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借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年7月7日

 なんと河出書房新社『文藝別冊』にて『総特集ゆうきまさみ』刊行! マンガ家デビュー35周年を記念してとのことだが、『文藝別冊』にとりあげられる日が来ようとは。『機動警察パトレイバー』(1988-94)をはじめ、『週刊少年サンデー』を長期間にわたって支えてきた(1984-2001)堂々たるベテラン人気作家であるにもかかわらず巨匠感がまったく感じられないところが何といっても素晴らしい。

 さすがにキャリアの長い作家だけあってどの段階で作品に触れたかによって代表作も変わってくるわけであるが、私にとっては何といってもゆうきまさみといえば『究極超人あ~る』(1985-87)であって、東京都練馬区諌坂町という架空の町にある春風高校(都立板橋高校をモデルにしたとされる)の光画(写真)部に集う高校生たちの日常を描いた物語。練馬区在住の私にとって「練馬イメージ」の原風景でもあり、学生時代に乗っていたフレーム毎にカラフルな色をしていたお気に入りの自転車にはこの作品から「轟天号」と名づけていたものだ(「轟天号」は主人公あ~るの愛用する自転車であるが、もともとは小松崎茂デザインのメカに由来するという)。影響受けてると言えば受けてるんだけど、すべて些末なイメージの断片から。

 光画/写真部でありながらもほぼ誰も真面目に写真を撮っているわけでもなく、強権的でまじめな生徒会に圧力をかけられ常に廃部の危機にさらされている。ありとあらゆる部活動を描いてきた豊かなマンガ文化の中でも、文化系のクラブでなおかつ何が起こるわけでもない日常をダラダラと描き、実はそういった何も起こらない日常こそが十代の特権であるのだが、大学生の文化系サークルの日常の光景を描いた木尾士目『げんしけん』(2002-06, 2010- )から、空気系/日常系と称される近年のアニメに繋がる系譜の先駆的作品として今では再評価されている。

 サブカルチャー雑誌『月刊OUT』にて『ガンダム』の「アニパロ」(アニメ作品のパロディ)で1980年にデビューしているように、ゆうきまさみといえばパロディであり、同時代に活躍した小説家・清水義範の作風であれば「パスティーシュ(文体模写)」ということにもなるのだが、『究極超人あ~る』においても随所にマンガ・アニメ・映画・特撮・CMなどのパロディが挟み込まれており、特にネタが明かされるわけでもないことも多く、がしかしなんとなくおもしろいという不思議な世界観を作り上げている。私にとっては女優・高峰秀子は常にこの物語のR・デコ(主人公の妹にあたるアンドロイド)の『カルメン故郷に帰る』(1951)のポーズと共に連想される。まったくもってどうでもいい知識や連想をたくさん植えつけられたものだ。

 個人的な回想になるが、『月刊OUT』は小学生時代に農家でお金持ちの友人が購読していて、なぜか彼が読み終わった号をよくもらっていた。ゆうきまさみという作家に対する認識もなしにいくつかの作品が記憶に残っていて、後に『パトレイバー』で人気作家となったことから初期作品が相次いで単行本化(『ぱろでぃわぁるど』『アッセンブル・インサート』[1989]など)された際に、「あ、あれはゆうきまさみの作品だったのか!」と驚いたことが何度もある。当時のゆうきまさみは自虐も込めて「絵日記マンガ家」と自称していたが、なんでもないマンガ家の日常が淡々と描かれているだけなのになぜか不思議と読まされてしまう。初期作品の単行本化がなされた際に正直いって「おもしろくない」と思ったものだが、おそらく「おもしろい」という言葉では捉えきれないところにこそ初期ゆうきまさみ作品の魅力があるのだろう。

 さらに余談だが、『OUT』をいつもくれていたその友人に新所沢にあった「タンデム1」というマンガ専門店を紹介してもらって、小5から中学生(1984-89)ぐらいにかけてはその店に定期的に通い、『うる星やつら』のペンケースや下敷きを使い続けていたものだ。この店はあだち充が経営(?)していた店で『サンデー』系のグッズが充実していて、高橋留美子のサインも飾られていた。さすがに『あ~る』のグッズはなかったと思うけど。実はこの友人とはマンガやアニメの話をそれほど熱心にした記憶はほとんどなくて、「おまえが好きそうだからやるよ」と『みゆき』や『うる星やつら』のポスターやグッズをどかんと定期的に家に届けてもらっていたんだよなあ。今思えば何でそんなことしてくれてたんだろう? 私も図々しいので次にほしいものをリクエストしていたような・・・。

 そんな昔話はともかくも、『あ~る』にはまったく恋愛の要素がないのも特徴的で、東京・江古田にあった伝説の喫茶店「マンガ画廊」(1976-80)に集っていた、とまとあき氏(作家)、川村万梨阿氏(声優)との「特別鼎談」に象徴されるように、両氏とも『究極超人あ~る』の登場人物のモデルでもあり、光画部の世界が体現されているかのような交友関係が見えて微笑ましい。文化系(サークル)内の恋愛問題は『げんしけん』に引き継がれ、さらには近年、話題になっている「サークルクラッシャー」(男性ばかりの地味なサークルでごく少数の女性をめぐって人間関係が悪化する現象)の概念を引き合いに出すならば、『究極超人あ~る』の男女を異性として意識しない世界観は文化系の理想郷(ユートピア/あるいは現実には存在しえない関係性)と言えるのかもしれない。
アニメ評論家・藤津亮太「『パロディ』から考えるゆうきまさみ」は、これまでありそうで意外になかったゆうきまさみ作品の本質に迫る秀逸な論考になっている。また、マンガ解説者・南信長氏による「愛すべき『脇キャラ名鑑』」では、主要キャラの紹介を完全にすっとばして「脇キャラ」の紹介のみというのもいかにもゆうきまさみの世界観ならでは。

 北海道立倶知安高校での後輩にあたるという作家・京極夏彦氏も指摘するように、ゆうきまさみの凄さは、「ほっといても勝手に上がったり下がったりするし、下手をすると消える業界」の中で35年間「上がりも下がりもしない」独自の位置をキープし続けていることにある。好きなことをマイペースでやり続けている「永遠のアマチュアリズム」とでも称すべき(B型の?)表現者のある種の理想形だと思う。







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