借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2016年2月22日

 チャップリンの世界的コレクター・大久保俊一さんにご紹介いただいた、サイレント映画研究者・映画史家のジョン・ベングトソンさんにさらにご紹介いただく形で、ナイルズ・サイレント映画博物館へ。とんでもなく辺鄙な田舎町で一生たどり着けることはないだろうという印象を勝手に抱いていたのですが(失礼ですみません)、大久保さんからも直々に「西海岸に滞在しているならチャップリンの初期作品を制作したエッサネイ・スタジオが存在していたナイルズにある映画博物館をぜひ一度は訪問しておくべき」というご示唆をいただいたことが強い後押しに。何といってもチャップリンの放浪紳士のイメージを決定づけた『チャップリンの失恋』(The Tramp, 1915)のロケ地でもあるので、さながら聖地巡礼の趣を持つ訪問となりました。

 エッサネイ・スタジオは映画プロデューサーのジョージ・スプア(「S」)と「ブロンコ・ビリー」アンダーソン(「A」)と呼ばれた西部劇スターの頭文字「S and A=エッサネイ」に由来して命名され、1907年にシカゴにて創設。その後、西部劇を得意としていたことからその舞台にふさわしいカリフォルニア州フレモントのナイルズ渓谷の麓にスタジオを構え、チャップリンが在籍していた1915年から16年頃を全盛期とした。チャップリンのエッサネイ期は退社後にチャップリンの許諾なしに編集されたものを含めても14本。きわめて短い期間にすぎないのだが、前述の『チャップリンの失恋』や、『街の灯』(1931)に繋がるボクシング・モチーフの原型ともなる『チャップリンの拳闘』(1915)に加えて、模索期として女装もの(『チャップリンの女装』)や、大衆自動車(T型フォード)によるカーチェイス場面(『チャップリンの駆落』)、さらに酔っ払い芸+初期専属女優エドナ・パーヴァイアンスの初出演作品『アルコール夜通し転宅』などもあり、チャップリンの作品への親しみが増すほど味わい深い時期となるように思う。
 ちょうど百年前に映画産業で脚光を浴びたナイルズの町はチャップリンの退社後、衰退し、1925年にワーナー・ブラザーズに吸収され、再び、小さな田舎町に戻る。百年前の光景(建物)があたかも時間が止まったかのように随所に残っている。

 ジョン・ベングトソンさんにナイルズ・サイレント映画博物館のデイヴィッド&リーナ・キーンさんご夫妻をご紹介いただいたことにより、館内および町めぐりの特別ツアーをしていただき、昔の写真と重ねながら『チャップリンの拳闘』のロケ現場などを巡ることができた。デイヴィッド・キーンさんは『ブロンコ・ビリーとエッサネイ社』(Broncho Billy and the Essanay Film Company, 2003)の研究書で知られる映画史家であり、映写機などサイレント映画時代のコレクターでもある。映画博物館には専用シアターも併設されていて毎週末に上映会が開催されており、キーンさん自身によるフィルム映写により古典映画鑑賞を楽しむことができる。私の訪問時は、『チャップリンの移民』(1917、エッサネイ期ではない)、『キートンの空中結婚』(1923)、チャーリー・チェイス(His Wooden Wedding, 1925)、ハロルド&ローディ(Do Detective Think?, 1927)のサイレント喜劇映画特集上映。弁士が入るわけでもなく、サイレントのしかも喜劇なんて要求されるリテラシーも高く、場面状況を認識するだけでも時間がかかるはずであるのだが、百名を超える観客は最初から大爆笑の連続でよほど皆の目が肥えているのか、最初から笑う覚悟を決めてきてるのか、なんだかよくわからないなりに笑いの渦に引きずり込まれてしまうのも映画館で鑑賞する醍醐味。
 キーンさんご夫妻は平日は別の仕事をされているらしく、映画博物館を開館しているのは週末のみであるのだが、貴重なコレクションを開示し、フィルム/映写機コレクションによる上映会を行うなんてコレクターにとってまさに夢を具現化した境地なのではないか。
 毎年6月末には「ブロンコ・ビリー映画祭」も開催されていて今年で19回目を迎える。「ブロンコ・ビリー・シリーズ」は1912年にナイルズ地区にスタジオを構えてからのわずか4年ほどの黄金時代の中で300を超える数の西部劇作品をもたらした人気作。馬の曲乗りによる大道芸「ワイルド・ウェスト・ショー」の大衆文化の伝統と、後に発展することになる西部劇映画との間を繋ぐ位置づけにあり、クリント・イーストウッドによる映画『ブロンコ・ビリー』(1980)に体現されているように古き良き西部イメージの源泉にもなっている。「ブロンコ・ビリー」アンダーソンは、初期映画の『大列車強盗』(1903)の出演者の一人でもあり、アメリカ映画の黎明期/大衆文化における西部イメージの生成過程を探る上で重要な存在。

 訪問時、博物館に入るとすぐに品のよさそうなおばあさんがちょこんと座っていて、実はサイレント映画時代の子役女優「ベビー・ペギー」として名を馳せたダイアナ・セラ・キャリーさん(1918- )だそうで、チャップリンの『キッド』(1921)で知られるジャッキー・クーガン、「ベビー・マリー」と並び、サイレント時代の三大有名子役の一人。子役の常というか、伝説の子役女優シャーリー・テンプル(1928-2014)の登場よりも十年ほど先駆けているわけでその元祖となるわけだが、自伝(What Ever Happened to Baby Peggy: The Autobiography of Hollywood's Pioneer Child Star, 1996)からは、「ベビー・ペギー」の子役イメージからの脱却に苦しみ、人気の絶頂、社会的・金銭的成功からの転落など波乱万丈の人生が伝わってくる。出演作の多くは残存していないのだが、近年のアーカイブ化の流れの中でいくつかの作品の修復・保存作業が進んでおり、パブリック・ドメインとされていることからもYoutubeで閲覧できるものもある(The Family Secret[1924]など)。
 特別ツアーをしてくれたリーナさんが西部劇やサイレント映画時代の女優の役割を強調していたのが印象に残るものであった。さらに新たにハリウッドにあるハリウッド・ヘリテージ博物館とセメタリーツアーの主催者を紹介してもらう。不思議な縁がかすかに繋がっていくのもおもしろく、ありがたい。

 路線バスとBART(ベイエリア鉄道)を乗り継ぎながら帰る途中でふと思い立ち、放浪作家の先駆者ジャック・ロンドン(1876-1916)の郷里オークランドに立ち寄る。今年はロンドンの没後百周年になるが、チャップリンの放浪者連作の原型がもたらされた時期にも相当し、自伝的回想録『ジャック・ロンドン放浪記』(The Road, 1907)は大衆文化におけるホーボー表象の原風景となる作品。
日曜午後だったこともあって海に面したジャック・ロンドン広場はうららかな春の休日を過ごす人々でにぎわっていたのだが、なぜかジャック・ロンドンの銅像と小屋は標識を覗き込む人たちが列をなすほど。はて?(かくいう私も写真まで撮る観光客なわけですが)













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