借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016年2月15日


 アメリカ滞在中にこれまでに行ったことがない地域も周ってみようと思い立ち、はじめてニューオーリンズを訪問することができました。
 訪問の第一の目的は、2005年8月下旬に多大な被害をもたらしたハリケーン・カトリーナの悲劇から十年経った今現在のニューオーリンズがどのような状況であるのか探ってみたいというもの。現在取り組んでいる科学研究費課題は、1906年のサンフランシスコ大地震から2005年のハリケーン・カトリーナ災害までのおよそ百年の間に映像表現が(フィクションも含めて)どのように災害を表象してきたのか、その問題点をも含めて展望する試み。ハリケーン・カトリーナ災害はもっとも甚大な被害を受けた地域が、アフリカ系を中心に生活条件の厳しい階層の居住区と重なった上に、救出・復興作業が尋常でなく立ち遅れたことにより、人種や階級をめぐる社会構造的な問題が指摘されてきた。土地勘もないし、車の運転もできないし、実際には被災地の様子を直に見聞することなどできないだろうと諦めていたところ、「ハリケーン・カトリーナ・バス・ツアー」が存在することを知り、参加することができた。
被災地跡を観光の見世物にするかのような動向に対して「ダーク・ツーリズム(ブラック・ツーリズム)」と称して賛否両論あり、災害を研究対象にすることに対する倫理的姿勢ももちろん問われることになるのだが、災害を風化させることなく歴史化して語り継ぎ、復興事業の現況と今現在の問題点とを顕在化させることによって学びの場として捉えようとしている。現場で何が求められ、何が問題となっているのか、マスメディアを通して災害直後には世間の関心が集中し、世論が高まり、チャリティ活動などに繋がり、様々な形で多くの貢献がもたらされる。もちろんそれはとても大事で有益なことであるけれども、それまでの日常が突然に分断されてしまった人たちや町の「その後」の様子や問題点などは時間をおかなければ見えてこない面もある。さらに災害を描いた物語がどのような形で現れ、どのような役割をはたしうるのか。そこに問題点がありうるとしたらどのような課題として受けとめればよいのか。十年経った今でも、救助や救援物資を求める人々のメッセージが壁に書かれたまま打ち捨てられた家の数々を見ながら厳粛な気持ちになると同時に、災害を観光地化することにより、語り継ぎ、復興の現況と今後の計画について周知、共有しようとするアメリカのたくましさをも実感することができた。

 ニューオーリンズといえばアメリカの中でももっとも古い町の一つであり、長い間、交通の大動脈としてミシシッピ川上の蒸気船が機能していたこともあり、文化や様々な人種が混淆する刺激的な町であり続けてきた。地名やクレオール/ケイジャン料理、大聖堂などを通して今でもかつてフランス領であった名残を随所に辿ることができるし、奴隷制度を背景に発展を遂げたプランテーション農園は良くも悪くもこの地域の文化を独自のものにする要因となった。ジャズの発祥の地(諸説ある)としても知られるように、町の至るところでプロ・アマ問わず、音楽に満ち溢れている。古い建物が多く残っていることからも、映画のロケ地としてもよく用いられているようで、くりかえし耳にしたのは、ニューオーリンズ出身の作家であるアン・ライスの『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(映画版は1994)と『ベンジャミン・バトン――数奇な人生』(2008)の舞台であり、撮影が行われた場所であるということ。文学の領域でも作家たちにとって刺激的で、想像力を育む場所であり続けてきており、マーク・トウェインから、ウィリアム・フォークナー、地元出身であるトルーマン・カポーティ、劇作家のテネシー・ウィリアムズなどの足跡を様々に辿ることができる。ジャズにしてもブルースにしても、安価で気楽にトラディショナルなスタイルを楽しめるものが多く、敷居が低く、なおかつ奥が深い。
 さらに日本との関連でいえば、何といってもラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が過ごした町でもあり、記者時代の1882年~87年に住んでいた家が現在、「国家歴史登録財」指定を受けている。この建物はアパートとして現在も居住者がいるようであるのだが、町の中心地からも歩いていける距離にある。ニューオーリンズは「幽霊ツアー」も人気があり、埋葬の習慣も独特で、ヴードゥー教などの宗教文化にも特色があることからヨーロッパ出身であるハーンがこの町でどのように怪談話に対する関心を深めていったのかを考えるのも楽しい。1884年のニューオーリンズ万博の時期にジャーナリストの視点からニューオーリンズ独自の食文化や風習を紹介する本を刊行していること(『クレオール料理読本』[1885]ほか)、また、万博を通して日本人と交流を得たことにより日本に対する関心を抱く契機になったことなどから、やはり万博が大きな役割をはたしていることも興味深い。ハーンが日本で過ごした町の一つである島根県松江市と友好都市交流がなされており、『ニューオーリンズとラフカディオ・ハーン――「死者たちの町」が生む文化混淆の想像力』(八雲会/今井出版、2011)など書籍や講演会、展覧会など松江のハーン研究が近年目覚ましい成果を次々に挙げている。

「マルディグラ」と呼ばれるお祭りと部分的に滞在時期が重なっていたこともあり、本祭当日(2月9日)の様子は見られなかったものの、一週間続く祭りの一部を垣間見ることができたのも収穫であった。もともとはカトリックに根差した宗教行事であるが、現在では宗教性が薄れてしまっているとのこと。フロートと呼ばれる山車から観客に向かって、ビーズのネックレス(のおもちゃ)などを力まかせに投げつけてくるのだが、当たると結構痛い。しかし、子どもたちは器用にキャッチしている。夜の7時ぐらいからパレードがはじまるのだが、終点近くで待っていてもいつまでもやってこない。結局、到着は夜10時から0時頃となり、今年は例年に比して早い2月9日が本祭であったために(2017年は2月28日)結構な寒さの中、大盛り上がりの後は繁華街(バーボン・ストリート)にくりだして酔っ払いばかりでぐじゃぐじゃに。

 余談としては、「沼地+プランテーション農園ツアー」に参加したものの、いざ現地に到着してみるとバスのドアが開かないというトラブルが発生。運転手の方も「こんなことは20年以上やってきてはじめてだ」と嘆きながら、私たちを除く(無能ですみません)観客も総出で協力しあい、ああでもないこうでもないと窓を開けてみたり、非常口を確認したりいろいろ試みたものの、最終的には工具でドア上部のパネルを外し、手動でスイッチを動かすことで30分以上閉じ込められた挙句、ようやく外に出ることができた。傍から見れば、バスに時限爆弾でも仕掛けられたのかと思われてもおかしくない結構な大ごとに。ツアー参加者の一人が私を見て一言。
「これでよくわかっただろう? くれぐれもアメリカ車など買わないことだ」。
 結局、ツアーの後半は時間切れとなり強制終了。This is America.

 ニューオーリンズ観光の意外な見所としては「オーデュボン昆虫館」がおもしろい。有名な鳥類研究者の名前を関したこの昆虫館は北米最大規模。のっけから珍しいゴキブリの一群がお出迎えしてくれる。虫は小さいので認識するのに時間がかかるもので、不意をつかれるのもスリルがある。なぜ大人になると昆虫が怖くなってしまうのだろう。怖いのに怖いものみたさでつい見てしまう。カップルがキャーキャー言いながら楽しんでたり、家族連れのお父さんが野太い声で「うお」とつい恐怖の声をあげてしまったりするのもご愛敬。「アリの視点を体験しようコーナー」では巨大化した昆虫の模型が暗闇の中で立ち現れ、まるで楳図かずお『漂流教室』(1972-74)に出てくる「巨大なサソリのような虫」を想起させるもので結構、不気味。

















スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。