借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年5月7日



オジロマコトによるマンガ『富士山さんは思春期』(2013- )の最新刊6巻刊行!背の高いバレー部の女の子・富士山さんと背の低い男の子による14歳中学生の恋愛物語で、これまでにも作者インタビューなどを通して注目ポイントが確認されているように、女の子側の内面描写がなく、読者も男の子と同じ目線で恋愛の一喜一憂を共有できる仕掛けが巧い。家族とだけしか通話できない「お守りケータイ」しか持っていないという設定もいいですね。高校生の物語になるとさすがにSNSは欠かせないでしょうが、「簡単に連絡をとりあえない」「両想いなのに恥ずかしくてつきあってることを誰にも言ってない」という微妙な関係も中学生ならでは。『漫画アクション』が連載媒体であることからも男性向けファンタジーではあるのですが、女性漫画家ならではの繊細な描写が秀逸です。
 しかし今だと「中学生がつきあう」ってどんな感じなんでしょうね。一緒に帰るっていっても家の方面がぜんぜん違うことの方が多いし、部活をやってたら現実的には単独行動なんてほぼ不可能だと思う。この物語の主人公たちは幼稚園も同じだったという設定で、だんだん学年があがるごとに疎遠になってしまっていた時期もあったらしい。
 そういえばここ数日、親の家の引越準備をしていたこともあり、ふと自分の幼稚園時代のアルバムを手に取ってみる機会がありました。さすがに幼稚園の頃の写真を見ることなんてふだんはないし、その頃を思い出すこともまずないのですが、いつも同じ同級生たちと写っていて、親同士のつきあいによるものであったのでしょう。4・5人の親のグループは皆、第一子だったからということもあったのか、その後今現在に至るまで親同士のつきあいはなんとなく続いており、一方、本人たちは小中学校でクラスが異なったり、ましてや性別が違ったりすると交流はなくなるものですが、親を介して常に近況を知ることが続き、「お互いはよく知らないのになぜか近況はよく知っている/近況はよく知っているのにやはりまったく知らない」という不思議な存在になってます。4・5人のその幼稚園の同級生は私だけ男だったので(同性であっても気が合うとはもちろん限りませんが)、まったく覚えてないですが、小学校低学年ぐらいまでは学校から帰ってよく遊んでいたらしい。中学ぐらいでもクラスは違っても廊下ですれ違ったら「こいつか」という一瞥は互いに交わすのですが、特に話すことがあるわけでもなく変な感じでした。幼稚園時代の写真などなかなか見返すこともないでしょうが、お遊戯会で肩を組んで踊ったりしている写真を見て、今はまったく交流がないのにその後何十年も互いの近況は逐一報告が届くというのも本当に不思議なものです。 
 そんな個人的な思い出話はともかくも(とはいえ読み手が自身の思い出を重ねるところにこそこの作品の魅力がある)『富士山さんは思春期』、快調に展開していますが、いずれ中学(青春)時代の終わりはくるわけで、ハッピーエンドも悲しい別れもうまく想像できないですが、今後がますます楽しみ。
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