借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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闇を震わす生歌ギター(2016年6月27日)

「大森靖子ハミングバード爆レス歌謡祭」が甲府・京都・東京の3都市で開催。今一つどのようなイベントであるのかわからないままに甲府に行ってきました。
 会場となった甲府・桜座は明治9(1876)年の三井座(後の櫻座)にその起源を遡ることができる由緒ある芝居小屋を継承するもので、明治期に歌舞伎芝居で活況をきわめていたという。昭和5(1930)年に閉鎖後、75年の歳月を経て2005年に甲府商店街の活性化と地域づくりを目指すNPO法人により復活し、現在は音楽家、アーティストの表現の場として活用されている。なるほど、二階の座敷が見やすくなっているのも芝居小屋の由来を聞くと合点がいく。140席収容の座敷仕様で、ゆったりと生音による音楽を鑑賞できるのが醍醐味。

 観客席との距離が近いどころか、冒頭からギター一本抱えながら客席に入ってきて隣で歌ってくれたり(客も歌わされる)、MCというよりも観客とのお喋りや曲のリクエストに応えてくれたりと、ライブハウスとも異なるリラックスした雰囲気は何ものにも代えがたいもので贅沢な限り。途中、ピアノによる弾き語りのパートではKiroro「未来へ」、花*花「さよなら大好きな人」など思いつくままにカヴァー曲の演奏なども加えられ、オリジナルともまた違った大森靖子のシンガー、表現者としての魅力、個性がより際立って伝わってくる。道重さゆみ/ハロー・プロジェクトの熱心なファンとして知られ、そのカヴァー曲の演奏はとりわけ評価が高いが、カヴァー曲だけのアルバムやライブを求める声も多い。「ひとり紅白歌合戦」の桑田佳祐の境地だが、松田聖子(松本隆の歌詞)と松任谷由実と中島みゆきを3で割るような感覚を意識して作ったという「呪いは水色」や「ノスタルジックJPop」「歌謡曲」といった楽曲が示しているように、90年代以降のJPopにどっぷり浸かった音楽体験から出発し、それ以前の歌謡曲を再解釈する志向は、性別も世代も異なる桑田佳祐とも必然的に違ったテイストになるわけで、世代や細分化した嗜好を繋ぐ様々な可能性に満ちている。

 なあんて、二階で他人事のように気を抜いていたら、終盤、ギターを持ったまま、二階にまで上がってきて、文字通り「高見の見物」であった二階席が一転して緊張感に包まれる。いじられるのを恐れて皆が目を合わせないように俯き、息を殺し、目立たないように身をすくめ、さながら猛獣の標的になるのを避けようとするその姿は、積極的に交流しようとする一階の層との違いが浮き彫りに。ファンの間では、「来場者全員を楽しませないと気がすまないO型気質」などとも言われているようだが、「机間巡視」(授業中に教師が生徒の机の間を巡回する指導)は小中学校の教師にとって、全員を参加させる意識をもたせるために基本となるもの。140人といえばそこそこの大教室での講義に相当するわけで、2時間を超えるステージのメリハリといい(リラックスして観客とお喋りしたり、ピアノを弾きはじめると観客そっちのけで一人の世界に深く入り込んだり、そうかと思うと演劇/歌劇のような雰囲気に一瞬で会場を一変させたり)、巧いもんだなあとすっかり感心してしまった。芝居小屋の雰囲気も似つかわしく、即興のような構成に見えながら「劇団・大森靖子」を見せる演劇のように趣向がよく凝らされている。
 授業であるとすればそこそこ大きな規模だが、旬のアーティストが行うライブとしては贅沢な小規模会場になるために、今後同様の試みがどれぐらい実現できるかどうか。実際に、東京会場でチケットがとれずに甲府に流れてきたケースも多かったようで、新宿ロフトでの定例トークイベントもここ最近、急激に取りにくくなった。

 土曜日の15時開演というのも新鮮で、2時間30分近くに及ぶ公演終了後でもまだ明るい時間。地元特産のワインを飲みながら(弱いので飲めないけど)ゆっくり食事もでき、久しぶりの休日を満喫できました(その後、修羅場の日々が待っているとも知らずに)。甲府桜座は雰囲気もよくぜひまた訪ねたい会場。




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