借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年7月13日

 女の子は将来「出産」するかもしれないことを「いつ」「どのように」意識するのだろう?「社会的な刷り込み」という面もあるだろうし、「出産しなければならない」というわけではもちろんないのだけれども、自分にそんな大それたことができるとは到底思えない。
SFの想像力の世界では、ちゃんと男性が妊娠・出産する可能性を探ったものがあり、たとえば、アフリカ系女性SF 作家オクタヴィア・バトラーによる短編小説「血を分けた子子供」(1984)から、シュワルツネッガー主演映画『ジュニア』(1994)、あるいは、萩尾望都によるマンガ『マージナル』(1985-87)なども含めてコメディの素材からシリアスな仮想現実まで、「男性だって妊娠・出産してみたら?」という問いかけを様々に提供してくれている。

 空想世界としてではなく現実の問題として、男性はたとえ妊娠・出産せずともなぜかその出産という現場から逃げてしまうこともある。授業などで妻の出産や父親になることから「逃げてしまう」夫(男性)が出てくる物語を扱う際に男子学生からも女子学生からも猛烈な反発がかえってくる。「妻が出産しようとしている中でなぜ夫はその場から逃げてしまうのか? 信じられない」。ヘミングウェイの短編「インディアン・キャンプ」(1925)では夫はなぜか妻が難産で苦しんでいる背後で勝手に自殺してしまっているし、映画『JUNO』(2007)では赤ちゃんがほしくて養子縁組に躍起になっている妻の姿に「ひいて」しまった夫は突然、まだ父親になりたくないと別れを切り出し、家族を作るための養子縁組が一転して家族崩壊に変わってしまう。確かに一体「何が」「どうしてしまった」のか、理解に苦しむ夫たちの姿が様々な形で描かれている。

 産婦人科院を舞台にしたマンガ『コウノドリ』(鈴ノ木ユウ)の第9巻が刊行されたが、佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』(2006-12)をはじめ、医療の現場を舞台にした物語はすでに定評を得ているわけであり、『ブラックジャックによろしく』の系譜を継承し、発展していることを随所で意識させられる。それでも対比することで大きく異なるのは、主人公の葛藤を抑え目にして、「子どもの誕生」をめぐる様々な状況を極力「あるがままに」受け入れようとする主人公の姿勢がこの主題には似つかわしいように思う。医療現場を取り巻く環境の不備などの問題に対して批判的に目を向けるというよりも、新しい生命の誕生という神秘に対する敬意に貫かれている点こそが、様々な問題を扱っている中で、読後感を心地よいものにしている要因なのだろう。

 当事者でなければ、現在においても「出産」が必ずしも「簡単で誰にでも幸せがもたらされるものではない」という現実を、頭ではなんとなく理解できていたとしても、実感としては持ちにくいのではないか。昔も今も、母体ないし赤ちゃんの死を伴う出産の例は実際には起こりうるわけであり、場合によっては究極の選択を迫られることもある。新しい生命の誕生という喜ばしい瞬間が日常的にもたらされる中で、背後では傷つき、哀しみ、場合によっては「出産」によってすべてを失ってしまうこともありうる。産婦人科医は奇跡を起こせるわけではなく、あくまで出産をより効果的に助けることしかできず、それだけでも大変に意義のある仕事であることはもちろん間違いないが、うまくいって当たり前とみなされ、実際には何も手助けできる余地がないとしても、うまくいかなかった場合には無力感に苛まれることもあるであろうことは想像に難くない。それでなくとも病院は日々、様々な人間模様が交錯する場所であるのだが、子どもの誕生という本来、喜ばしい瞬間を迎えようとする人たちの現場で、誰しもがその喜びを享受できるわけではないという現実は想像以上に重いものであるにちがいない。

 いわゆる「情報マンガ」に位置づけられるもので、このマンガ作品の最大の魅力は産婦人科を取り巻く医療現場で何がどのように起こっているか、現場を支える人々やそこに集う患者や家族などが何をどのように考え、行動しているかを垣間見ることができるところにある。同時に、この作品を通じて感じるのは「物語(ナラティブ)の力」である。それぞれのケースに関する医療現場の立場の視点・状況、患者や家族を取り巻く視点・状況がそれぞれ詳細に描き込まれているために、たとえ自分自身に起こる出来事ではないとしても、それぞれのケースに対し、それぞれの立場に「感情移入」し、様々に思いをめぐらすことができる。

 また、このマンガで大事な点は医療を取り巻く人物たちが、普通の感性と生活をもっていることだと思う。もちろん「普通」より「ちょっと」、あるいは「とても」意識や志が高いのであろうけれども、彼らが常に抱えている葛藤は「自分たちにできることはかぎられている」ということ。そのかぎられている中で何が最善かを皆が考えようとしている。過度に理想像ばかりが描かれるよりも、登場人物たちの「迷い」を読者が共に考える方が有効だろう。「物語の力」を感じさせる医療マンガの最前線の成果であり、出産をめぐる病院という現場での様々な人間模様に圧倒される。扱われている内容は重いものが多いにもかかわらず、むしろ「生」をめぐる驚異に満ちている。








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