地とされるヒューレット・パッカードのインターンシップでスティーブ・ジョブズと知り合っていることからも、まさに生まれも育ちもシリコンバレーを体現するアイコン的存在。シリコンバレー・コミコンは、ウォズとアメリカン・コミックスの巨匠スタン・リー(1922- )が共同発案者として名を連ね、ポップ・カルチャーの祭典としての従来型のコミコンに、テクノロジーの要素を強調した新しいスタイルを志向するものとして構想されたと言う。
 御年93歳(!)のスタン・リーとウォズによるプロモーション・ビデオまで制作されており、さすがに2人とも様々な物語の中でキャラクターとして描かれてきただけある。閉会を記念するトーク・セッションでは企画者2人によるかけあいのようなトーク・ショーがとても楽しく、「スマイリー・スタン」と名を馳せたスタン・リーとウォズの人柄の良さがにじみ出るものであった。年次大会として今後も継続されていくことが早々に発表されており、さらに連動イベントとして12月3・4日には幕張メッセにて「TOKYOコミコン」の開催も予定されている。

 「テクノロジーに特化したコミコン」を謳うわりには運営やタイムマネージメントも含めて全体的に「ゆるい」雰囲気で、それはそれで居心地のよい面があるものの、コミコンの進化系を展望しうるほどのインパクトは持ちえなかったというのが正直なところなのだが、アーティストや評論家、研究者を軸としたパネル・セッションでは「サイエンス」「テクノロジー」「ギーク(アメリカのオタク)・カルチャー」を銘打った企画が多く、さらに展示場では「VR(ヴァーチャル・リアリティ)体験ゾーン」などの存在が特色となっている。シリコンバレー・コンは第一回目の開催ということもあり、これからの展開に期待。それこそITとポップ・カルチャーの相互作用は様々に発展可能であろう。その一方で、コミックスや映画のキャラクターに扮した親子連れの姿も目立ち、ポップ・カルチャーの祭典を皆がリラックスして楽しんでいる様子が印象的であった。
 もともとはコミック・コンベンションであり、展示販売場にはビンテージ物のアメリカン・コミックスやフィギュアなどのグッズが所狭しと並び、表現者による作品展示/サイン会に加え、「特別ミュージアム展示」として、「スタンリー・コレクション」や『スター・ウォーズ』にまつわる世界最大の個人コレクションとして認定されている「ランチ・オビ=ワン・コレクション」、2015年9月より閉館中の「カートゥーン・ミュージアム」の出張展示なども楽しむことができる。さらにコミコン定番のコスプレ・コンテストももちろんあり、100を超える参加者が登壇! さすがにもう少し予選で絞ってもらった方が見てる方は間延びしないですむのではとも思ったが、地元密着の市民イベントとしては皆が参加できる方が確かにいいのかも。

 そんなこんなでコンベンションの楽しみ方は様々。このたびのシリコンバレー・コミコンの目玉は何と言っても、「ウォズ」とスタン・リーの共同発案者でありレジェンド同士のツー・ショットにあるわけだが、その他にも『スター・トレック』の初代カーク船長役ウィリアム・シャトナーの登場や、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を記念するトーク・イベントなども。
 近未来を舞台にしたシリーズ第二作の時代設定が2015年だったこともあり、昨年は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985-90)に対してあらためて注目が集められたが、「テクノロジーに特化したコミコン」を代表する作品としてこのたび特集企画が組まれ、マーティ役のマイケル・J・フォックス、ドク役のクリストファー・ロイド、マーティのお母さん(ロレイン)役のリー・トンプソンの3人を囲むトーク・セッションがメインイベントの一つに。クリストファー・ロイドは現在77歳で新作映画(I am not a Serial Killer, 2016)のプロモーションも兼ねており、お元気そうでした。ドク役などのコミカルな印象とは異なり、落ち着いた雰囲気(ドク役の頃は40代だったのか!)。マイケル・J・フォックスはとにかく常にユーモア混じりでやっぱり華がある。
 えー、私のお目当てはリー・トンプソン(皆、「リア」って呼んでるな)。タイムスリップした挙句、「お母さんに好かれてしまう」というコメディの要素は、ロレインが魅力的に映らないと成り立たないわけで、「1950年代の高校生女子」役とお母さん役を併せてこなす難しい役どころを好演している(はずなのに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はマーティ+ドクが圧倒的人気)。加えて、私にとってはジョン・ヒューズ脚本によるティーン・フィルム『恋しくて』(1987)のアマンダ役としての存在で、絵を描くのが好きな内気な主人公男子が憧れる女の子役。サインをもらう際に、『恋しくて』(Some Kind of Wonderful)が好きな映画ということを伝えたら、タイトルをもじった言葉を添えてもらいました。
 さらに、翻訳もある『バック・トゥ・ザ・フューチャー完全大図鑑』(2015)の著者マイケル・クラストリン氏とも一緒に写真を撮ってもらうなど、すっかりファン・イベントを楽しむことができました。
 さて、来るべき12月の「TOKYOコミコン」がどんな感じになるのか想像もつかないのですが、「テクノロジーに特化したポップ・カルチャーの祭典」として日本/東京を巻き込むことの意義を「ウォズ」が強く主張したことに由来するらしく、英語圏を超えたコミコンの新しい可能性を探る上でも楽しみ。







2016年3月7日


 ボデガ湾で一泊後、内陸にあるサンタ・ローザに引き返してさらに奥にあるグレン・エレンという街に足を延ばす。「放浪作家」ジャック・ロンドン(1876-1916)が終の棲家として選んだ街であり、現在は歴史記念公園(州立史蹟公園)となっていて「幸せな壁の家」と命名された家などをミュージアムとして見学することもできる。1400エーカーという途方もないぐらいだだっ広い土地にてロンドンは本格的な牧畜運営にも乗り出しており、グレン・エレンの大農園はロンドンにとっての理想郷/実験場であった。
 バスを乗り継いで片道4時間30分。最後はそれでもどうにもならならず交通機関もなく徒歩。興味はあるものの二の足を踏んでいたのですが、ジャック・ロンドンの専門家/「放浪する研究者」小林一博さんに相談してみると「当然訪問するべき」というご示唆をいただいて(しかも旅行滞在されていたインドから。わざわざすみませんでした)、背中を押されるように行ってきました。

 幸い天気もよくちょっとした遠足気分。ソノマ・ワインで有名な土地でもあり、現地の公園に辿りつくまでワイン畑や牧草地が一面に広がっていて牛や馬やヤギの姿もちらほら。
 漠然とだだっ広い土地であろうとは思っていたのだが、ジャック・ロンドン歴史記念公園に到着してみると本当にただただ広大で、壮大な実験の場であり、晩年の思想・理想が体現されていることがよくわかる。中でも「ウルフ・ハウス/狼城」と名づけられた4階建ての家は1913年に完成し、1906年のサンフランシスコ大震災にも耐えられるように堅牢に設計されていたにもかかわらず、ロンドン夫妻の入居直前に火事で焼け落ちてしまっているのだが、ローマの遺跡を見るような廃墟の姿に圧倒される。まさに夢の城であり、壮大な夢のかけらであって、期待が高いものであった分、失意も大きいものであったにちがいない。再度、建設するだけの金銭的余裕がありながらも、結局、「狼城」は再建に至らなかった。火災は放火説もあったようだが、近年の検証によれば自然発火による火事であったとの見方が有力であるようだ。
 夫妻が実際に生活していた「コテージ」では書斎や寝室などが公開されており、寝室には「朝5時に起こして」とのメモが貼りつけられたままになっている。無頼派作家のイメージが強いロンドンであるが、朝早く起きて執筆し、昼は夫婦で一緒に食事をし、友人などを招いて社交も楽しむという生活スタイルであったようだ。
 ジャック・ロンドンは村上春樹による言及や、近年でも柴田元幸訳、有馬容子訳、深町眞理子訳など新たな翻訳が複数もたらされていることもあって今でも人気作家の一人に位置づけられるはずなのだが、ひょっとしたら玄人受けと言える現象かもしれず、日本での一般的な知名度は今ではそれほど高いものではないのかもしれない。地元オークランドでは駅名や広場の名前に採用されているほどであり、グレン・エレンでもジャック・ロンドン・ロッジなどがあり、「放浪する作家」のアイコンとして機能し続けている。
 歴史記念公園から浮かび上がってくるのは、冒険家であり、農業革命家であり、何より理想家であった彼の多彩な側面であり、崇高な理想、理想の作家像を追求しながら挫折してしまう夢追い人の姿であり、切なさやはかなさ、脆さ、人間らしさを感じさせるところなどが人気の要因であるのだろう。

 ホーボー文化に及ぼした影響には甚大なものがあり、実際にロンドン自身が若い時期に苦節を重ねており、缶詰工場での労働や金銀の採掘、放浪生活などホーボーそのものとしての生活を送っていた。『どん底の人々』(1903)は、英国ロンドンでの救貧院や路上にて実際に寝泊まりした経験に根差したルポルタージュであり、精密な描写は現在でも資料的価値が高いものとして評価されている。同時に、イギリスの作家ジョージ・オーウェルがロンドンの浮浪者生活の描写に憧れを抱いていたという逸話もあるように、過酷な生活を不思議なまでに魅力的に表現しているのもロンドンの特色であり、ホーボー生活を描いた『アメリカ放浪生活』(1907)での列車に乗って移動する疾走感/解放感はアメリカ大衆文化におけるホーボー像の原風景を成している。
 伝説のホーボーを主人公に据えた映画『北国の帝王』(1973)でも1930年代を時代設定にした物語であるにもかかわらず、ロンドンの『アメリカ放浪生活』を部分的に原案として採用していることからも、ジャック・ロンドンは大衆文化におけるホーボー表象を探る上で重要な存在である。『北国の帝王』は伝説のホーボーとして鉄道の無賃乗車をくりかえす主人公と、無賃乗車犯を力づくで追い払おうとする車掌をめぐる物語であるが、ロンドンの著作から実際のホーボーによる無賃乗車の方法や生活ぶりを参考にして成立している。1973年に発表されている『北国の帝王』では伝説のホーボーの姿に哲学者/求道者を思わせる側面が付与されている点も興味深いものであり、ホーボー像の変遷を辿ることでそれぞれの時代思潮も見えてくる。










2016年3月4日


 ベイエリアに3ヵ月滞在できることになり、漠然と行ってみたいと思っていたのは、ヒッチコック監督の映画『鳥』(1963)の舞台となったサンフランシスコ近郊のボデガ湾。場所に対する深い思い入れがあったわけではなく、サンフランシスコを舞台にした映画といえばヒッチコック。ヒッチコックの中で一番好きな作品が『鳥』。『鳥』といえばサンフランシスコ近郊の町が舞台・・・。という程度の浅はかな連想にすぎなかったのですが、バスを乗り継いで行ってきました。
 アムトラック鉄道や地元の路線バスもなんとか乗りこなせるようになったかな、などと調子に乗りかけていたら、「乗り継ぎのバス停が見つからない」「降りるべきバス停を乗り過ごす」「ホテル名を間違える(BayとHarborの違いで二軒あって紛らわしい)」の三連コンボで行ったり来たりのドタバタ。まあいろいろありますよね。

 結果的にはじめて「Uber」(自動車配車アプリ)を使うことになったのだが、停車すべきバス停を乗り過ごしてしまったために「なんでこんなところで?」というような場所から呼び出したにもかかわらず、わずか4分で到着。旅行先で空港までのタクシーを前日までに予約していたにもかかわらず、三十分以上経っても現れないのでハラハラしたことを思えば、噂には聞いていたが便利ですごい。
 一般のドライバーが自家用車を使ってタクシー代わりに送ってくれるというシステムゆえに様々に懸念もあるし、実際に相性などもあるのだろうが、サンタ・ローザからボデガ湾まで送ってくれたドライバーの方はイタリアのジェノヴァ出身というおじいさん。いきなり前の車に追突しそうになったり、「アメリカに40年以上住んでるけど英語は上達しなかった」と語るだけのことはあって「大丈夫か?」という不安も頭をよぎったが、ジプシー・キングスのカヴァーでも有名な「ボラーレ」の曲を流し、自分でも歌いながら、観光ツアーガイドさながらに街の景色を解説してくれる。「ところで、ヒッチコックっていうイギリス人監督の『鳥』っていう映画を知ってるか?」と言われ、まさにそれこそが訪問の目的だったので、舞台となった小学校、教会にも寄ってもらうことに。亀井俊介著『バスのアメリカ』(1979)は、広大なアメリカをバスでまわることによってこそ見えてくる、風景の多彩な移り変わりや地元の人々の姿、ふれあいについて示唆した名著であるが、ほんのわずかな雰囲気だけでもそんな境地を味わうことができたような気になる。
 今でこそGoogle Mapもあり、Uberもあり、移動も便利になったものであるが、なかなかどうしてそれほど簡単なことではなく、ボデガ湾からの帰りのバス停に至っては私たちが一般にバス停として想起するであろう標識(標柱・ポール)すら見当たらず、辺りをぐるぐる探しまわる羽目に。Google Mapのストリート・ビューで位置と状況を再度確認したところ、やはりここしかないという場所は海を臨み、ベンチがあるだけ。よーく見てみると、かつて時刻表であったらしい貼り紙が電柱に存在していることに気づくが、文字を判読できる状態ではなく、宝探しとしてもさすがに難易度が高い。
 「午後8時までに夕食をすませておかないと食べるところ無くなっちゃうよ」と忠告されていたように日が沈むと辺りは真っ暗に。どこまでもバスで行ってあちこち歩きまわるのも一興なのだが、湾曲した狭い道に歩行者など誰もおらず、想定されてもいないだろうから、すれ違う車の運転手にただただ申し訳ない。冗談でなく亡霊と思われてもやむをえないぐらい驚かせてしまう可能性がありそうで。

 ロケ地の一部に足を運んだところで、鳥がなぜ人間を襲撃することになったのかその謎がわかるなどということはもちろんないのだが、ボデガ湾をロケ地に選択するにあたり、「サンフランシスコやモントレーの街とも違い、小さく親密な感じで、周囲から孤絶していて、カラフルなところがこの映画にふさわしい」とヒッチコックがあるインタビューで答えているように、海があって、緑豊かでなだらかな山があって、湾曲した道がはるか彼方まで続いていて・・・と自然と色彩の豊かさが特徴的な街。また、主人公のメラニーがよそ者としてこの田舎町に闖入するところから異変が起きるという展開からも、共同体の親密な雰囲気は重要な役割をはたしているはずで、実際に地元に住んでいる人たちの服装を反映・再現したものになるようにヒッチコックは細かく指示を出している。
 ロケ地に関する研究書、Jeff Kraft and Aaron Levanthal『Footsteps in the Fog: Alfred Hitchcock’s San Francisco』は2002年の刊行以来、すでに9版を重ねており、所持していたのだが、『めまい』(1958)の舞台となったサンフランシスコのミッション・ドロレス教会を訪ねた際にあらためて購入してしまった。やはり土地勘があったうえで読んでみるとおもしろさも増してくる。ヒッチコックの一人娘で女優のパトリシア・ヒッチコックが、北カリフォルニアでリラックスして過ごしていた両親の様子を回想した序文を寄稿しているのも、意外な一面を垣間見るようで楽しい。ベイエリアを舞台に取り上げることが多いヒッチコック作品の中でも、この研究書で詳細に分析がなされているのは、『めまい』『疑惑の影』(1943/舞台はサンタ・ローザ)と『鳥』の3作品。
 このたびの私の訪問時においても、作品に登場する食料品店(Diekmann's Store)が同じ場所に同じ一族による経営によって現存し、営業が続いているなど、ボデガ湾の中心にあるレストラン(Tides)、教会や小学校の建物など今でも様々にその足跡を辿ることができる。おそらくこうした変わらない性質こそがロケ地に選ばれたゆえんでもあるのだろう。『Footsteps in the Fog: Alfred Hitchcock’s San Francisco』ではさらに、作中の街の地理関係を地図として図面化/再構成しており、ここがこのように繋がるのかと新しい発見もあって楽しい。作品中の登場人物による移動は基本、車であることからも、車で移動できるのであれば、広範囲で撮影されているロケ地をさらに数多くまわることもできるし、移動の感覚を実感することもできるのであろうが、バスで訪ねるだけでも、実際にヒッチコックが入念に趣向を凝らしていた土地の感覚を想像以上に実感することができた。

 ヒッチコック作品は人物関係も複雑でわかりにくく、セリフやコミュニケーションのあり方から複雑な関係性が浮かび上がってくるところに醍醐味があるわけだが、授業で取り上げることがあってもうまく説明しにくいことが多い。さすがに演出技法に力があるのですぐに惹きこまれていく受講生もいるのだが、なんだかよくわからないままぽかんとした反応で終わってしまうこともある(もちろん私の力不足によるもの)。
 基本的な姿勢がアメリカ文化論としての枠組みなので、アメリカ文化史などで取り上げる際にも正直なところ浮いてしまうというか、うまくはまらないところがあったのだが、「父はサンフランシスコをパリに比肩するほどのコスモポリタンの街として見ていた」という娘パトリシアの言葉を手がかりに、ヒッチコックのサンフランシスコ観を探っていくことで見えてくることがあるのではないか。とするとやはり、サンフランシスコを舞台に据えた『めまい』を軸に、近郊の街サンタ・ローザを舞台にした『疑惑の影』とボデガ湾の地形の特色を活かした『鳥』の3作品が重要になってくるのだろう。










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