借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

2016年09月の記事

神鹿も黙る逢魔が刻コンサートwith虫の声(2016年9月28日)



「世界遺産劇場春日大社第六十次式年造替奉祝」というやや大仰なタイトルによる薬師丸ひろ子コンサートが春日大社(奈良)飛火野特設舞台にて9月25日(日)に開催。
 背景をあまりよく理解していなかったのだが、「第六十次式年造替奉祝」とは神殿や御神宝などを造り替える修繕儀式であり、約20年ごとの大事業が現在行われている最中であるとのこと。
 春日大社を舞台にした野外コンサートというのも現地に赴くまでイメージが沸きにくいものであったのだが、会場となる「飛火野」は古くは春日野とも呼ばれた古代祭祀の地であり、「万葉の昔には貴族たちが打球を興じていた」、「平安時代にも王朝人の憧れの名所で、特に若菜摘み、花見など春の遊びの名所として知られる」そうで歴史のスケールの大きさも桁外れ。野原の至るところでシカ(神の使いとして崇められてきた「神鹿」)が草を食んでおり、まさに比類なく特別なコンサートとなった。

 17時開演でアンコールを含めて全19曲、2時間程度の間に黄昏を迎えることから、時間の経過とともに光景が変わっていくのも醍醐味で幻想的かつ神秘的な雰囲気を楽しむことができた。今月(9月)は台風を含め雨が多く、雨の場合であっても順延予定がない事情から開催自体が危ぶまれていたのだが、当日は幸い晴天に恵まれた。実は当日も夕方にかけて雨の予報が出ていたようで、雨合羽が配られたものの使う必要がないまま無事終えることができた。これもまたあたかも古代祭祀の地での世界遺産劇場ならではの演出であるかのよう。
 コンサート直前にニュー・アルバム『Cinema Songs』のリリース情報が発表され(11月23日発売)、先行して「戦士の休息」のダウンロード配信がすでに開始されている。今年2016年は角川映画40周年として往年の角川映画のリバイバル上映「角川映画祭」が行われており、薬師丸にとっては歌手デビュー35周年にも相当する。このたびのコンサートでも新作からアンコール曲も含めて3曲披露され、「戦士の休息」は映画デビュー作『野性の証明』(1978)の主題曲。東北の寒村で起こった大量殺人事件を描いた物語であり、唯一生き残った少女役を当時、中学1年生だった薬師丸が、彼女を引き取り父親代わりとして育てることになる自衛隊員を高倉健が演じている。東北を舞台にしていたはずなのに後半突然、なぜか壮大なアメリカ(カリフォルニアの陸軍訓練施設)ロケに接続されていくのだが、戦車、ヘリコプターなどを駆使した壮大なスケールの銃撃戦といい、今観てもその勢いにあらためて圧倒される。

 町田義人が歌う主題曲「戦士の休息」は、「男は誰もみな無口な戦士 笑って死ねる人生 それさえあればいい」という武骨な歌詞(作詞:山川啓介[矢沢永吉「時間よとまれ」など])に、作曲は『ルパン三世』の楽曲で知られる大野雄二。普通で考えたら女性シンガーがカバーする曲ではまったくないのだが、2014年に亡くなった高倉健に対する追悼の念も込められているのだろう。『戦国自衛隊』(1979)の主題曲「戦国自衛隊のテーマ」(松村とおる)なども思い返せば印象深い曲で角川映画には名曲が多かった。『Cinema Songs』には角川映画第一回作品となった『犬神家の一族』(1976)の主題曲「愛のバラード」(大野雄二作曲/サウンドトラック盤は歌詞が無い)も収録されており、このたびのコンサートでも披露された。
 『Cinema Songs』は往年の映画音楽を素材にしたカバー・アルバムとなっており、薬師丸自身の選曲による。角川映画40周年および角川映画でのデビューを記念する楽曲以外では、ヴェトナム帰還兵を描いた物語『ディア・ハンター』(1978)の主題曲はやはり変わり種で、高倉健のお気にいりの映画であったという背景による。ほか、『ティファニーで朝食を』(1961)の「ムーン・リバー」、スピルバーグの『オールウェイズ』(1989)に依拠してジャズのスタンダード・ナンバー「Smoke Gets in Your Eyes」(煙が目にしみる)、『二人でお茶を』(1950)、『追憶』(1973)、マイケル・ジャクソンの「ベンのテーマ」(1972)、ミュージカル『アニー』(1977)から「トゥモロー」など、一見バラバラなラインナップが逆に意外性に富んでいて楽しい。自身の出演作『ナースコール』(1993)から玉置浩二による主題曲「コール」が選ばれているのも話題に。
 少し前に「私を構成する9枚のアルバム」としてSNS上でアルバムジャケットを並べる試みが流行っていたが、まさにこのアルバム自体がそのような試みの究極形と言える。予約発売のために発表されている「作品解説」を読むだけでも、それぞれの映画および音楽に対する思い入れが様々に浮かび上がってくるのがおもしろいし、再解釈されたそれぞれの曲がアルバムの中で新しい流れの中に配置されることで生まれ変わっていくのを見るのも楽しみ。

 このたびのコンサートは「時代」(中島みゆきのカバー曲として1988年にリリース)を皮切りにヒット曲を中心に構成され、途中でニュー・アルバム『Cinema Songs』のリリースを紹介するパート、ここ数年のコンサートでとりあげられている「故郷」などの童謡パートが織り交ぜられていく。アンコール最後の曲は『Cinema Songs』で収録が予定されている「ムーン・リバー」で終了。シングル発表曲以外でもっと聴きたい曲もあったのだが、映画デビュー作『野性の証明』(1978)からキャリア全体を概観できる構成になっており存分に堪能できる内容であった。中でもアップテンポの松本隆・大瀧詠一による楽曲「すこしだけやさしく」(1983)を聴けたのは収穫。良い意味で浮世離れした浮遊感がひときわ心地よく感じられた。
 リハーサルの準備も入念になされてきたにちがいなく、このコンサートだけで終わってしまうのはもったいないと思っていたら、Billboard Live Tokyoにてアコースティック編成による公演(11月24・25日の2日間、各2部構成)予定が発表された。またまったく異なる味わいのステージを期待することができそうだ。







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音楽、映画、青春(2016年9月17日)



 総勢70人による「極私的映画作品論」の集成『観ずに死ねるか!』(鉄人社)シリーズは毎年コンスタントに刊行が続いており、「ドキュメンタリー」、「青春シネマ邦画編」、「絶望シネマ」ときて今年のテーマは「傑作音楽シネマ」。このシリーズは出版記念上映会と連動しているのも魅力で、テアトル新宿にて日替わり上映会+トークセッションが行われている(2016年9月3日~9月16日)。
 出版記念上映会では、すでに青春音楽映画の定番となっている山下敦弘監督『リンダ リンダ リンダ』(2005)を皮切りに、音楽映画の金字塔『ブルース・ブラザーズ』(1980)、NYヒップホップ・カルチャー(『ワイルド・スタイル』[1982])、沖縄映画(『ナビィの恋』[1999])、ボリウッド(インド)映画(『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』[2007])から、手塚眞によるSFロックミュージカル『星くず兄弟の伝説』(1985)などのカルト映画(!?)も含めて幅広く選ばれており、ラインナップを眺めるだけでも楽しい。『あがた森魚 ややデラックス』(2009)、「記憶」と「映像」を軸に据えた野心作、松江哲明『フラッシュバックメモリーズ3D』[2012])など「音楽ドキュメンタリー」の観点だけとりあげても、対象となる音楽と、それを描く独自の視点(監督)によって多彩さが際立つ。
 上演後、トークセッションに加えてミニライブの試みがあるのも一興。マーティン・スコセッシ監督『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』(2008)も選出されていて、我らが日本ローリング・ストーンズ・ファンクラブ代表の池田祐司氏も登壇。思えばこの人の悪い冗談につきあわされて早30年と思うと個人的に感慨深いが、ファンクラブ代表としてすでに40年以上、現在に至るまで会誌『Stone People』を発行し続けているわけで(現在91号)、バンドが50年以上続くのも凄いが人生を賭したファン道のありかたも凄い。

 そもそも「音楽映画」などという確固としたカテゴリーやジャンルがあるわけでもないのだが、映画と音楽は切っても切れない関係にあるわけで、今のように映画をDVDや動画配信などで手軽に入手できなかった時代はサウンドトラック盤として映画音楽の存在感は大きなものであった。書籍『観ずに死ねるか! 傑作音楽シネマ88』では、「極私的映画論」と銘打たれているように88作品が編者(出版社)の独断と偏見によって選ばれていて、そこがまさにいいのだろうと思う。自分であればこの作品を入れるのにと想像するのも楽しいし、意外な作品が選ばれていれば嬉しい。評者の思い入れの強さが伝わってくるのが本シリーズの魅力なのだが、とりわけ『傑作音楽シネマ』は作品も論評も情熱にあふれている。

 上映会の一番のお目当ては、松居大悟監督『私たちのハァハァ』(2015)で、すでにDVD化されているのだが、劇場で鑑賞するのははじめて。
 北九州に住む女子高生4人組が、お気に入りのバンド、クリープハイプの福岡公演で出待ちをした際に「東京のライブもぜひ(見に来てね)」と声をかけてもらったのを真に受けて、親にも内緒にしたまま夏休みに自転車で東京に向かうという女の子たちの冒険物語。1000キロもの長距離を自転車で走破なんてはたしてできるのかと誰しもが疑問に思うに違いないが、早々に自転車をあきらめてヒッチハイクに切り替えてしまう変わり身の早さも小気味よい。『リンダ リンダ リンダ』のようにバンドや部活に捧げる青春というわけでもなく、「青春ロードムービー」といっても、旅の道中で何か劇的に大きなことが起こって人生が激変するわけでもない。
 登場人物によるカメラ映像やSNSの画面などを織り交ぜながら、実際の女子高生の会話を再現したかのような何気ない「ことば」と「演出」にこの作品の最大の魅力があって、監督自身も劇団を主宰している上に、共同脚本を担当した劇作家・舘そらみ氏の演劇的手法による貢献も大きいのだろう。
 上映後のトークセッションでは監督(+助監督?)とキャストの女子高生4人組中3名が参加。撮影からちょうど2年、公開時のイベントから1年で久しぶりの再会となったようで、さながら同窓会の趣(でも「全員はそろわない」)。「音楽映画」の観点からは、この映画のためにクリープハイブと曲を作り上げていく中で意見の食い違いも生じ、作曲を担当する尾崎世界観と険悪になることもあったそうで、その製作過程自体がまるで青春映画そのもののような裏話もおもしろい。
 松居大悟は『アフロ田中』(2012)、『男子高校生の日常』(2013)、『スウィートプールサイド』(2014)などマンガを原作にした青春コメディのほかに、『自分のことばかりで情けなくなるよ』(2013)においてすでにクリープハイプの音楽を軸にした群像劇として長編映画を製作しており、彼らのミュージッククリップも多く手がけている。ほかにも、大森靖子のミュージッククリップを基調にした映画『ワンダフルワールドエンド』(2015)があり、すでに存在する音楽をもとに映像を通して物語化していく試み、あるいはミュージシャンとのコラボレーションによって映像と音楽を融合させていく試みは、「音楽映画」の多様なアプローチの中でも格別に映る。
 
 現在公開中であることから当然のことながら『傑作音楽シネマ』には収録されていないのだが、新海誠監督『君の名は。』(2016)においても音楽は作品の中で重要な役割を示している。
 RADWINPSはこの映画のために主題歌4曲・劇中曲22曲を書き下ろしており、アニメの制作過程から監督自身と綿密なやりとりを経て作り上げていったという。新海監督がお気に入りのミュージシャンであるRADWINPSに映画音楽を依頼するところから交流がはじまり、RADWINPSの方も新海監督のそれまでの作品を何度も鑑賞して臨み、感性をシンクロさせていったらしく音楽と映像が溶けあわさっている。
 監督の熱心なアプローチにより実現したコラボレーションであっても、細かいところでやり直しの注文も多かったらしく、「映画と音楽の関わりという意味で、僕にとっても同じく高いハードルになってますね。同じやり方は二度とできませんね」(『新海誠Walker』23頁)と述べるように、そうしたせめぎ合いの中で生じる緊張感が作品を引き立てる効果をあげているのだろう。
 公開中の作品ということもあり詳述は避けるが、『君の名は。』は、十数年前に「セカイ系」とされる文化潮流の代表的存在(『ほしのこえ』[2002])として「世界の終わり」のモチーフを描いてきたことに対する誠実な応答責任であるように思う。
 それにしても、プロデューサーによるところが大きいのだろうが、どちらかといえば、玄人受けする表現者という位置づけであったのにこれほどまでに大ヒットするとは。近所の映画館で観たのだが、周りの席を高校生の集団に囲まれてしまい、皆、喋りながら観るのでうるさくて閉口した。「話題になってるから観に来た(ふだんは映画館には来ない)」という層を巻き込むというのはこういうことなのかということをまざまざと実感させられるもので、「話題になってるわりにはおもしろくないな」という反応も引き受けねばならず、今どきヒットするというのも大変だなあ。とはいえさすがに終盤にかけてはお喋りも止まり、そこは作品の力が届いたという証。













北の国まで聖地巡礼(2016年9月13日)



「『北の国から』資料館」が8月末で閉館ということでぎりぎりの最終日にはじめて訪問することができました。「北海道新幹線ニノッテミタイ」という母親の言葉を受けて、飛行機で旭川空港に入り、富良野、小樽、札幌、函館を経て新幹線で帰ってくるという旅程。

 TVドラマ『北の国から』(1981-2002)は言わずと知れた人気シリーズであり、主要人物である純と蛍は設定上、私よりそれぞれ3学年と1学年上となるほぼ同世代ということになるのだが、この物語は個人的にどうも苦手で避けてきたというのが実感。現在、日本映画専門チャンネルにて「倉本聰劇場」「山田太一劇場」「サザエさん劇場(江利チエミ版)」など、テレビドラマおよび古典映画の代表作にまとめて触れることができるのがありがたく、自伝(『倉本聰――ドラマ人生』[2013])やシナリオ集なども併せて読む機会を得た。
 とりわけ本編(連続ドラマ24話、1981-82)は子ども向けとはまったく無縁の内容であり、親や大人の事情に翻弄される子どもの立場からすれば、自分たちの意思にかかわらず突然、都会の生活から切り離され、厳冬の地で自給自足の生活を強いられる展開は悪夢以外の何ものでもなく(もともと生まれ育っている場合とはまったく違う)、人間関係や共同体のあり方も窮屈で居心地が悪そうに思えてならなかった。その後のシリーズ化にしても、思春期のぎこちなさ、親の世代との軋轢、親をうとましく思う感情などは同世代としては目を背けたい側面であり、親近感を抱くなどという余裕はなかった。

 ドラマ制作の過程で生じた過去のトラブルにより、原作者は1974年に東京を離れ、北海道に移住しており、その後、77年、42歳の時に富良野に拠点を定めている。『北の国から』はテレビ局のプロデューサーから北海道を舞台にした企画を持ちかけられたことに端を発するのだが、当初はまったく乗り気でなかったという。プロデューサーの念頭にあったのは、映画『アドベンチャー・ファミリー』(1975)というロサンゼルスの都会生活を離れてロッキー山脈に移住した一家をめぐる物語と、オホーツク海沿岸を4年かけて制作された、日本の動物ドキュメンタリー映画の先駆に位置づけられる『キタキツネ物語』(1978)。1年2ヵ月をかけた長期ロケにより、四季の移り変わりと一家、特に子どもたちの成長過程をじっくり描く丁寧なドラマ作り(放映は半年間)は今となっては隔世の感がある。
 バブル景気を目前に消費文化への傾向を強めていく只中にスタートし、トレンディ・ドラマという新しい潮流を尻目に80年代後半にかけてのシリーズ化により国民的なドラマとして発展を遂げていくに至るのだが、様々な偶然と必然による時代の産物であることを実感させられる。富良野のスキー・リゾート開発を牽引した西武グループの堤義明は倉本聰の麻布中学高校時代の同級生として親交が厚く、プロジェクトの数々に広義のセゾン文化が大きく関与している。時代に抗う作風が時代の産物たりうるという逆説もまさに国民的なドラマならでは。
 とはいえ、『北の国から』の開始当時は地元での放映もまだなされておらず、観光産業化への期待もなく、地元の支援もまったくなされなかったそうで、「人為的な」町興しによる産物ではなかったというのもおもしろい。
 「資料館」以外にも、実際に撮影に使用された家を訪問することができるのがロケ地めぐりの魅力。車で十分程度の距離でも、歩いてまわるとなると優に一時間以上かかるので(連日、2万歩を超える移動を強いてしまいました)、高齢者連れということもあってか、見かねた観光協会の方が帰り道、車で乗せていってくださることに。おかげさまで「資料館」閉館後の計画についてなどいろいろとお話をうかがうことができました(ありがとうございました)。
 『2002遺言』に登場する「拾ってきた家~やがて町」は、廃材を利用して作られた家屋であり、消費文化に対するアンチテーゼとしての『北の国から』の集大成となるもので、新時代の建築として先鋭的な実践例にもなっている。個人的に思い起こされたのは、「ジャック・ロンドン歴史公園」での家屋(ウルフ・ハウス)や牧場。建物の雰囲気やその背景となる理念もよく似ているし、ロンドンが消費文化の時代を生きていたとしたら、「拾ってきた家――やがて町」のようなリサイクル・ハウスの発想ももたらされていたのではないか。

 また、ライフコースを辿るドラマとして、テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』(1983-97)や、アメリカのドラマ『大草原の小さな家』(1974-84)、映画版『ハリー・ポッター』シリーズ(2001-11)などの類例もあるが、子ども時代から21年の歳月を描き続けた『北の国から』はその中でも突出した存在であり、そもそもの成り立ちからしてまだ台本が半分しかできていない段階で純と蛍の役者が決まり、キャストのイメージを台本にあてこんでキャラクターが作られていったという。最終作『2002遺言』では、蛍役の中嶋朋子の実子が蛍の息子役として登場しており、中嶋朋子はその案に難色を示していたらしいが、ドキュメンタリーとドラマの要素の融合が様々な形で示されている(「ドキュラマ」という概念用語で説明されている)。
 スタッフの高齢化に伴い、シリーズは2002年に幕を閉じるが、後日談の構想はたびたび語られており、「頭の中の『北の国から』――『2011つなみ』」(『文藝春秋』2012年3月号)によれば、東日本大震災を主題とした構想があるという。脚本版だけでも形にしてほしい。

 さらに場所を移して小樽では、2017年8月の閉館がすでに発表されている「石原裕次郎記念館」を訪問。私の世代における石原裕次郎(1934-87)像としては、TVドラマ『太陽にほえろ!』(1972-87)のボス役の印象が強いが、81年に大きな手術を行って以降長期にわたって闘病中であったわけで全盛期や代表作をリアルタイムでは体験できていない。享年52歳! プログラム・ピクチャーとしての「日活アクション映画」ジャンル、あるいは、映画からテレビへのメディア文化の変遷、男性性の観点など、大衆文化研究において検討すべき要素は様々にあるのだが、世代的にぽっかりと抜けてしまっている存在でもあり、その華やかな「スタア」としてのあり方を辿る展示の数々は新鮮なものであった。
 テレビドラマ『西部警察』(1979-84)は、今でもコレクターズ・アイテムが充実していて人気がある作品だが、西部劇(特にマカロニ・ウェスタン)のイメージがどのように投影されているかなど比較文化の素材としてもおもしろい。武装した刑事たちが「自ら最終兵器として凶悪犯罪に立ち向かう」(!?)という設定はもはや成り立ちえないだろうし、銃撃戦、カーチェイス、爆破シーンを存分に盛り込んだアクション技法は、刑事ドラマ文化史の中でも傑出している。
 テレビ文化研究は映画や書籍と比べても扱いが難しいのだが、時代の空気とテレビというメディアならではの実験精神がよく伝わってくるもので、時代の変遷を探る上で恰好の素材となることを実感できた。
 
 帰りは北海道新幹線により函館から帰還。肝心の母親は車窓の眺めも印象に残らないぐらい疲れて寝ていたらしく・・・、まあしょうがないか。







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