借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

2016年11月の記事

非国民的ヒーロー!(2016年11月30日)


 11月18日のZepp Tokyoをもって大森靖子の全国ツアー「Tokyo Black Hole Tour」終幕。10月1日の秋田公演を皮切りに計12会場。秋田・長崎・大分・広島の小会場による「弾語り」とその他8会場の「バンド編成」とに大別される。ツアーの題名に掲げられているアルバム『Tokyo Black Hole』のリリースが2016年3月なので約半年遅れてのツアーとなったが、その分、新曲のアレンジおよび新しいバンド(「新●z」)との連携も時間をかけて熟成されていった様子が伝わるもので、さらに、会場毎にセットリスト・趣向が凝らされているのも魅力。私はもっぱら土日を利用してのみで平日には出向くことができず、地元・松山公演ではカラオケ店を借り切っての本人を交えた「打ち上げ会」もあったそうで参加できず残念。
 一番大きな会場となるZepp Tokyo(収容人数2700人)のチケット売り上げがなかなか伸びなかったらしく、「満員のZEPPのお客さんに『今日ぼっちで会場に来た人?』と尋ねると、ほぼ全員が手をあげるという異常事態。どおりで動員、券売が大変だと思ってた! ライブは友達を誘うという概念をぶち壊した、まさかのぼっちがマジョリティという客席。 そんなとても強くて寂しいジョーカー達の合唱」(「大森靖子Twitter」)というファン層のあり方もおもしろい。
 でも、音楽にせよ、映画にせよ、小説にせよ、一人でとことん向き合うことができる対象が見つかるのであればそれはそれで幸せなことであると思う。

 アルバムのリリースからは時間が経ってしまっているものの、「ワンダーロマンス三連福」と題された3枚連続シングル・リリース期間中で、ツアーの進行と共に新曲がセットリストに加わっていくのも楽しみ。1枚目「ピンクメトセラ」は、WEBアニメ『逃猫ジュレ』の主題曲に、「ゆるめるモ!」の「あのちゃん」をゲストボーカルに迎えた曲「勹″ッと<るSUMMER」、80年代のヒット曲、Sugarの「ウェディング・ベル」(1981)カバーをカップリング。
 2枚目「POSITIVE STRESS」は所属レーベル・エイベックスの先達、小室哲哉(作曲)との共作による表題曲に、神聖かまってちゃんの「の子」(作曲)との共作曲「非国民的ヒーロー」を収録。3枚目の「オリオン座」は、ライブツアー中、手書きの歌詞カードが配られ、ハイライトとなった表題曲に、さらにアイドル(?)ユニット「生ハムと焼うどん」とのコラボ曲「YABATAN伝説」を含む。
 7月にライブで共演した神聖かまってちゃん、9月に共演した生ハムと焼うどんとの新しいコラボ曲が早くも実を結んでいる、そのフットワークの軽さもすごい。「共演」ライブといっても基本はいわゆるツーマンライブで、それぞれのライブ・パートに一部、共演がある程度なので、そこから新しい表現活動がもたらされることは実はそれほど多いことではない。

 中でも「非国民的ヒーロー」は、神聖かまってちゃんのの子が大森靖子をイメージして作曲し、「非国民的アイドル」という仮題の曲として提示したら、「非国民的ヒーロー」という名前が付された大森の作詞曲が上書きされて返ってきたという。それぞれがそれぞれのイメージを投影して作った文字通りの共作曲になっている。
 「激情派」と称されていたように、かつては歌詞の世界で描かれる語り手と同一視されてしまいがちであったが、アルバム『TOKYO BLACK HOLE』では東京に生きる若い世代の様々な人生模様が描かれている点に特色があり、中でも「僕」の一人称で語られる思春期の男の子目線による詞(「給食当番制反対」「少女漫画少年漫画」)は新しい傾向を示していた。「非国民的ヒーロー」もまた「まだ何者でもない『僕』」の一人称で、「君」にとってのヒーローになりたいのだけれど、はたして自分に何ができるだろうかという不安も抱えている少年の不安定な心境をうまく描いている。傷ついたり傷つけあったりしながらもたくましくタフに世を渡っている女の子の群像とも異なり、大森靖子の「僕」はいつも繊細だ。

「だけどね 君が努力しちゃったら 二度とね 僕じゃ届かなくなっちゃいそうだし」

「君」も「僕」もお互いにまだこれから「何者にでもなれる」段階にあって、同じように成長していけたら理想だけれども、何かのきっかけで突然どちらかが(たいていは女の子の方が)急速に大人になってしまうこともある。
 さらに、大森の専属映像作家である二宮ユーキによるMV(ミュージック・ビデオ)(https://www.youtube.com/watch?v=z4vqZV62f3E)は、お互いの自宅にて撮影が行われており、の子の地元である郊外の千葉ニュータウンを舞台に躍動感・疾走感に満ちていて傑作。

 全国ツアーに先行する「9月18日の生誕祭ライブ(大コピバン祭)」では、すべてのヴォーカルを大森靖子が担当する複数のバンドが登場し、東京事変、相対性理論、ハロープロジェクトほか、宇多田ヒカル、BUMP OF CHICKENなどのカバー曲をひたすら演奏するライブを展開しており、すでに毎年の恒例行事となっている。90年代のJ Pop全盛期に育った世代ならではのJ Pop文化史との接続を実感させてくれると同時に、ヴォーカルに集中することで、パフォーマーとしての力量が浮き彫りになる貴重な機会。何より音楽を楽しんでいる様子が溢れるほど伝わってくるのが素晴らしい。
 その他にも、「続・実験室」というイベントが新宿ロフトプラスワンで毎月定例で行われており、「(時にゲストを交えた)トーク」・「弾語り」・「チェキ会(握手・撮影会)」の3部構成。フェスなどでの「アウェイ」に強いのが強みだったが、「実験室」や全国ツアーを通じて「ホーム」の場も着実に根づいてきている。
 ツアー終了後も(どころかツアー中も)、常にどこかで様々なフェスやライブイベントに客演しており、さすがにどうかしてるぐらいワーカホリックなのだが、「ツアー終わった瞬間アイデアとやる気がボウワァァァっとわいた」(「オフィシャルブログ」11月23日付)状態であるそうで、ニュー・アルバムの制作が早くも進んでいるとのこと。呼吸をするようにすべての言動が表現活動に繋がっていて頼もしいことこのうえない。










スポンサーサイト

50年目のスペシャル(2016年11月23日)



 11月23日はRCサクセションの(前身となるバンドの)結成記念日。といっても単に当時15歳の中学生がバンドを結成したというだけの日が年譜に「正史」として刻まれているのがすごい。その記念日となる1966年11月23日からちょうど50年目にあたる日に『ザ・タイマーズ スペシャル・エディション』が発売。1989年11月に発表されたアルバム『ザ・タイマーズ』の「デジタル・リマスター盤」に加え、「蔵出し音源(CD)」に「蔵出し映像(DVD)」の3枚組という構成。タイマーズはその後、1994年から95年にかけて活動を一時再開し、シングル1枚、アルバム2枚を発表。さらに2005年に忌野清志郎デビュー35周年記念ライブイベントにて臨時で復活を遂げている。この『スペシャル・エディション』では第一期タイマーズの活動のエッセンスが盛り込まれたアーカイブ盤になっている。
 正直なところ、このタイミングでタイマーズの旧譜が復活するとはまったく予測していなかった。とりわけ「蔵出し映像」では、はじめて公の場で姿を現したとされる1988年8月3日富士急ハイランド飛び入りライブでのバックステージの様子、もっとも初期の活動となる1988年11月13日横浜国立大学学園祭での伝説のライブ映像が収録されており、タイムコードが入ったままのむき出しの記録映像であるが、こうした貴重な記録資料が公式に発表されるのは嬉しいかぎり。横浜国大のライブは正式なレコード・デビューからちょうど一年前となるものだが、すでに楽曲もパフォーマンスも完成されていたことを確認できる。また、「蔵出し音源」としての未発表音源集は、後の活動において正式にリリースされている楽曲もあり、演奏やアレンジの比較も楽しい。この時期は、1988年にはRCサクセションとして、オリジナルアルバム『MARVY』(2月)、カバーアルバム『COVERS』(8月)、ライブアルバム『コブラの悩み』(12月)を発表しており、ライブツアーで録音自由化を宣言するほどレコード化が追いつかないぐらい創作意欲に溢れており、「尋常でない」としか言いようがないほどの多作ぶりであった。

 没後に発表されたアルバム『BABY#1』(2010)は、長年、行方不明になっていたマルチトラックを元に、親交の深いミュージシャンらによる追加録音、ミックスを加えたものであったが、1989年2~3月にかけて米国LAにて録音されたセッションに基づくものであり、本来は清志郎のセカンド・ソロ・アルバムとして構想されていたという。さらに前後して自らがダビングして関係者に配っていたというタイマーズのデモテープ海賊版もあり、結果として1989年はタイマーズの活動が中心となることでソロ・プロジェクト(『BABY#1』)は当時、陽の目を見ることなく終わるわけだが、今になってようやく『BABY#1』と『タイマーズ』という1989年の活動を並列して検討することができるようになったというのもおもしろく、ありがたい。RCではライブ終了直後に自分たちのライブ映像を皆で観ることが慣例になっていたというだけに、アーカイブ化してほしい音源・映像には事欠かず、公式アーカイブ化を切に望むが、1989年前後の活動の実態が様々な資料や関係者による証言と共に明らかになっていくのは文化史的にも意義深い。
 1989年はバブル景気の真只中であり、昭和から平成への転換期でもあり、時代のあだ花としてのタイマーズは生まれるべくして生まれたように思う。バンドブーム全盛期(『三宅裕司のいかすバンド天国』1989年2月~1990年12月)に対するベテラン・ミュージシャンによる応答でもあり、そしてRCサクセションの末期にも相当する(1990年12月25日をもって活動停止)。ロンドンでのレコーディングによる初のソロアルバム『RAZOR SHARP』(1987)を境に、交遊録をまとめたエッセイ集『忌野旅日記』(1987)なども含め、バンドの枠を超えた多彩な活動がより一層際立っていた時期であったわけで、その華やかな活動の背後で、そもそもバンド(RC)での海外レコーディングが頓挫した結果、ソロ活動『RAZOR SHARP』に結実したという事実は当時、明らかにされていなかった。
 また、バンド名の由来や自身の生育背景などについては連野城太郎(キティ・レコードなどのディレクター、森川欣信)による評伝『GOTTA! 忌野清志郎』(1989年6月、絶版)が出るまで公に刊行されることがなく、1988年前後の養父母の他界を契機に実母の遺品をはじめて目にしたこと、第一子の誕生、『COVERS』の発売中止騒動が立て続けに起こり、新たな転機を迎えたところで評伝はしめくくられている。実際に時代の大きな変化と共に、個人としてもバンドとしても大きな転換点を迎えていたのだろう。

『タイマーズ・スペシャル・エディション』に収録されている「解説ノート」は、『COVERS』の前後から東芝EMIの社員として宣伝担当をつとめていた高橋ROCK ME BABY氏による。過激なパフォーマンスばかりが注目されがちがタイマーズであるが、「アルバムを聴けば聴くほど、『デイ・ドリーム・ビリーバー』を中心に構成されているのではないか?と思えてくるくらい、この曲の存在感を感じる」という「解説ノート」の指摘は発表から30年近い時を経てこそ、見えてくることであるように思う。「失恋や人が去っていってしまう歌であるのに、なぜウォームでハッピーになるのか?」。
「デイ・ドリーム・ビリーバー」の訳詞は、清志郎の「母」について歌ったものであるというのが通説になっているが、喜怒哀楽の感情に富むこの時期ならではの産物であり、シンプルな言葉によるラブソングの形をとりながら複雑な曲でもある。ひょっとすると最大の代表作となっているのかもしれず、時代を超え、モンキーズによるオリジナルの文脈をも超え、あるいは「忌野清志郎」という領域すらすでに超えてしまっているのかもしれない。解釈しようとすれば複雑ではあるのだが、解釈などせずとも「感じる」ことができるのが音楽のすばらしさでもある。
 また、覆面バンドであり、もともとメンバーの名前もGS(グループ・サウンズ)のパロディで、多くの曲をメンバーと笑いながら作っていたというように、「遊び心」の要素は重要であり、「反骨精神」のみの一語で簡単に捉えきれるものではない。バンドブームの動向にあわせたかのように、タイマーズはアコースティック編成によるフットワークの軽さが売りであるが、その実、骨太のウッドベースが象徴するように若手実力派ミュージシャンがバックを固めており、覆面バンドとして「なりきり」ながら演奏を楽しんでいる様子が映像から伝わってくる。

 11月23日という記念日にあわせて「スペシャル・エディション」を届けてもらったことで、久しぶりに耽溺できるのがありがたい。











上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。