FC2ブログ

借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2015年6月29日

 第28回山本周五郎賞受賞作、柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文芸春秋、2015)を遅ればせながら読了。父と同じ商社につとめるエリート・キャリアウーマンの栄利子(30歳)は、仕事も充実しており、独身ではあるけれども一人娘として実家暮らしで不自由ない暮らしを送っている。美貌に、キャリアに、高収入に、と周りが羨むはずの人生であるにもかかわらず、彼女の悩みの種になっているのが「同性の友人がいない」という現実。

 彼女が熱心に読んでいるお気に入りのブログ「おひょうのダメ奥さん日記」は、ネットワーク自慢や、主婦としての幸せ度をひけらかすようなよくありがちな主婦ブログと異なり、ブログに登場するのはほぼ夫だけで、女友達が登場せず、自虐的で、とぼけているようで、ユニークな考え方が異彩を放っている。ある日、そのブログの書き手である翔子が思いがけず近所に住んでいることを知り、単行本編集者がブログをもとに本にしないかと打ち合わせをしているところに遭遇した栄利子が彼女に声をかけたところから2人の交友がはじまるのだが・・・。

 趣味やコミュニティなどの場所で交流する場所をもっていないかぎり、確かに社会に出てから友人を作るのは難しい。職場はあくまで職場であって、そこでできる友人関係も得がたいものはあるだろうが、利害関係も絡むこともあるだろうし、迂闊に職場で弱みも見せられない。また、この物語における栄利子を取り巻く職場がそうであるように、雇用形態が異なる場合もあるだろうから、総合職/事務職/派遣社員などの待遇をめぐり、同じ職場であっても共有する要素が少なく気を遣うということもありうるだろう。その一方でとりわけ女性の場合は、職場の休み時間などで孤立することも避けたいとしたら、ある程度のつきあいも必要となるだろう。お昼休みを誰と過ごすかが重要になってくるとしたら、結局、十代の頃と変わらない、あるいはそれ以上に気を遣う面もあるのかもしれない。

 職場とは異なる場所で、結婚や育児、仕事などで張りあわなくていいような、気のおけない「友人」ができるとしたら、それは確かに幸せなことだろう。だが、「張りあわなくていいような」ということはつまり、住んでいる世界がそれだけ異なるということになるわけで、学生時代からの友人であったとすればその後の人生の歩み方が異なるものになるのは自然であるとしても、価値観やライフスタイルがそれだけ大きく異なる相手と新たに友人関係になるのは確かに簡単なことではないだろう。

 表題になっているように、栄利子が事業で扱っている「淡水魚のナイルパーチ」がモチーフにとられていて、「スクールカースト」ならぬ「生態系の違い」に焦点が当てられている。本文中でもくりかえし言及されているように、今日のグローバル化をめぐる環境ドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』(2004)で問題視された、ナイルパーチによる環境破壊の現象を下敷きにしている。(ナイルパーチ自体はもともとそれほど凶暴な魚ではなかったのに、ナイルパーチをアフリカのビクトリア湖に放流したところ、他の魚を食べ生態系を壊してしまったことに由来する)。

 女友達がほしい、翔子を親友としたいとする栄利子が焦燥感を強めていくのに対して、翔子の方は栄利子への恐怖心を強く持ちながらもなすすべもなく、思考を停止していってしまう。
しかしこの女友達がほしい、親友がいないと人生が豊かではないという飢餓感は一体何ごとだろうか。「女子会」という言葉が流行ったように、確かに同性の友人が多くいる方が楽しく華やかに見えるし、人柄も良さそうに見える面はあるかもしれないけれども。

 栄利子には少女時代からの親友がいて、しかし同じ高校に進学してからその親友が別の友達と仲良くしはじめたことから疎遠になりかけてしまった際に、独占欲が嵩じて失敗してしまった過去がある。思春期の女の子特有の現象として、「シスターフッド」と称されるいつもべったりと一緒にいるような独特の関係性があるけれども、逆にあれだけいつも一緒にいたはずの関係がふとしたことから疎遠になってしまうこともあり、それだけ新たな出会いに満ちている学生時代ならではのことなのだろう。

「二学期が来たら、どちらかにもっと合う友達が出来て、どちらかが寂しさに耐えられなくなって、ぎくしゃくして離れていくかもしれない。やがて進級して、大学も別々になって、もう名前も思い出さなくなるかもしれない。でも、二人が大人になった時、街でばったり出会う可能性はあるよ。その時、数分でいいから気分よく立ち話ができたらそれで十分じゃないのかなって私は思う」(『ナイルパーチの女子会』)

 誰の台詞かはぼかすけれども、「友達って何?」をめぐる探究の物語の帰結として、「別れ」と「成長」の要素が必然的に併せられている。その代償は大きすぎる気もするが、他人との距離をうまくとりにくくなっている現代を反映した、女子の友情をめぐる成長物語になっている。年齢を重ねたからこそようやくわかることもきっとあるのだろう。

 ドラマ化もされた『ランチのアッコちゃん』(2013)などの代表作も持つ柚木麻子の作品は、これまでに数点手にとったことはあったものの、正直なところ感銘を受けることはなかったのだが、最近のインタビューによれば、執筆依頼が増えてやみくもに仕事をこなしていた「書き飛ばし期」に相当していたらしく、こういう作品を書ける人とは思わなかった。『ナイルパーチの女子会』もところどころ釈然としない点もあるのだが、おそらく「書き飛ばし期」で身につけたであろう筆力も併せて、じっくり作品を紡いでいくであろう今後が楽しみ。








スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。