借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

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2016年2月25日


 SF(サンフランシスコ)ジャズ・センターにてテレンス・ブランチャード(1962- )作曲による<オペラ・イン・ジャズ(ジャズの中のオペラ)>『チャンピオン』を鑑賞。ブランチャードはニューオーリンズ出身のジャズ・トランペット奏者であるが、スパイク・リーの監督作品における映画音楽で知られ、デンゼル・ワシントン演じる架空のトランぺッターの半生記を描いた『モ’・ベターブルース』(1990)にて「演奏場面の吹き替え」「演技指導」などに関与して以後、『ジャングル・フィーバー』(91)、『マルコムX』(92)、『クロッカーズ』(94)、『25時』(2003)など「アメリカでマイノリティ(アフリカ系[黒人])として生きること」の意味を問い続ける作品群の中でその音楽は重要な役割をはたしており、音楽の連想が強いスパイク・リー作品にとって欠かせない存在になっている。
 また、ニューオーリンズ出身であることからも、2005年のハリケーン・カトリーナ災害の追悼・復興を支える活動に表現者として積極的に関与しており、自身のリーダー・アルバム『神の意思の物語――カトリーナへの鎮魂歌』(2007)を発表。同じニューオーリンズ出身の若いジャズ・トランペット奏者クリスチャン・スコット(1983- )『アンセム』(2007)などともあわせて「ジャズの街ニューオーリンズ」ならではの音楽文化伝統の厚み、凄みを実感させられる。ハリケーン・カトリーナ災害のその後を追ったスパイク・リーによるテレビドキュメンタリー番組『堤防が壊れる時――あるアメリカの悲劇』(2006)や、女性キャスター、ロビン・ロバーツによるテレビドキュメンタリー『カトリーナ――嵐の十年後』(2015)においてもブラチャードは音楽を担当している。アフリカ系のルーツ・文化伝統を継承することに対しても自覚的であり、弱者・マイノリティに寄り添う姿勢が貫かれている。スパイク・リー作品以外にも、未見だがアフリカ系女性作家ゾラ・ニール・ハーストン『彼らの目は神を見ていた』のテレビ映画版(2005)の音楽なども手がけているようだ。

 スパイク・リー作品の要として、また、ハリケーン・カトリーナ災害のその後を辿る数々作品に大きな関与をはたしていることからも、サンフランシスコでの公演情報を知り、私にとってはまったく不案内な世界ながらSFジャズ・センターに足を運んでみました。

 公演『チャンピオン』は「オペラ・イン・ジャズ」と銘打たれた手法によるもので、「ジャズ・オペラ」ではない点に特色があるらしく、確かにミュージカルのようでありながらミュージカルでもなく、演奏家が前景に位置づけられる会場配置が強調されており、芝居の舞台は後景とされている。いつもは音楽監督の立場から映像の表現者の作品を引き立てることに専心しているであろうことからも、歌詞・台詞による「言葉」や「物語」、「演劇」による表現を添えながら自らの作品世界を構築していく試みは、穿った見方かもしれないが、音楽家にとってある種の理想の具現化であると言えるのではないか。
 この公演が再演となる『チャンピオン』(2013年初演)は二幕もので、実在のボクサーで世界王者(二階級制覇)であったエミール・グリフィス(1938-2013)を主人公にした物語。晩年のグリフィスが重度の認知症に苦しんでいたという実際の史実を踏まえ、過去の記憶が混濁した状態であることにより、プロボクサーになる前の「青年時代」、ボクサーとして絶頂期を迎えていた時期に起こった1962年の「伝説の悲劇」、そして要介護状態である「今現在」とが交互に描かれる。「プロボクサー/世界王者」エミール・グリフィスのベスト・マッチであり、キューバ出身の好敵手ベニー・パレットとの伝説の試合にて、グリフィスの連打を浴びたパレットはコーナーで昏睡状態に陥った挙句、試合の十日後に命を落としてしまう。グリフィスはKO勝ちを収め王座を得るも、この悲劇により、生涯、不眠症にわずらわされたという。
 試合前にパレットからゲイを表すスラングで挑発されていたこと、晩年にグリフィスがバイセクシュアルであることをカミングアウトしたこと、同性愛者に対する差別が高まっていた1992年にゲイ・バーを出てきたところを暴漢に襲われ瀕死の重傷を負っていることなど、セクシュアリティをめぐる問題や、母親、妻、息子(養子であり物語上の現在、介護人でもある)を交えた家族をめぐる要素も重ね合わされ、「音楽」(演奏)と「演劇」双方による身体表現により、哀切の情感がホール全体を重苦しく満たす。
 ブルース・スプリングスティーンが主題曲を提供した、ミッキー・ローク主演映画『レスラー』(2008)をも想起し、「オペラ(演劇)/映画」「ボクシング/プロレス」「ジャズ/フォークロック」との違いを何となく感じながらも、私自身は「ジャズ」も「オペラ」も「ボクシング」も不案内であるためになおも未消化なままであり続けているのだが、ジョイス・キャロル・オーツによるノン・フィクション『オン・ボクシング(ボクシングについて)』(1987)を今読めばもう少しわかるだろうか。生をまっとうしたボクサーの物語が充分に表現されていて、その重たい余韻も不思議と悪くない。これが「ジャズの中の歌劇」であるゆえんなのだろう。













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