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借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2016年1月5日

 アメリカ文化論への導入装置として「ディズニー」は万能に機能する存在であり続けており、マーク・トウェインやトム・ソーヤにしたところで、「あのディズニーランドにおいて特別に扱われているぐらいだからすごいのかもしれない」ということで関心を持ってもらえたりする。その後に繋げることが多い『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985-90)にしても現役の大学生からすれば「生まれる前の古典」の扱いで「名前は聞くが観たことのない」作品になってしまっており、ブルース・スプリングスティーンに至っては「こめかみに脂汗をしたたらせながらシャウトしてるおっさん」以上の関心をなかなかもってもらえないのが現実だったりする。
 ウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアムはサンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジ周辺、プレシディオと呼ばれる米国陸軍基地跡地に2009年にオープンした施設で、主にウォルト・ディズニーの生涯とディズニー・スタジオの遍歴をたどる展示が充実している。辺鄙な場所にあるのに冬休みの時期ということもあり、日本人大学生らしい人たちがちらほら。情熱のなせるわざなので趣味があるというのは素晴らしい。
1901年生のウォルト・ディズニーは20世紀メディア文化史のみならず、その歩み自体が激動の時代の20世紀と重なっていて年代順にその足跡をたどっていくことで時代変貌のダイナミズムが浮かび上がってくる。
アイルランド系移民としてのファミリールーツについて、あるいは、戦時中から冷戦期にかけての政府や反共産主義に対する関与などアメリカ文化史との関連だけでも重要な観点には事欠かないものの、このたびのミュージアム訪問で一番興味深いと思ったのは1964-65年のニューヨーク万博への関与と実験未来都市構想「EPCOT」について。この点については映画『トゥモローランド』(2015)の公開にあわせて様々に取り上げられているようだが、交通手段やテクノロジーの利便性と田園都市構想との共存など、「郊外化・消費文化」の流れに加えて1960年代の未来観が重ね合わされている点がおもしろい。ウォルト・ディズニーの父親イライアスが1893年のシカゴ万博に仕事で関与しており、その想い出話を子ども時代に聞かされたことがディズニーランドの着想に影響を及ぼしているのではという説もあるように、最晩年のディズニーの大きな仕事がニューヨーク万博のパビリオン設計となったのも20世紀メディア文化史の体現者として運命的帰結であるようにも思う(1964年のニューヨーク万博は会期などの基準を逸脱し、アメリカ中心主義・商業性が強いものであったために万博としては非公認扱い)。
「EPCOT」構想はフロリダのディズニー・ワールド・リゾート(1971年開園)で一部、テーマパークとして具現化されているのだが(1982~)、ニューヨーク万博にてディズニーは4つのパビリオン設計に関与しており、ジェネラルエレクトリック社提供パビリオンの「プログレスランド」ではオーディオアニマトロニクス(機械人形)により、電化製品の発展史とアメリカ中流階級の家庭像の変遷をたどっている。あるいは、ディズニーの出身地であるイリノイ州提供のパビリオンでは、同じくイリノイ州議員として政治活動を展開したリンカーン大統領の機械人形を展示。冷戦期からカウンターカルチャー/公民権運動にかけてのリンカーン再評価の流れと併せて見ていくと、アメリカ中心主義を象徴するニューヨーク万博にて、ディズニーの手によってリンカーンが復活するというのも象徴的に映る。自動車会社フォード社提供パビリオンの「マジックスカイウェイ」では、車に乗って恐竜のいた先史時代から人類の歴史を一望するアトラクションで、鉄道好きでも知られるディズニーの乗り物文化に対する相性の良さも良く現れている。

 このたびのミュージアム訪問でもう一点興味深く思ったのは、初期映画「アリス・コメディ・シリーズ『マンガの国のアリス』」(1923-27)と称される、それぞれ6分から10分程度の短編映画群。実写映画を軸に女の子がアニメーションのファンタジー世界に入り込むという体裁をパターンとするもので、さらに遡り、アニメーション映画草創期のウィンザー・マッケイの代表作『恐竜ガーディ』(1914)やフライシャー兄弟『インク壺の外へ』(1919)などにおいても現実と空想の世界を繋ぐ形でアニメーションが機能している。
「アリス・コメディ・シリーズ」は当時、発足したばかりのディズニー・カンパニーの財政基盤を支えたヒット作であったにもかかわらず、実写映画の技量に乏しく、猫のキャラクター(ジュリアス・ザ・キャット)も物語のアイディアも先行作品の模倣が目立ち独創性に欠け・・・と今日では人気も評価も低いのが実情であるのだが、トーキー映画の誕生期となる1927年までに計57作、海に行ったり、ジャングルに行ったり、幽霊が出てきたリ、異国情緒あふれる外国を旅行したり、闘牛をしたり、風船に乗ったり・・・とステレオタイプによる図式化なども含めた上で当時の冒険世界の捉え方が見えてくる。フランスのコミック『タンタンの冒険』(1929-76)を連想しながら展示を眺めていたのだが、その点でも女の子が主役の冒険物語というのはおもしろい。ヴァージニア・デイヴィス(1918-2009)から計4代の子役女優が代替わりで主役をつとめている。

 ほか、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦する直前の1941年にウォルト・ディズニーが中南米親善大使として南米旅行を敢行し、『ラテン・アメリカの旅』(1942)、『三匹の騎士』(1943)の作品制作に関与しているのも、政治文化状況や表層的な異文化理解などをめぐる批判も視野に入れた上でなお興味深い素材。満州映画協会の国策事業とソフトパワーの政治的力学などの観点から比較することで見えてくることもありそうだ。
また、ウォルト・ディズニー制作による『砂漠は生きている』(1953)、『滅びゆく大草原』(1954)などのドキュメンタリー映画を通して、自然観、動物観やドキュメンタリーの捉え方なども文化史や作家研究の観点で捉え直してみてもおもしろそうだ。『砂漠は生きている』は日本でも年代によって学校行事で鑑賞した(させられた)経験を有するようであるが、ウォルト・ディズニーほどのメジャーな表現者の作品が、一部のファンや研究者を除いては、実は意外に共有されていないのではないかということにあらためて気づかされた。
 さらに特別展「ディズニーとダリ――想像力の設計者」も行われていて、1945年頃に共同制作を進めながらも生前には完成に至らずに終わった短編アニメーション映画構想『ディスティーノ(運命)』(6分)もあった(2003年にディズニー・カンパニーにより発表)。シュールレアリズムのサルバドール・ダリ(1904-1989)と同時代人と言われれば確かにそうかもしれず、とりわけ夢や無意識の領域をどのように視覚的に表現するか、という観点はディズニーとの交流を超えて気になるところではある。とはいえ今の私にはさすがに消化不良なので190頁ある図録をこれからゆっくり楽しみたい。図録で印象深いのはダリのマルクス兄弟への傾倒ぶりでその思い入れの強さが凄い。










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