借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年5月22日

 「現代文化における思春期の表象(アメリカ文化論編/現代日本文化論編)」は、必修のクラスではもちろんなく、「とらなくていい」授業。そんなクラスを受講してくれるのは、楽に単位がとれるからと思われているのはもちろんあるだろうけれども、幸いなことに講座の内容に何らかの興味をもってきてくれている受講生たちに恵まれて、これまでも物語の作中のことばやちょっとしたふるまいに対して敏感に反応してくれる例は少なからずあった。その代表例が『ブレックファスト・クラブ』(1985)の中でももっとも有名な台詞「大人になると心が死ぬの」。学生の中には現役のティーンネイジャーもいるわけで、当然、高校生の主人公たちに感情移入し、自分は「心が死なない」大人になろうという秘めた決意をそれぞれのことばで綴ってくれていた。
 だがそれはもちろんとても難しいことであって、ある人のことばでいう「呑気な職業」(経済効率だけでは動いていない業界として)である大学の領域であったとしても、ある程度心を殺さないことには、妥協とバーター(誰かに何かを頼もうとすると必ず何かを頼まれる)の連続で、理想主義とはほど遠い会議にすらまともに出ていられないだろう。
 ただまあ私自身にしても、ここ数年、必要以上に「心が死んで」いたかもしれず、こういう講座をルーティーンと手癖でまわしていても本当に何の意味もないので、開講して7年目になる今期は素材の選び方も含めて見直すいい機会にできればと思う。たぶん今期は私の話し方に微妙な変化が出ているのだろうと思うが、例年と比べてはるかに作品のことばに注目したコメントが増えてきていて、それだけ作品世界に入り込んでくれているのだろう。なおかつ学生それぞれが響くポイントとなる箇所が異なるのもおもしろい。今週扱った『セブンティーン・アゲイン』(2009)では、男・女、大人と高校生、過去と現在、それぞれの立場を様々に交錯させながら受講生と意見交換ができたのは有意義だった。自分の年齢の半分ぐらいの若い人たちと常に意見を交わすことができる環境にあるのは考えてみればとても恵まれている(大学はもっと多様な年齢層で構成されるべきだとは思うけれども)。
 私の勤務先の定年年齢(専任教員とその後の非常勤講師としての採用年限)を考えると元気であれば文字通り「あと30年」無理をすれば続けられないことはないのだが、「あと30年」もの間、「思春期の表象」を続けているというのも何だかやっぱり変なので(「男女の心と身体を入れ替えるとはどういうことか」というありもしないことを真剣に話しているだけでも今でも充分「変」なのだけど)、そろそろ「刹那」を意識してまとめに入る時期になってきたかも。そんなわけで近いうちに本にまとめられるといいな。 
 素材としては、今のところ中学生頃の年代を扱った作品が圧倒的に弱いので、中学生の物語の幅を広げていきたい。心や身体や関係性の変化が大きな時期で、一年毎の変化も凄く大きいし、公立の中学校なんてそれこそカオスでダイナミズムに満ちているのに少なくとも私はこれまでうまく扱い切れていなかった領域。「中二病」や「スクールカースト」だけでは掬い取れない要素も結構あるはず。ただ、1997年の神戸での事件以後、「14歳問題」が沸き起こったわけでそれに対する現在の応答も必要とされるだろうからやっぱり難しいな。


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