借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2015年10月21日



 ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズによる23年ぶり3枚目となるソロ・アルバム『クロスアイド・ハート』が9月18日にリリース。ファンや批評家からの反応はどれも好意的であり、御年71歳、50年を超えるキャリアをふり返る雑誌やムック本などの特集が相次いでいる。もちろんソロ以前にストーンズ自体の旧譜およびアウトテイク集も併せた過去の音源のアーカイヴ化が急速に進展を遂げており、ここ数年、過去のライヴ音源・映像も「公式ブートレグFrom the Vaultsシリーズ」としてボブ・クリアマウンテンによるデジタル・リマスター化プロジェクトが展開されていることから、ストーンズにまつわる研究も活況を呈している。アンディ・パピアックほか『ザ・ローリング・ストーンズ楽器大名鑑 Rolling Stones Gear』(DU Books、2015年)は出色の研究書で、ストーンズはセッションにより曲を作り上げていく傾向が強かったことからも、代表曲であっても未だに創作のプロセスは謎が多く、レコーディング時に使用されていた楽器を詳細に分析する本書は欠かせない基礎文献となる。写真もふんだんにあり、貴重な証言や逸話が多数収録されていて眺めるだけでも楽しい。曲はキース主導であることが多く、アルバム『ヴードゥー・ラウンジ』(1994)のアウトテイク集(ブートレグ)『ヴードゥー・シチュー』などではキースが全曲ヴォーカルをとっているデモテープも存在する。
  2015年前半のストーンズは北米ツアー(Zip Code Tour)を敢行し、アルバム『スティッキー・フィンガーズ』(1971)のデジタル・リマスター版(スペシャル・デラックス・エディション)の発表も併せてバンド自体が自らのルーツを辿り直しているところに近年の活動の特徴があり、近々リリースが噂されているストーンズとしてのオリジナル・ニューアルバムにどのように影響を及ぼすのかが最大の注目点とされている。

 私は個性的なヴォーカルに惹かれることもあってストーンズへの関心もミック・ジャガーによるところが大きいのだが、キースの最初のソロ・アルバム『トーク・イズ・チープ』(1988)に対しては当時購読していた学習雑誌に衝動的にレビューを書き送って掲載してもらったことがあり、居住地区での作文コンテストなどを除いてはじめて自分の文章が活字になった懐かしい想い出。とはいえ、桑田佳祐の音楽エッセイ集『ケースケランド』(集英社文庫、1986)の文体模写で茶化したものだったのであんなふざけたものをよく載せてもらえたなと今では思う。
 『トーク・イズ・チープ』の時期を含む85年から89年までは「第三次世界大戦」と称されるほどミックとキースの仲が険悪だった時期で、ローリング・ストーンズというバンドから離れてソロ活動に軸足を移しつつあったミックに対し、ストーンズの存続を最大の優先事項とするキースはメディアで公然と「殺してやる」に近い表現で挑発しあっていた。今から思えばこの時期のストーンズの空白期間はわずか2年半ほどにしかすぎないものであったのだが、本当に二度とバンドの再活動はないのではと思えるほどの緊迫感があった。
 だからこそ1989年の再活動の際に、先行シングル「ミックスト・エモーションズ」のレコーディング風景でキースがミックに歌唱指導をしている場面や「おまえは一人じゃない(You are not the only one)」などというベタな歌詞も感動を誘うわけである。「50年も一緒にやってればもちろんケンカだってする。俺たちは兄弟だしね」と語るキースはひとりっ子なわけであるが、ストーンズの作詞・作曲はビートルズと同様に基本的にすべての曲がジャガー/リチャーズの共同名義であり、別名グリマー・ツインズ(双子)を名乗っている。ある程度、年齢を重ねて落ち着いたかというとまったくさにあらずで、キースの自伝『ライフ』(2009)刊行の際にはその記述内容にミックが激怒してるし、2003年の大阪ドームでの公演の際にもキースの準備ができていないまま曲の演奏が開始されてしまったことにキースが激怒。最後まで不機嫌さを隠そうともしない態度に大丈夫か、と観客を動揺させた。

 ニューアルバム『クロスアイド・ハート』の発表と併せて、ドキュメンタリー映画『キース・リチャーズ――アンダー・ジ・インフルエンス』がオンライン上の映像配信サービスNetflixにより先行公開されている。多様な音楽遍歴を反映した『クロスアイド・ハート』を補完する解説としても実質、機能している。『バックコーラスの歌姫たち』(2013)で知られるモーガン・ネヴィル監督だけあって映画単体として観ても完成度が高い。
 親交の篤いミュージシャンであるトム・ウェイツによるキース・リチャーズ評なども織り交ぜながら、イギリスに生まれ育ったキースがエルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、マディ・ウォーターズ 、ハウリン・ウルフなどのアメリカの音楽からハリウッド映画に至るまで50年代アメリカ文化にいかにして魅了されていったのか、さらにキースの音楽観をじっくり聴けるのも見どころの一つ。ジャズやブルースに対するアメリカの音楽文化への憧憬を出発点としてきたキースであるが、ドキュメンタリー映画においては、ケルト音楽のメロディ、アイルランド、ウェールズ、スコットランドなどの音楽との類似点に注目した発言をしているところも興味深い。もともとブルースのコピーバンドから出発していることからも、麻薬依存症で無頼派のイメージとは裏腹に音楽ジャンルに対する学究的な姿勢が強くあり、ニューアルバムでもギターやベースのみならず、ピアノを含め、自ら複数の楽器演奏に携わっている。「絵具で描く感覚で(ピアノを)弾いてるんだ」という独特の表現が表すように、言葉の裏の裏を読まなければいけないミック・ジャガーの言葉遣いとは対照的に、ガハハハという誘い笑いを交えて訥々と自分の言葉で喋るキースの語り口の魅力はドキュメンタリー映画においてもよく表れている。
 ローリング・ストーンズ自体が文化アイコンの最たる存在であるわけだが、1964年にはじめてアメリカでツアーを行った際の回想からは、公民権運動以前の人種分離政策時代のアメリカの文化状況の実際の様子が、アメリカを外側から見るイギリス人の視点により浮かび上がってくる。ニューアルバムとドキュメンタリー映画を通して何よりも伝わってくるのは、音楽の探求者としてのキース・リチャーズの側面であり、流行にとらわれず自分の好きな音楽を好きなように好きなペースで楽しんでいる姿である。

 雑誌『CROSSBEAT』の「キース・リチャーズ特集号」は歴史ある雑誌の特性を活かして、キースの昔のインタビュー記事や、かつてアメリカの情報が遠かった時代に電話インタビューなどによる記事の再録により、キースがのめり込みはじめていた当時最先端の音楽ジャンルであったレゲエの紹介がどのようになされていたかなど同時代の反応を探る上で貴重な資料集にもなっている。個人的に感銘を受けたのは、キースが刊行した絵本『ガス・アンド・ミー――ガスじいさんとはじめてのギターの物語』(奥田民生訳)の翻訳出版の経緯についてまとめられた記事「祖父との交流を描いた絵本日本語発売に至るまでの紆余曲折」(佐藤睦・文)。児童書を得意とするポプラ社から翻訳刊行がなされたわけだが、一人の若い編集者の熱意により素敵な本に仕上がるまでの過程がとても魅力的な物語として紹介されている。

 ドキュメンタリー映画と併せてニューアルバムを聴くとより味わい深く、また、絵本なども併せて読むとキース・リチャーズが不思議と人に好かれるその魅力が見えてくるように思う。十代の頃に出会った音楽についての想いをつい昨日のことにように生き生きと語ることができる少年のような側面と、現在の老成した円熟の境地とが矛盾なくあわさって、音楽を愛し、音楽に愛された幸せなミュージシャンの姿がそこにはある。「少年のような」なんて陳腐で使い古された表現がこれほどしっくりくる人も珍しいのではないかと思うぐらい気持ちが表情にそのまま出るのも相変わらずで、最近は好々爺を飛び越えてなぜかおばあさんを思わせる風貌になってしまっているが、それも含めて味わい深い。
















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