借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2016年2月1日

 チャップリンの世界的コレクター・大久保俊一さんにご紹介いただいてサイレント映画研究者・映画史家のジョン・ベングトソンさんのお家にご招待いただき、特別講義を拝聴してきました。

 ジョンさんはチャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドといったサイレント喜劇映画にわずかに映し出されている手がかりからロケ地を探し出し、実証する研究をこれまで複数の書籍などを通して発表し続けている。いかに西洋では建物の耐久年数が長いとはいっても、百年近く前の、とりわけアメリカ西海岸の光景は劇的に様変わりを遂げており、映画は当時まだ新しい産業の勃興期であったわけで、制作過程の資料を保存する意識どころか、作品自体までもが消失してしまっていることが多い。実際にマーク・トウェインの初期翻案映画に目を向けても、「奇妙な夢」(1907)やD・W・グリフィス監督による「死のディスク」(1909)はもとより、『まぬけのウィルソン』(1916、50分)のフィルムも現存しない。当時32歳の女優マリゲリット・クラークが少年の一人二役を演じたという『王子と乞食』(1915、50分)など興味深い作品も多いのだが・・・。
ジョンさんが1995年にロケ地を特定する研究に乗り出した際にはまだDVD(ブルーレイ)もGoogleマップも存在せず、サイレント映画の修復/デジタル・リマスター化も本格化する前の時代で、VHSテープ、フィルムやレーザーディスクを素材に、UCバークレー大学図書館の古地図資料室と現地とを何度も往復することによって仕上げられた最初の本がキートンのロケ地をめぐる研究書(_Silent Echoes: Discovering Early Hollywood Through the Films of Buster Keaton_)で1999年の刊行。過去と現在の地図や写真を並置させながらロケ地や撮影所、当時の撮影方法などについて解説を加えていくスタイル。想像するだけでも気が遠くなるような地道な作業の積み重ねによるものだが、やがてテクノロジーの発展に伴い、サイレント映画のリバイバルブームと称すべきアーカイブ化の動きも追い風となって、その後さらに研究は進み、チャップリン版を2006年、ハロルド・ロイド版を2011年に刊行し、『Silent Traces』3部作が完結。
 自宅での特別講義は、「ベイエリア(北カリフォルニア)/エッサネイ期のチャップリン」、「ハリウッドのチャップリン」、「ロケ地研究を通して『キッド』(1921)・『街の灯』(1931)の世界を探る」の3コマ分の集中講義。パワーポイント+動画をもとにゆっくり拝聴させていただきました(約3時間!)。もともとは2014年にスイスで開催されたチャップリンの映画デビュー百周年を記念する国際学会などで披露された研究発表によるものだが、学会では時間が限られていることもあり、「8時間ぐらい喋りたかったんだけど25分しかもらえなかったので消化不良だった」そうで楽しい時間を過ごさせていただきました。 
三大喜劇王がハリウッドに拠点を移してからの時期には、チャップリンの『キッド』、キートンの『文化生活一週間』(1920)、『ロイドの要心無用』(1923)などがほぼ同じロケ地で制作されていたことを解き明かし、3作品を並べて鑑賞してみるとまるでパラレル・ワールドに迷い込んだような錯覚に陥ってしまうほど。
ロケ地探しにどこまで研究価値があるのかと訝る向きもあるかもしれないが、場所や光景から立ち現れる風土の感覚は視覚文化にとって大きな影響を及ぼしうるもので、とりわけハリウッド映画の生成期においては「アメリカ的なナラティヴ/場所の感覚」の原型が形成されつつあった時期でもある。現在のジョンさんの関心は、1940年代のフィルム・ノワール隆盛期に同じ場所の光景がどのようにしてまったく異なる世界観に変容を遂げていったのかを探ることにあるとのこと。そんなジョンさんの本職は実は法律家で、主にビジネス、知的財産権が専門。

 チャップリンがハリウッドに拠点を定める前の「エッサネイ期」とされる時期(1915-16)にサンフランシスコ近郊のナイルズという田舎町で映画製作に携わっており、その期間はきわめて短く、作品数も限られたものでありながらも、『チャップリンの駆落』(1915)と『チャップリンの失恋』(The Tramp, 1915)という放浪紳士のキャラクター形成を考える上できわめて重要な作品がまさにこの時期の産物。大野裕之監修『チャップリン・ザ・ルーツ 傑作短編集DVD-BOX』(ハピネット、2012)においても、アメリカの地方の光景に触れることで放浪者像が強調されていったのではないかと示唆されており、後の作品の萌芽も様々に散見される。サンフランシスコ近郊といってもエリアは広く、『駆落』はゴールデンゲート・パーク周辺で撮影されており、ナイルズからはかなり遠い。1906年のサンフランシスコ大地震から十年も経っていない時期であり、同じ1915年には「パナマ太平洋国際博覧会」と銘打たれたサンフランシスコ万博が開催されていて、震災復興への願いも込められていた。昨年2015年は万博百周年にあたり取り上げられる機会も多く、この時期のサンフランシスコ周辺の風土についてじっくり調べてみたいという気持ちを新たにした。
 「探偵のように」対象を掘り下げて地道に研究を積み上げていくジョンさんに比して、茫漠と関心が散漫に広がっていくだけの我が身を顧みるとなさけないばかりですが、ジョンさんに新たに「ブロンコ・ビリー(エッサネイ・スタジオで1910年代に人気を博した西部ものシリーズ)」研究者のデイヴィッド・キーンさんらを紹介してもらえることになり、月末にはナイルズにある「サイレント映画博物館」にも足を運んでみる予定。ジョンさんも関与している「サンフランシスコ国際サイレント映画祭」は1996年以降、すでに20回を超え、年々盛り上がりを増しているようです(残念ながら6月開催なので参加できませんが)。

 一見、話は唐突に変わりますが、サンフランシスコには「ビートミュージアム」というビート・ジェネレーション(1950年代後半から60年代にかけての文化芸術運動の推進者たちを指し、ジャック・ケルアックの小説『路上』[1955]などが有名)を特集した博物館もあります。ビートの拠点となったシティ・ライツ書店のすぐ傍にあり、パティ・スミスやジミー・ペイジらが、今年になってからもヴァン・モリソンらミュージシャンがふらりとこの博物館を訪れたりもしているようです。 
私のアメリカ滞在中の研究テーマは「大衆文化における放浪者像の変遷」なので、トウェイン、チャップリンからそれこそビート以降の放浪者像までをも繋ぎ、展望することが(無謀にも?)目標なのですが、早々に道に迷ってしまっている感はあるものの、少しずつでも進めていきたいものです。







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