借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2015年7月10日

 日本映画の国際学会Kinema Clubにて、1980 年代初頭のキティ・フィルムおよび角川映画によって従来とは異なる回路から登場してきた相米慎二および大林宣彦という2人の映画監督による青春映画にまつわる比較考察を行った際に、「アジアの青春映画との違いをどのように捉えるか」という質問をいただいたのだが、その質問に対する直接の回答を避け、青春映画の比較文化という観点からはフランス映画が興味深い比較対象になるだろうと述べた。アメリカにはコメディを基調にしたティーン・フィルムの伝統があり、さらに先行するロマンティック・コメディの流れも継承していることにより、描かれている高校生たちは恋愛や性に対してある面ではオープンであるように見えながらも、実は結構、奥手でやきもきさせられるような恋愛模様であったりすることも多く、また、恋愛とは何か、性愛とは何か、というテーマに対する深まりに欠ける傾向にある。

 社会人講座で今学期は「女性映画の現在」というテーマで女性の映画監督をとりあげたのだが、そのうちの一人としてフランスのミア・ハンセン=ラブ監督(1981- )による『あの夏の子供たち』(2009)を扱った。突然、家族を残して自殺してしまった「夫」であり、3人の娘たちにとっては「父親」である家族の喪失をそれぞれがどのように受けとめ、再生していくかという物語はストーリーだけ聞けばよくある物語かもしれないが、不在となってしまった「夫/父」の足跡を家族が辿り、追憶していく様が丁寧に描き込まれている。東京日仏学院「フランス女性監督特集」などで来日しており、「フレンチ・フィーメール・ニューウェーブ」を代表する存在として日本でもすでに定評を得ている監督であるはずなのに、にもかかわらず現時点でDVDが発売されているのが『あの夏の子供たち』のみであるという事実に愕然とさせられた。アメリカ映画であれば、「DVDスルー」と称される、映画館で公開されずDVDのみの発売もよくあることなのだが、だからこそ映画館での上映の機会が大きな意味を持つのであろう。

 ミア・ハンセン=ラブ監督の経歴を辿っているうちに『グッバイ・ファースト・ラブ』(2011)という作品に興味をひかれたのだが、2012年に日本でも劇場公開がなされ、作品にまつわるインタビューなどもネット上で簡単に読めるものの、日本版DVDが出ていないのでアメリカ版を取り寄せることになった。

 主人公となる17歳の男の子と15歳の女の子は恋人同士であり、冒頭から基本「すっぽんぽん(死語)」というか、「セカイ系」というか、当人同士の中だけで世界が完結しているかのような密な関係性から物語がはじまる。「別れたら死ぬ」と、常に一緒にいることを要求する女の子に対し、愛情を持ちつつも「愛しているからこそ一人にさせてほしい」と彼女のことを重荷にも感じている男の子は彼女を置いて自分探しの旅として南米に旅立ってしまう。

 「おいおいちょっと待て」という突っ込みどころに満ちている展開であるのだが、その後、それぞれが恋愛・人生経験を踏まえた後に再会し・・・、という物語でアメリカ映画にばかり慣れてしまっていると物語の流れ方から主題の深まり方などすべてが新鮮で、特に思春期の男の子/女の子の心の揺れ動きや不安定な感情のあり方、性や身体に対する意識やふるまいなどが繊細に描かれていて、愛とは何か、性とは何か、十代において人生はどのように捉えられているのか、など根本的な主題に対しても考えさせられる。フランス映画を比較参照することの有効性を改めて認識することができた。ぜひ思春期文化論のクラスでとりあげてみたいのだけど、英語字幕しかないという理由だけでなく裸のシーンが多すぎて授業で扱うのはさすがに無理だろうなあ・・・などと思ってたら7月17日~19日まで「アンスティチュ・フランセ東京」での「WEEKEND CINEMA フレンチ・フィーメール・ニューウェーブ特集」にて『グッバイ・ファースト・ラブ』も上映されるそうで劇場で観られるチャンスが! ありがたい。

 2015年5月から6月にかけても同じアンスティチュ・フランセ東京にて「フランス映画祭特別関連企画 彼らの時代のすべての少年、少女たち フランス映画、日本映画の思春期の若者たち」が開催されており、エリック・ロメール監督『海辺のポリーヌ』(1983)や、ミア・ハンセン=ラブ監督の長編第一作『すべてが許される』(2006)などが上映されていた。唯一観た作品として個人的におもしろかったのは、同じ女性監督であるセリーヌ・シアマ監督(1978- )『トムボーイ』(2011)という男の子のふりをする10歳の女の子が別の女の子に好意を持たれてしまうという物語。性や身体、恋愛に対する考察が深められており、思春期表象にまつわる比較文化論を展開していく上でフランス映画の伝統と最新の状況から学ぶべきことはあまりにも多い(避けられない)ことを実感させられた。

 後期の社会人講座は思い切ってエリック・ロメールの「四季の物語」シリーズ(1990-98)でやってみようかな、なんて呑気に考えてたら、「もう講座パンフレットの初校落ちましたので、二校で入れますから必ず出してくださいよ(怒)」との連絡が。
は! すみません。










スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。