借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年8月32日

 31年半続いた『笑っていいとも!』が2014年3月に放送を終えて以後、メディアの転換期としてテレビ文化自体をも総括する流れとも重なり、戸部田誠(てれびのスキマ)『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か』(イーストプレス、2014)をはじめ様々な形でタモリ論が出された。そうした動向を包括する形で、近藤正高『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)が戦後70周年を回顧するという絶妙のタイミングで発表された。1945年8月22日生まれのタモリにとって戦後70周年は彼自身の70年の生涯と重なるものである。
 本書は本格的なタモリ論であり、同時にユニークな戦後文化論でもある。コメディアンとして「なりすまし芸」を得意とするタモリの代表作に中洲産業大学(助)教授というレパートリーがあり、また、ミュージシャンとしての彼の活動にサンプリングの先駆的作品『タモリ3 戦後日本歌謡史』(81)があるように、偽史であったり、フェイクの講義であったりをいかにも本物らしく、それでいてデタラメにおもしろく聞かせるのが「タモリらしさ」となるわけであるが、本書もまた、序章は「偽郷としての満洲」から説き起こされるなど、壮大なスケールでメディアアイコンとしてのタモリの生成過程を戦後史と重ね合わせながら捉えようとする野心的な試みとなっている。

 タモリの祖父は満鉄(南満州鉄道)に勤務しており、祖父母に実質、育てられたという複雑な生育背景からも、幼年時代のタモリの原風景に家族の満州体験が大きな影響を及ぼしていたようだ。なお「偽郷」という語は著者の造語であるらしく、実際にタモリは福岡生まれであって満州で育った体験はないわけであるが、タモリの後見人となった赤塚不二夫も満州生まれであり、満州で生まれ育った経験を持つ人物たちに共通して現れる「物事を相対化する見方」に注目し、タモリのなかにある「都市的なものへの志向と田舎への冷めた見方」の源を読み込んでみせる。「偽郷としての満州」はわずか13頁ほどの短い「序章」であるのだが、タモリ論および戦後文化史の導入部として興味深い示唆に満ちている。
 著者は1976年生まれであり、タモリがテレビに登場したばかりのもっともアクの強かった時期については体験としては共有していないはずであるが、だからこそ巻末の5頁におよぶ詳細な参考文献表が示すように、資料をもとにメディアにおけるタモリ像を実証的にあぶりだしていく手法がとられている。あくまでメディアの言説史の中でのタモリこそがタモリにとっては「実像」なのであって、メディアの言説史を通してその姿を浮き彫りにしていくことが肝要なのだろう。

 大学を除籍後、郷里の福岡に戻ってから再び上京するまでは「謎の空白時代」とされており、保険の外交員をしたり、ボーリング場で支配人をつとめたりして30歳近くまでを過ごしている。このあたりの消息についてはタモリ自身のインタビューから詳細に辿ることは難しく、タモリ自身が福岡時代に世話になっていた人物に新たな取材をすることで「謎の空白時代」をあとづけている。
 30歳前後で上京し、赤塚不二夫宅での不思議な居候時代を経て、深夜の密室芸人期から、テレビに徐々に出演をはじめていく中でどのようにタモリというキャラクターが形成されていったのか。普通のメガネに七三分けだったという風貌から、顔に特徴がないという理由で、アイパッチ姿を経て定番のサングラスになり、髪型もオールバックで真ん中分けというスタイルが確立していく。第6章の章題に「『変節』と『不変』」と付されているように、「誰もがテレビ向きではないと思っていた」存在から、やがて「国民のオモチャ」を自称する存在に変容していく。
 結果的に31年半、通算8054回続いた『笑っていいとも!』であるが、1982年10月4日の最初の放送の視聴率は4.5%であり、決して期待されていた番組ではなかった。30年を超える長寿番組はその後も盤石であったわけではなく、90年代初頭にはマンネリと批判され、「つまらないものの象徴」と揶揄される低迷期を経た後、90年代後半からはナインティナインやSMAPらに代表されるリスペクトとパロディ化を通して、「まるで風景のようになってしまった」「みんなが見ているけれども、誰も見つめてはいないというある意味『テレビタレント』の一つの到達点」(ナンシー関、2002)に達するに至る。
 最終章「タモリとニッポンの『老後』」が示すように、戦後70年と同時にタモリは70歳を迎え、テレビ文化もメディアの転換期の中、新しい境地を迎えつつある。本書でも引用されているように、「自分の番組の中でおじいちゃんになりたがってる」とおじいちゃん願望を逸早く指摘したのはナンシー関だったが、『笑っていいとも!』終了後のタモリは『ヨルタモリ』(2014-15)、『ブラタモリ』(2015- )とますますマイペースで悠悠自適にテレビに出続けている。森繁久彌との比較による老境のあり方の考察もなかなかおもしろい。

 本書のまとめにあるように、高度経済成長期に伴い、社会の均質化・平均化が著しく進む中で、それに対するカウンターとしてアングラ演劇などが70年代人気を集め、タモリもまた1975年にラジオの深夜放送をふりだしに芸能活動をはじめていった。そして消費社会が進む1980年代にタモリは「お昼の顔」に変貌を遂げ、「国民のオモチャ」を自称するまでにテレビタレントとしてアイコン化されていく。
 志賀重昴『日本風景論』(1894)なども引き合いに出しながら思想史の枠組みの中でタモリを位置づけようとする壮大な試みであるが、メディアでの言説史を丹念に辿っていることにより、文化的アイコンとしてのタモリの特性が浮かび上がってくる。タモリ自身が一貫してしがらみの多い日本の精神風土に由来する関係性や過剰な意味づけを拒んできたように、常に無責任で通りすがりの「他人」でありたがっていたことからも、本書で語られる現代史はあくまで「もう一つの/オルタナティヴな現代史」となるのであろうが、こんな現代史もあっていいし、とりわけ70年代から90年代頃までの時代思潮の推移がよく見えてくる。
 著者は雑誌『Quick Japan』などの編集者アシスタントなどを経てライターとして活動しているらしく、本書はウェブサイト「ケイクス」にて1年間連載された「タモリと地図――森田一義と歩く戦後史」に基づく。本書の他に『私鉄探検』(08)、『新幹線と日本の半世紀』(10)の著書があるようで私は未読だが、もともとサブカルチャー、ミニコミ誌から出てきた人らしくいろいろな領域で書けそうな人で今後が楽しみ。













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