借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年8月7日


 中学時代の同級生女子と大学時代の同級生女子(配偶者)と3人で「女子会」。違うか(笑)。
将来、こちらの配偶者を紹介したり、相手の配偶者についての話を聞いたり結婚写真を見せてもらったり、という未来は中学生の頃はさすがに想像しなかったなあ。次に会うのが27年後になるということももちろん想像できなかったけど。中学生時代に過ごしていた町を車で案内してもらいながら昔話をしていると、長い間、過ごしたはずの町なのに景色がまったく違って見えるのがとても新鮮。

 お互いの話をすればするほどこれまでまったく違う世界で生きてきた「遠さ」が浮き彫りになり、学区再編で別れてしまったぐらいなので当時であっても生活文化圏も異なるので、だからこそ27年もの間交錯することもなく過ぎてしまったわけで、「ほんの一時期、教室という同じ空間で同じ時間を過ごしていた」ことさえもが今となってはかえって不思議なぐらいなのですが、「ほんの一時期、同じ空間で同じ時間を『偶然たまたま』過ごしていた」「だけ」のことで、30年近い歳月の隔たりやまったく異なる世界での人生の「遠さ」を乗り超えて、こんなに「近く」話ができるのが本当に不思議な感じ。幼なじみと言えるような密な関係とも違うんだけど、同級生というのはありがたい存在ですね。

 その会合の前日に「THE 世界名作劇場展~制作スタジオ・日本アニメーション 40年のしごと」(東京・池袋東武百貨店にて2015年7月30日~8月18日開催中)に行ってきました。キャラクター設定の原画、中でも高畑勲が演出・脚本、宮崎駿が場面設定を担当したことで知られる『赤毛のアン』(1979)の宮崎駿直筆レイアウト約30点の展示が壮観。『世界名作劇場』は一年かけてじっくりと一つの物語が描かれていったところに最大の特色があって、登場人物たちとそれこそ同じ時間を一年かけて共有し、共に成長してきたような不思議な「同級生」感覚にとらわれる。「いつ」それぞれの作品が放映されていて、「いつ」それぞれの作品と向き合っていたのかもきっと作品の印象を大きく左右するのだろう。

 前述の中学時代の同級生とも大学時代の同級生とも、このたびはじめて交わす話題であるにもかかわらず、またその時住んでいた地域がまったく異なっていたとしても、クラスメートについての話の続きをするように、『南の虹のルーシー』(1982)や『不思議な島のフローネ』(1981)の話ができるのが不思議。

 僕にとっての「世界名作劇場」は何といっても『赤毛のアン』(1979)で、リアルタイムでこの番組を見始めた最初の作品。『トム・ソーヤーの冒険』(1980)よりも、空想好きで本好きで、孤児(ひとりっ子)であり、将来は教師になるアンに圧倒的に親近感があり(でもどちらかといえばダイアナに惹かれるけれど[笑])、原作小説、映画、そして今でも時々観に行く舞台版も含めて、『赤毛のアン』はこの「世界名作劇場版」版が原風景に。『赤毛のアン』のファンであれば鉄板の見所というか泣き所があるはずで、孤児院から男の子と間違えられてやってきたアンをマシュウとマニラ兄妹が養女として「受け入れる」ことを決断する場面など何度観ても感動してしまう。辻村深月の小説『オーダーメイド殺人クラブ』(2011)では主人公の14歳女子は『赤毛のアン』の熱烈なファンである母親の影響でアンと名づけられ、その熱狂ぶりは娘の視点から見ても少女趣味でイタい母親として描かれており、日本で特に絶大な人気を誇る『赤毛のアン』ファンのあり方が端的に示されている。『フランダースの犬』(1975)が舞台となっているベルギーではほとんど知られておらず、日本独自の人気であることは有名な逸話であるが、日本の大衆文化における海外イメージ受容の観点も含めておもしろい現象/幻想と言える。

 『トム・ソーヤーの冒険』に関しては、先月、作品のモデルとなった町ミズーリ州ハンニバルでの「マーク・トウェインの洞窟」を訪問した際にも思ったのだが、子どもの頃にこの洞窟を訪れていたとしたら、きっと「早く家に帰りたい」と思っていたにちがいない。とはいえ原作の世界観を大事にした丁寧な仕上がりは感嘆するほかなく、もちろん原作と異なる要素もたくさんあるのだけど、青木和代が声優として演じるハックの、おっとりして(おばさんぽい?)いつ訪ねて行っても断らず、つきあいよく応じてくれるハックのキャラクターは独特の魅力を持っている。

 その後も『ふしぎな島のフローネ』(81)、『南の虹のルーシー』(82)と続く漂流・異文化移住路線を楽しんだが、やがてこちらが子ども向け作品を卒業したがり敬遠する時期にもなり、しばらく途絶えてしまった時期もある。『小公女セーラ』(85)、『愛少女ポリアンナ物語』(86)、『愛の若草物語』(87)は熱心に観ていた。『風の谷のナウシカ』(1984)以降、「『ナウシカ』の監督が『赤毛のアン』の作画やってたんだよ。『世界名作劇場』ってすごいらしいぜ」(実際には宮崎駿は作画で関わった作品を評価していないが)といういかにも知ったかぶりのやりとりを周囲で交わしていた背景による。

 『若草物語』以外は「辛気くさい」内容で好きになれなかったが、アメリカの児童文学研究書ジェリー・グリズウォルド『家なき子の物語――アメリカ児童古典文学に見る子どもの成長』(92/翻訳95)で、極貧の生活の中でも一日一つ幸せを探そうとする『ポリアンナ』の宗教的な物語がやはりアメリカの子どもたちにとっても辛気くさく嫌な思い出として回想されることが多いことを知った時は思わず大笑いしてしまったものだ。『家なき子の物語』は19世紀後半をアメリカ児童文学の黄金時代とみなし、その中でも孤児をめぐる物語が多いことに文化史研究の観点から注目した好著であるが、その多くの作品に最初に触れることができたのも「世界名作劇場」を通してであった。

 プリンス・エドワード島では2年に一回、「『赤毛のアン』学会」が開催されているようで、シリーズ連作ものとはいえ一つの作品に限定した学会がしかも2年に一回の頻度で成立することがすごい(次回は2016年の予定で、テーマはジェンダー)。











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