借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年9月25日

 大野裕之『チャップリンとヒトラー』(岩波書店)は、チャップリン研究者として、英語による共著書も含め、すでに複数の著書を持ち、脚本家などとしても活躍している著者による『独裁者』に関する本格的な作品論であり、同時にメディア論にもなっている。この著者がユニークなのはチャップリンの映画『ライムライト』(一九五二)を原作とした「世界初の舞台化」という触れ込みによる音楽劇『ライムライト』(石丸幹二主演、二〇一五年七月初演)にて上演台本・訳詞・作詞に携わり、また、オリジナル脚本による映画『太秦ライムライト』(2014)では脚本・プロデューサーを担当するなど実作への関与をも通して研究対象であるチャップリンの作品と思想とを掘り下げる試みを実践している点にある。サイレント期のチャップリン初期作品のDVDセット『チャップリン・ザ・ルーツ 傑作短編集・完全デジタルリマスター』(イレブンアーツジャパン/ハピネット、2012)に監修者として携わり、声優・弁士口演の収録や、音楽劇『ライムライト』ではチャップリン未完の映画プロジェクト『フリーク』のための楽曲や舞台化作品のための書き下ろし曲の導入を正式に認可されるなどチャップリン家との信頼関係も篤く、国際的にも日本のチャップリン受容は独自に発展しており、その牽引役を担っている。

 本書の醍醐味は、(1)同時代の反応・批評・言説史の整理、(2)「ナポレオン・プロジェクト」を含むチャップリン自身の創作過程の詳述(とりわけ『独裁者』の構想メモ/制作日誌/メイキング・フィルムについて)、(3)作品およびチャップリンの思想に関する洞察力あふれる解釈にある。
 チャップリンによる放浪者のキャラクターは登録商標としてのキャラクタービジネスを代表する存在であり、一方、髭のモチーフを媒介にわずか4日違いの誕生日を持つヒトラーとの奇縁を巧みに重ね合わせていくところから本書は説き起こされる。ヒトラーをパフォーマーの観点から捉え、チャップリンと比較考察しながら、明と暗の対称性を浮かびあがらせていく。チャップリン/ヒトラーのそれぞれの生育背景、第一次世界大戦との関連と歴史の流れを辿っており、根強い「チャップリン=ユダヤ人説」をめぐる言説史の整理は今後、折に触れて参照される基礎資料となるだろう。
 チャップリン研究者としての著者の姿勢は壮大な構想と実証性に特色があり、現在、アーカイブ研究を進めているイタリア、ボローニャのチャップリン・プロジェクトを中心とした最新の研究成果を共同で進めながら、『独裁者』(1940)の着想経緯を詳細に再現していく。ヒンケルの妻がユダヤ人であったという初期アイディアや、日本人スパイ「ノグチ」、複数のエンディングのアイディアなど捨てられた構想から作品を逆照射し、分析する手法は、「アウトテイク」研究(『チャップリン未公開NGテイクの全貌』日本放送出版協会、2007)で知られる著者ならではであろう。
 多くの読者、とりわけ若い世代にとっては『独裁者』は「まぎれもない傑作」であって、実はぎりぎりの緊張感の中で成立しえた孤高の作品(「荒唐無稽な」ほど超越したプロジェクト)であったことは、もはや実感を持って伝わりにくい要素になってしまっているのではないか。丹念な傍証に基づき、『独裁者』の成立過程と時代背景を再現する本書は、『独裁者』を根本から捉え直す契機となるにちがいない。

 『独裁者』論を構想することが、必然的にメディア論になっているのも興味深い。チャップリンもヒトラーもまさに20世紀メディアの中でこそ登場、成立した存在であり、チャップリンについて語ることは、喜劇映画史はもとより、政治と歴史について語ることにもなる。本書で注目されている『独裁者』のラストシーンでのラジオの導入は様々な意味で示唆的であり、現在なおもチャップリンからサンプリングすることにより、広告や音楽が新たに生成されているのも必然と言える。
 本書の試みをさらに進めていくならば、チャップリン自身の戦争・政治観の変遷を、第一次世界大戦下、兵役拒否のレッテルを貼られ、否応なく政治に関与せざるをえなかったプロパガンダ映画「公債」(1918)とその後の戦争喜劇『担え銃』(1918)の成立に遡って辿り、比較参照することで、『独裁者』、『殺人狂時代』におけるチャップリンの孤高の姿勢をより深く理解することができるのではないか。
 実はチャップリン研究は没後30年を超えてようやく様々な資料が開示されるに至り、現在活況を呈している最中にあるのだが、本書は最先端の国際的な研究動向の成果であり、いくつもの連想やテーマの連関を実証的に繋げていく著者のその手つきからは、すぐれたドキュメンタリー映画を観終わったような心地よい読後感に浸ることができる。
(初出『週刊読書人』2015年9月25日付)













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