借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年7月25日

 『音楽劇 ライムライト』が現在、日本中を駆け巡っている(東京・大阪・福岡・佐世保・鹿児島・名古屋・富山・長野へ)。
「『ライムライト』世界初の舞台化」という触れ込みではあるけれども、チャップリン主演作としての映画『ライムライト』(1952)の単純な「リメイク版/舞台版」としてチャップリンの幻影を追うのではなく、「現代」の「日本」において新たに生まれ変わった『音楽劇 ライムライト』として、ストーリーや世界観、音楽を存分に楽しむことこそが私にとっては醍醐味となった。チャップリンが裏方に徹した、当時の専属女優エドナ・パーヴァイアンスの主演映画『巴里の女性』(1923)を観劇中にふと思い返していた。『巴里の女性』は、「人気者」チャップリンが出演していないことで発表当時、不評となった作品だが、サイレント映画表現の極致として心理描写を突き詰めた意欲作であり、役者としてのチャップリンに目を奪われることがない分、ストーリーや演出に耽溺することができる。

 チャップリンの『ライムライト』の「舞台版」を求めるファン層はチャップリンとバスター・キートンの共演場面がどのように再現されているかをきっと期待してしまうところだろうが、キートン役を物語から省き、「音楽劇」の側面を強く打ち出して新たな「石丸幹二版」を創出しえたことが有効であったと思う。

 チャップリン研究/ファンの立場からは、映画『太秦ライムライト』(2014)、「『ライムライト』原作小説『フットライツ』の発掘刊行」と続き、にわかに『ライムライト』への注目が高められている只中にあるけれども、『音楽劇 ライムライト』に集う多くの観客にとってはそういった文脈はもちろん関係のないことであって、あくまで自立した劇作品として「現在」、おもしろいものであるかどうかしかない。

 実際に、「なぜ今、『ライムライト』なのか?」、「どのように『今』、『日本』で『ライムライト』の舞台化作品を作り上げることが可能であるのか?」という問いはやはり最大の懸案事項であったようで、オリジナル版映画でさえも発表当時の1952年においてまちがいなく「古風な」物語として受けとめられていたはずである(この舞台版においても設定は現代日本の観客にとって「遠い」、1914年ロンドンのミュージック・ホール)。

 そもそもチャップリン家が舞台化作品を正式に許可すること自体、「奇跡的」なことであり、「上演台本/作詞・訳詞」を担当した日本チャップリン協会会長の大野裕之が長年にわたって信頼関係を構築してきた背景によるもので、『ライムライト』の着想の源となった未発表小説『フットライツ』などをも咀嚼した上で、チャップリン未完の映画プロジェクト『フリーク』のための楽曲(”You are the Song” /石丸幹二「君は僕の歌」として2013年に既発表)、さらにこの舞台化作品のための書き下ろし曲などをも導入することが認められるなど、まさしく「夢のような」としか言いようがない企画である。その結果、チャップリン作品と現代日本の表現者とによる正真正銘のコラボレーションとなっている。作曲及びピアノ演奏担当の荻野清子氏によるオリジナル曲とチャップリンによる楽曲とがこの舞台版の中で見事に溶け込んでいるのが素晴らしい(サウンドトラック盤の発売を期待)。

 また、シリアスでしんみりした側面だけではなく、大衆演芸場であったミュージック・ホールを舞台にしていることからも、そして喜劇王チャップリンの作品をもとにしていることからも、コミカルな面ももちろん重要な要素であって、チャップリン作曲(大野裕之訳詞)による「いわしの歌」のパフォーマンスは本作における出色の見せ場になっている。大野裕之は演出にこそ携わってはいないものの、ミュージカル劇団とっても便利の主催者でもあり、「音楽/劇」と、「シリアス/コミカル」をめぐる心地よいバランス感がこの物語の基調を支えている。

 正統的に声楽を学び、歌手でもある石丸幹二氏、宝塚出身の野々すみ花氏であればこそ成り立ちうる「音楽劇」であるが、演出の荻田浩一氏の言葉にあるように、「新たな表現で『ライムライト』を再構築しようとする試み」であり、実は相当に野心的な実験作であったことが創作の背景から見えてくる。

 『ライムライト』は確かにストーリーや演出の妙もさることながら、何よりもやはり「舞台で演じ続けたい」というカルヴェロの飽くなき役者魂、お互いを想い合うカルヴェロとテリーの2人の胸中に共感できなければ物語がそもそも成立しないわけで、キャストにとっても覚悟を求められる作品であったにちがいない。チャップリンの演技をコピーすることではなく、壮大な実験作に果敢に取り組もうとする姿勢こそがチャップリン作品を現代に甦らせる意義と言えるだろう。

 先行する映画『太秦ライムライト』(落合賢監督・大野裕之脚本、2014)は、「5万回斬られた男」の異名を持ち、斬られ役俳優として知られる福本清三55年に及ぶ役者人生の中で初の「主演」作品として、『ライムライト』を超え、福本清三のためだけに作られたような独自の世界観を創出し、口コミと地道な上映活動を通して異例のロングランを更新し続けている。

 一方、「音楽劇『ライムライト』」では『太秦ライムライト』ともまったく異なる「歌と音楽」に力点を置いた上で、オリジナル版『ライムライト』がそもそも「舞台の世界」を描いた作品であったという根本に立ち返らせてくれる(カルヴェロが最後に立つ舞台を表現する空間演出のあり方もおもしろい)。石丸幹二版『ライムライト』では、ライムライトの「魔法の光」に魅せられた表現者の華やかさと悲哀とがにじみ出る形で表現されており、ショービジネスの世界に現役で立ち続けている氏ならではの存在感なのだろう。
プロの脇役としての「映画人・福本清三」を主役に据えた「映画」版『太秦ライムライト』と、「舞台」版『音楽劇 ライムライト』の2作品はそれぞれのメディアの特性を活かした形で、またそれぞれのキャストの資質をも活かした上で、「現代」「日本」の作品として見事に生まれ変わっており、併せて鑑賞することでより一層味わいが増すものであろう。

(『音楽劇 ライムライト』東京:7月5日~15日、大阪:18日~20日、福岡:23日、佐世保:24日、鹿児島:26日、名古屋:28・29日、富山:31日、長野:8月1日)







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