借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年10月14日


 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015が閉幕。1989年以来、2年に1回の頻度で開催されているこの映画祭はもともとは山形市の文化事業として開始されたのだが、2007年以降はNPO法人となっていて私自身も正会員として名を連ねさせてもらい、山形にもう10年以上通っている。この映画祭の最大の魅力は何といっても監督との距離が近いこと。とりわけ「インターナショナル・コンペティション」部門にノミネートされた作品の多くは監督との質疑応答のセッションがあり、その後もロビーで通訳の方を交えて気楽に話をさせてもらえるのが醍醐味。最新のドキュメンタリー表現作品を通して、「今」、世界の各地で「何が」「どのように」問題になっているのかを展望することができる。
 私が山形に通いはじめた21世紀初頭はセルフ・カメラやフェイク・ドキュメンタリー表現が実験的手法としてあらためて注目されはじめていた頃に相当し、ドキュメンタリーの概念に関する問い直しも進んでいた時期だったので何もかもが新鮮だった。また、女性監督による自己および家族とは何かを探求していく作品群も興味深い潮流となっていた。さらにテレビドキュメンタリーをはじめとするアーカイヴ研究の急速な進展もあり、ドキュメンタリー表現の変遷を歴史的/包括的に辿ることができる場として多くを学ばせてもらってきた。8日間の行程をすべてフルに参加できたことは残念ながらないのだが、部分的な参加であっても実際に来てみると「来ないと何もはじまらない」ということをあらためて実感する。物語作品にも共通して言えることではあるのだけど、とりわけドキュメンタリー映画に関してはどれほど巧みな概要を事前に読んだところで、映像の質感、「インタビューをする者/される者」との距離感や関係性、ドキュメンタリーのナラティヴ(物語方)/展開の手法など、実際に作品に触れてみないと伝わらない要素が多い。
 2008年の世界同時不況以後の作品の傾向としては、格差社会、経済・政治・社会政策の問題に焦点を当てた作品が再び多く現れるようになってきており、そこに家族をめぐる問題やセクシュアリティの問いなども様々に入り込んでくる。

 日本発信による国際映画祭ということもあり、スタート以来、特に力を入れてきたのが、アジアの潮流「アジア千波万波(New Asian Currents)」であり、日本、台湾、中国、韓国、香港から東南アジア、インド、バングラデシュ、イラン、ボスニアまでその射程を広げている。今年の受賞作の一つ、『ラダック――それぞれの物語』(2014)は日本の奥間勝也監督による作品で北インドに住む男の子の夏休みの物語。日本の状況を相対化して捉える発想を得ることはもちろん、国境の概念をも超越して、グローバル/ローカルにそれぞれの今の状況を炙り出していく作品の数々からは世界の多様性をまざまざと実感させられる。
 また、毎回、特集が組まれ、今回は「二重の影――映画が映画を映すとき」として、映画に対する自己言及性を示した作品がとりあげられている。白眉となるのは『薔薇の葬列』(1969)、『ドグラ・マグラ』(1988)などで知られるカルト的映像作家・松本俊夫に焦点をあてた「映像の発見――松本俊夫の時代」(全5部、700分、2015)。700分ってあなた(笑)、それだけで丸一日完全に終わってしまう。5分の3ほど観たが、高度に抽象的ながらよどみなく延々と言語化された解説が続く。曰く、虚構と現実の境目を探り、つまるところ映画とは何かを探り続ける姿勢(とりわけ実験映画に対して)はさすがにおもしろいし、圧倒されるけど、こちらもまどろみと疲労の只中にいるのでなんだかよく消化できないというのが実感。またちゃんと見てみたいけど700分は覚悟がいるなあ(笑)。
 もう一つ大きな特集は、「ラテンアメリカ――人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生」。これまでもキューバ映画特集などはなされてきたが、本格的なラテンアメリカ映画特集で、キューバ、チリ、コロンビア、アルゼンチン、ブラジルなどの作品を、現在のみならず、1960年代の「第三の映画/サードシネマ」以降の主要作品とあわせて約25プログラムを鑑賞できる企画。近年、私はアメリカ合衆国文化におけるロード・ナラティヴとホーボー文化を捉え直して展望する構想に着手しているのだが、社会人講座で取り上げた時も最後は「アメリカの彼方」へ射程を広げ、ブラジル、リオデジャネイロ出身のウォルター・サレス(1956- )監督『セントラル・ステーション』(1998)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004)、『オン・ザ・ロード』(2012)で締めくくっている。ラテンアメリカの光景は驚異(wonder)に満ちており、ロード・ナラティヴの可能性が広がっている。とはいえ、いくつかラテンアメリカ作品を観てみると、やっぱり歴史、言語、文化、様々な観点から複雑さをきわめていて、当たり前だが、生半可で語れる気がまったくしない。というわけで言及だけにとどめるが、『主人――コパカパーナのある建物』(ブラジル、2002)はリオデジャネイロにあるアパートに住む様々な人々にそれぞれの人生を語ってもらうというもので、人々の何気ない人生や生活が実はおもしろいと気づかせてくれる意外な収穫だった。

 さらに「ともにあるCinema with Us」は東日本大震災および福島原子力発電所事故「以後」の世界にドキュメンタリー映画がどのように対峙してきたのかをめぐる特集企画で、2011年から今回で3回目。国際ドキュメンタリー映画祭の拠点となった東北・山形の地で、ドキュメンタリー映画表現の底力をもっとも効果的に発揮する契機となってしまっているのは皮肉ではあるけれども、定点観測的にその後の状況を継続して映像に記録し続けていくのはとても有意義な仕事となるにちがいない。中でも、遠藤ミチロウ監督『お母さん、いい加減、あなたの顔は忘れてしまいました』(2015)がまさに出色の出来。パンク・ロックバンドのザ・スターリンのイメージからは、迂闊に話しかけようものなら殴られるんじゃないかとつい思ってしまうところだが、質疑応答も丁寧に受けこたえをされている姿がとても印象深いもので、作中で福島県二本松市に現在も住む実家の家族のもとを訪れる際の、遠藤氏の優しく落ち着いて朴訥としたふるまいからはまた別の魅力が表れていると思う。このように人物のまた別の側面が浮かび上がってくるのもドキュメンタリー映画ならでは。
 この他にも「現代台湾映画特集」、「アラブ映画特集」などもあり、いくら時間があってもたりないぐらい。映画上映に加えて、トーク・セッションも数多く展開されており、初心者でも必ず楽しめるはず。日本の映画祭事情を考えると夜中近くまで会場を使用できるのはきわめて珍しく、ボランティアの方々をはじめ、考えうるかぎり最高の環境で運営していただいているのは確実なので感謝の気持ちで一杯。メインはやっぱり土日祝日の3日間なのでそこを外してしまったのはいかにも痛恨ではあるけれど、一度行ってみたらまた行こうと思える魅力的な映画祭の一つ。









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