借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年9月3日

「とりあえず明日は一緒に、身の丈にあわない、大きめの夢をみようね」(大森靖子ブログ「あまい」2013年5月12日)

 映画版『女子の事件は大抵、トイレで起こるのだ。』の全国劇場公開(10月~)も決まり、14歳限定ユニット「蒼波純×吉田凜音 ずんね from JC-WC」からデビュー曲『14才のおしえて』もリリースされた。14歳限定ということで12月までという限られた時間での活動ということになるようだが、「デビュー曲」ということは今後も展開があるということか?
 楽曲プロデュースは大森靖子(おおもりせいこ)で、「じゃあ『あみん』みたいな曲作っときますわ!」ということでできたのがこの曲らしいのだが、蒼波純によるリコーダー演奏が間奏で入るなど(編曲のサクライケンタのアイディアらしいが)不思議な世界観で、背景についての逸話を聞かされないとあみんの連想はないかな。そもそも1987年生の大森靖子にとってあみん『待つわ』(82)は完全にクラッシック(歌謡曲の古典)の域だろうが、意外なほど音楽の幅も広く、かつ歌謡曲やJ-Popの系譜に対しても自覚的で、「歌謡曲」(13)、「ノスタルジックJ-Pop」(13)などのタイトルの楽曲もある。「呪いは水色」(15)という曲は、「松任谷由美と松田聖子と中島みゆきを足して3で割ったような感じで作った」と、パロディソング芸人で『すべてのJ-Popはパクリである――現代ポップス論考』(2014)の著書もあるマキタスポーツとの対談で語っていたが、それでいて大森靖子の世界観以外の何物でもない作品として成立しているところが素晴らしい。大体、松田聖子が「呪いは水色」なんてタイトルの曲を歌うわけない(笑)。中島みゆきですらない。今気づいたが、大森靖子版「赤いスイートピー」が、「呪いは水色」になるのか?

 「大森靖子の一生道重」という雑誌連載があるほど、低迷期のモーニング娘。を支えた道重さゆみの熱烈なファンとしても有名で、大森の代表曲「ミッドナイト清純異性交遊」(13)など道重さゆみをモチーフとしたとされる曲も多い。歌謡曲、J-Popの流れを引くような王道のアイドル・ポップスの曲調に思春期の捻りを加えた歌詞による「子供じゃないもん17」(14)を自身で歌っていることからも、今後、アイドルへの楽曲提供も増えていくとおもしろい展開になると思う。
 「子供じゃないもん17」は17歳の高校生女子が「ややこしい私ほんとは好きでしょ?」と男性教師を翻弄する内容の歌詞で、間奏でセリフまで入っていて「あの大森靖子がこんな曲を歌うのか!」と驚きの新境地だったのだが、最後にぼそっと「傷ついてよ」というセリフで落とすところが彼女らしいというか、女子特有のたちの悪さというか残酷さがよく出てる。なんて言ってよくわかんないけど(笑)。「ずんね」には合わないだろうが、思春期女子のややこしい感じを明るくポップスに仕上げるのもきっと職人的に巧いのではという期待がある。

 大森靖子といえば、言葉がほとばしるようにあふれ出る独特の歌詞の世界観に、椎名林檎、川本真琴、JUDY&MARYのYUKIから、銀杏BOYSの峯田和伸まで、それぞれのリスナーがそれぞれの音楽遍歴を彼女に読み込むことができるような音楽の幅に対する貪欲さもあり、ギター一本で弾き語りのスタイルだった初期の活動の印象から、私の第一印象は「鳥居みゆきが憑依した中島みゆき」みたい(笑)。エイベックスからのメジャーデビュー以降、今でこそポップな印象もあるが、第一印象はたいてい、「またやばいのが出てきたなあ」であっただろうし、深みと歪みのある歌詞に凄みのあるパフォーマンスと第一印象のキワモノ感との落差に、気づけば気持ちをもっていかれてしまったというのが私も含めて多くのパターンではないか。

 誤解を恐れないというか、あえてというか、アイドルやフェミニズムの領域で物議をかもしたり、ライブ中にファンとディープキスをして話題になったり、ようやくメジャーデビュー(しかも意外な組み合わせのエイベックス)したと思ったら突然、結婚・出産の発表や、長年活動していたバンド(ピンクトカレフ)でもようやくアルバムを出すと思ったら解散発表など、相変わらず先の展開が読めないのだが、最近は根本宗子(『女子の事件は大抵、トイレで起こるのだ。』脚本)による演劇「夏果て幸せの果て」に関与したり、松居大悟による映画『ワンダフルワールドエンド』自体が大森靖子の音楽にインスピレーションを受ける形で成立していたりと、隣接する他分野の表現者の想像・創造力を喚起する存在であるようだ。中でも映像との相性が良いようで、発表されているプロモーションビデオはどれも素晴らしく、最新作「マジックミラー」(番場秀一監督、15)のPVはわずか6分半ほどであるにもかかわらず、様々な人間模様が織り交ぜられて描かれていて、西川美和の長編映画をも想起させるほどの奥行きを感じさせる。
 もともとPVの企画から起こされた映画『ワンダフルワールドエンド』は、大森靖子のファンとしても知られる女優・橋本愛と、大森靖子がフェス部門で出演し、その後選考委員もつとめる「ミスiD」コンテスト2014年グランプリの蒼波純(ユニット「ずんね」)の2人が主演をつとめており、一見、まったく交錯しない橋本・蒼波・大森という3者の少女像がゆるやかに繋がっており、それぞれがたくましく生きようとしている姿が、はかなさも含めて、清々しく描かれている。
アルバム『絶対少女』(13)にて、「とにかく全ての女子を肯定しようと思いました。わたしはずっと普通の女の子になりたかった、だから私は全員の女の子になろうと思いました」と大森自身が語っているように、「私たちはいつか死ぬのよ 夜を超えても」(「呪いの水色」)などネガティブな歌詞が多い印象と裏腹に、多様な生き方をあるがままで肯定してくれるような包容力とたくましさとふてぶてしさに満ちているのが魅力。

 というわけで、私の担当している「現代文化における思春期の表象――少女像の探求(現代日本文化論編)」で、今学期は大森靖子の少女像を取り上げる予定。「ミッドナイト清純異性交遊」、「ノスタルジックJ-Pop」、「呪いは水色」、「マジックミラー」、「絶対絶望絶好調」、「愛してる.com」あたりの楽曲に、映画『ワンダフルワールドエンド』の一部をとりあげてみたい。本当は教室で扱いにくい歌詞の方が受講生と一緒に深く考えてみたいんだけど、さすがにまあ無理だろうな(笑)。
 受講生には自分で素材を選んでもらって分析してもらう課題を毎年、課しているのだが、音楽を選択したレポートはいつも西野カナばっかりということもあって、大森靖子がどう響くのか(響かないのか)楽しみ。















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