借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年9月11日

「実際のところ、ティーンの女の子なんて、そう簡単に笑ったりしないものだ。キラキラと笑顔でいる方がおかしい」(『ポップ・カルチャーが描く「アメリカの思春期」』)

 長谷川町蔵・山崎まどか『ポップ・カルチャーが描く「アメリカの思春期」――ヤング・アダルトUSA』(DU BOOKS、2015)はまさに待望の一冊。
 同じ2人による『ハイスクールUSA――アメリカ学園映画のすべて』(国書刊行会、2006)の続編・応用編ということになるのだが、『ハイスクールUSA』ではアメリカの学園映画(ティーン・フィルム)のジャンルが形成されていった1980年代から説き起こし、それ以前のたとえば『アメリカン・グラフィティ』(1973)などの青春映画とどこがどのように違うのかにも目配りして、その後のティーン・フィルムのジャンルの発展と多様な展開について対談形式で縦横無尽に語り合う構成。たとえば、学園映画につきものの「プロム」と称されるダンス・パーティなどについても、コラムなどで歴史的展開から現在の状況に至るまで詳述してくれていて、単なる学園映画ガイドとしての側面だけではなく、学園映画からアメリカ文化全般を学ぶことができる。文字通り「語り尽す」ということばがふさわしいほど対象に対する愛情が伝わってくるのが魅力。
 実際に、私が担当している「現代文化における思春期の表象(アメリカ文化編)」では長年にわたり、教科書として指定していて、全学対象のクラスということもあり、アメリカ文化について詳しくなること以上に、身近な大衆文化を広く深く掘り下げることで文化論になりうることを示すための格好の教材に。
 すでに『ハイスクールUSA』は刊行から十年近く経ってしまっていることもあり、本書の価値はそれで減じることはまったくないものではあるけれども、増補改訂版の登場をかねてから待ち望んでいたのだが、新著『ポップ・カルチャーが描く「アメリカの思春期」――ヤング・アダルトUSA』は、『ハイスクールUSA』以後の学園映画の展開を補いつつ、映画だけでなく、YA小説、テレビドラマ、リアリティTVなどさらに多岐にわたる観点からアメリカの思春期文化を捉える試みで、アメリカの思春期文化の深みと厚みを実感できる。

『ハイスクールUSA』が刊行された2006年から現在までの大きな変化は、もちろんサブプライムローン以降の大不況も重要であるけれども、学園映画(ティーン・フィルム)の原型を作り上げた映画監督ジョン・ヒューズが2009年に突然亡くなってしまったこと(満59歳)。『ハイスクールUSA』においても、『ヤング・アダルトUSA』においても第一章はジョン・ヒューズから必然的にはじめられている。すでに故郷シカゴでの隠遁生活に入ってしまっていたヒューズを慕ってカナダから彼を訪ねに行くドキュメンタリー映画_Don’t You Forget About Me_ (2009)が象徴するように、サリンジャーのように、あるいはサリンジャーのあり方をもしのぐほどこの領域では神格化された存在で、長谷川町蔵氏も指摘するように、ヒューズは「思春期を描いた映画どころか『アメリカの思春期』を創造した」と言えるかもしれない。

 第2章では『ハイスクールUSA』以後、2006年から今現在の学園映画の最前線について触れ、早くも「懐かしのEarly 00’sティーンムービー」など確かにティーンネイジャーのファッションや文化は回転が早く、ゼロ年代を回顧し、総括する。キーパーソンとなる役者や裏方(キャスティング・ディレクター)などについてコラム形式で情報がおさえられているのが本当に便利で貴重。
 第3章はテレビドラマに焦点が当てられていて、ティーンネイジャーの文化表象において重要な領域であるのはまちがいなく、しかもDVDであれば一気に観てしまうところだが、ケーブルテレビなどで定期的に観ることができるならば、実際のクラスメートのように共に一定期間の時間を共有できるのもテレビドラマの醍醐味。3章の章題は「『Glee/グリー』とは一体、何だったのか?」とされているように、アメリカ思春期文化における『Glee/グリー』の革新性にまつわる様々な角度からの示唆に満ちていて、『Glee/グリー』のファンである人ももう一度観てみたくなるはず。
 第4章は「リアリティTVとインターネット」がとりあげられていて、現在のティーンネイジャーにとってSNSやネット文化は欠かすことができないものであるし、日本ではLINEや匿名性メディアに人気が集まることからもおのずから比較文化論の趣も帯びる。

 5章・6章ではYA小説、音楽の最先端の状況について触れられていて、ある程度、定点観測的に見ていないと最新の潮流についてはつかみにくい領域なのでコンパクトにまとめられていてありがたい。
 第7章・第8章はこの2人の著者ならではの、ほかの著者では及ばない領域であろう。第7章では小学校高学年から中学生ぐらいまで、10歳から12歳の女の子に焦点を絞った「トゥイーン」文化について詳述されていて、早く大人になりたがる彼女たちにとってのロール・モデルとなる現役ティーン・アイドルやディズニー文化受容など。
 第8章は「プレッピー」ファッションの再評価の動向について。「プレッピー」とは、プレップ・スクールと称される名門私立高校出身者のファッション・スタイルを指すが、まさにプレッピーの文化史として、アメリカの女性作家イーディス・ウォートン『エイジ・オブ・イノセンス』(1920)、フィッツジェラルド『華麗なるギャッツビー』(1925)、映画『ある愛の詩』(1970)、『いまを生きる』(1989)から現在まで名門校文化の文化表象談義が続いた後、その勢いのまま、第9章では「アメリカ大学進路相談」として多様なアメリカの大学のスクールカラー(校風)や学生生活の話に。日本の偏差値的な序列とも異なり、アメリカの大学は多様さが魅力。

 最終章は「永遠にヤングアメリカン」と題して、思春期が延長しているかのように、20代、30代以降の年齢を描いた物語においても、思春期と成長物語のテーマが継承されている最近の傾向について。日本でも同様の傾向はあるが、早く大人になりたがるアメリカのティーンネイジャーの志向性と相反するような傾向であり、また日本の傾向との比較文化的見地からの分析など掘り下げてみるとおもしろいテーマ。「ブロマンス」(brother+romance)と称される男性同士の緊密な間柄を描いた物語や、「恋愛未満の恋愛映画がヒットする」などの近年の流行について触れながら、「主人公が成長するビルディングス・ロマンにこだわること自体が、アメリカの子どもっぽさを露呈している気がする」と山崎まどか氏が指摘するように、成長物語へのこだわり自体がある種の「アメリカの病」として脅迫観念のようにとらわれている面は確かにあり、「思春期」「ナイーブで若くあらねばならないという意識」の観点からアメリカ文化全般を読みかえることもできるだろう。

 私自身がこの本から多くを学ぶことができるのはもちろん、対談形式であることにより、相当にコアでマニアックなトークであるにもかかわらず、初心者にも入りやすいのが素晴らしい。おびただしい数の固有名詞についても、合いの手で解説が入る上、主要人物や作品についてはコラムで要領よくポイントがまとめられているので、いちいち困惑したり、検索したりする必要もない。アメリカ文化になじみが深い人にとっては親しんでいる作品がどのように分析されているのかを楽しめるし、これから触れてみたいと思う人にとってはこの本で紹介されている作品の中からおもしろそうと思うものに手を伸ばしてみればよい。とりわけ英文科でアメリカ文化に興味がある学生に読んでほしい。卒論の素材がたくさんあふれているまさにアイディア集。この本があれば「何をテーマに選んでいいかわかりません」という反応はないはず。そして何より対象に対する情熱をこの本から少しでも学んでほしい。







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