借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2016年2月29日

 とっくに3月に入っておりすっかり時期を逸してしまいましたが、今年は閏年(でしたね)。4年前にはじめて本を刊行させてもらった際に出版社の方から「奥付どうする?」と、こちらに選ばせていただいたので、「じゃあせっかく閏年なので2月29日でお願いします」というやりとりから早4年。次の閏年となる今年に至るまで複数の企画書がまったく実を結んでいない現実を思うとなさけないかぎりですが、「閏年=リープ・イヤー」といえば、現在、来日中のアメリカの小説家スティーヴ・エリクソンによるノン・フィクション『リープ・イヤー』(1989)が表しているように合衆国大統領選挙の年でもあり(一体どうなることやら?)、あるいは、『リープ・イヤー――うるう年のプロポーズ』(2010)なんていう映画もあって、「女性が男性にプロポーズしてもよい」というアイルランドの習わし(?)をもとにしているそうですが、今の時代でも「女性が男性にプロポーズしてもよい」ということが特別なことになりうるんですかね?

 そんなわけで2月29日は特別な感じがする一日で、作家の赤川次郎(1948- )、辻村深月といった人たちがこの日を誕生日としていて、生まれもって物語性を付与されているようでかっこいいなといつも思う。今年で作家デビュー40周年となる赤川次郎は角川映画『セーラー服と機関銃』(78/映画版は81)、『探偵物語』(82/映画版は83)を頂点に80年代にとにもかくにも大変な人気があったので、世代の差はもちろんあるだろうが、私の世代にはとても身近な存在だった(登場人物が読者と共に年齢を毎年重ねていく『杉原爽香シリーズ』[1988- 、現在までに29冊刊行中]の主人公も私と同じ年齢)。
 伊坂幸太郎(1971-)も『マリオネットの罠』(1981)を「印象深い一冊」として挙げているし、湊かなえ(1973- )も赤川作品の影響を公言している作家の一人で、ストーリー・テリングの手法を系譜として辿っていくと見えてくることもありそう。辻村深月(1980- )も、赤川作品から大人向けの文庫本に手を伸ばしていったという少女時代の読書遍歴を回想しており、本の世界への導き手としての役割にも大きなものがあったと思う。

 私自身が赤川次郎作品を熱心に読み始めたのは小児喘息やら身体が弱かったこともあってスイミング・スクールに嫌々通わされていた頃で、そこにどんな人がいたかまったく覚えていないのだが、その近くにあったスーパー内の本屋で文庫本を毎週火曜日に一冊ずつ買ってもらっていたことだけはよく覚えている。眉村卓からはじまって文庫本を読めるようになったのが楽しくなっていた頃で、まだ赤川作品の文庫の出版点数はそれほど多くなかった。
 赤川氏はオペラやクラッシック音楽に造詣が深いのだが、そちらは私はさっぱり吸収できなかったものの、「懐かしの名画ミステリー」と銘打たれたシリーズなど、主にヨーロッパの古典映画や古典ミステリーを認識する最初のきっかけをもたらしてくれた。スティーブン・キング『呪われた町』(1975/翻訳は1983)などの同時代作家もリアルタイムで紹介してくれたし、「モダン・ホラー」(『魔女たちのたそがれ』[84]、『遅れてきた客』[85]、『白い雨』[85])や「サスペンス・ホラー」(『夜』[83])などのジャンルの存在も赤川作品を通して最初に知った。田村正和が小学校教師をつとめるコメディドラマ『うちの子にかぎって・・・』(84-85)が短編集『充ち足りた悪漢たち』(82)から派生してもたらされていることなどもあり、80年代文化全般にわたって連関も強い。

 ユーモア・ミステリーで打ち立てたイメージとはおそらく対照的に、政治に対する積極的な姿勢・発言でも知られていて、『プロメテウスの乙女』(82)、『世界は破滅を待っている』(82)などの初期作品から、吉川英治文学賞受賞作となった近作『東京零年』(2015)まで、体制や監視社会に対する反骨精神が一貫して示されており、私も含めて若い世代を主たる読者層としてきたことからも影響力は意外なほど大きいのではないかと思う。
 「申し訳ないが、おまえの家も盗聴されてるかもしれないからせいぜい気をつけてくれ」と学生時代に同人仲間から告げられ絶句したことを唐突に思い出したが、それはまた別の話。「学費値上げストライキ」として定期試験がボイコットされるような大学だったもので・・・。すでに90年代だったんですけどね。「みんな何処へ行った 見守られることもなく」。

 『東京零年』は本当に久しぶりに手に取った新作で、良くも悪くも「懐かしい」感じを抱くことができたのでこのたびの吉川英治文学賞受賞は嬉しい。
 はたして、角川映画40周年記念事業となる橋本環奈版『セーラー服と機関銃――卒業』(2016)はどうでしょうかね? オリジナル版がそもそも奇跡みたいな作品でプロットだけ聞いてもおもしろいものではなく、原作自体は荒唐無稽な話を巧みなストーリー・テリングで、映画版はなんだかよくわからない力業で押し通して成り立っているわけで、アクション映画の下地が揃いながらアクション映画でもなく、アイドル映画にしてはむちゃくちゃさせられている挙句、基本ロングショット。しかしなぜか主題曲まで大ヒットして、すべてをひっくるめてその時代がよく表れているというべきか。
 一方、反社会的勢力に対する昨今の風潮を考えても新作版は厳しい感じもしますが、40周年記念事業として古典作品を見返す(見比べる)機会になるとしたらおもしろいし、時代の変化をどのように写し取れるかが新作版の見どころに。若い世代も相米慎二監督によるオリジナル版のなんだかよくわからない凄みに触れる機会になってほしい。

 ところで、この2月にも芳林堂書店倒産のニュースなどもあり書店が街から根絶されてしまいつつある。スイミング・スクールの帰りに通っていたスーパー内書店がスーパーごとなくなっているのはやむをえないとしても、この十年ほどで2回引越しをした際に「近くにこういう本屋があるならいいかも」と住まい選びの決め手になったはずの最寄りの書店も引越早々に姿を消してしまった。自分の関心外の情報にも目が届くようになるのは店舗型書店の何よりの効用になるものなので寂しい限り。新刊書の類は極力、店舗型書店で購入するようにしているのだけど。
 アメリカでは大型書店「ボーダーズ」が2011年に倒産後、街から本屋が消えて久しいと聞いていたのだが、バークレーはさすがに大学街だけあって魅力的な本屋がたくさんある。映画『卒業』(1969)にも写り込んでいる「Moe’s Books」は映画関連が意外に少ないもののさすがに圧巻の品揃え。「Half Price Books」はアメリカン・コミックスも豊富な上、CD・レコード・DVDなど音楽や映画も充実していて楽しい。「Netflix」に代表されるストリーミング・サービスやダウンロード一辺倒になってしまっている中で、バークレーにはCD/レコード店(「Vinyl Underground」)もあり、いつも賑わっている。
 大学出版局の書籍を主に扱う「Ten Thousand Minds on Fire」はまるで学会の書籍展示の常設展みたいで多彩な研究書を一望できる。ジェンダー・スタディーズ関連の書籍が充実しているヴァージニア・ウルフの小説名を冠した「Mrs. Dalloway’s」、SF/ファンタジーの「Dark Carnival」、コミックスの「The Escapist: A Comic Bookstore」など個性的な専門書店も目立つ。夜十時まで営業している「Pegasus Bookstore」には二匹猫がおり、UCバークレーからの帰り道いつも眠っている猫を愛でるのが日課に。
 とはいえこうしたアメリカの書店と日本の書店をめぐる状況には、再販制度や古本の扱いなど様々に大きな違いがあり、そもそもアメリカでの店舗型書店の方が現状、生き残りは厳しいと言えるぐらいなので店舗型書店を存続させていくのは簡単なことではないのだろうが、新しい世界に出会える交流の場であり続けてほしい。 






















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