借りてきた猫のように

――フィクションの中で生きる~映画・小説・音楽・マンガなどの日常――

過去ログ

大森靖子カウントダウン・ライブ(2017年1月1日)

 カウントダウン・ライブから帰宅。
なんやかやでアメリカ研修から帰国後、大森靖子・新宿でのイベントはマンスリー・ミーティング(定例「実験室」)も含めて皆勤できました。

 カウントダウン・ライブは2016年11月にメジャー・デビューしたアイドル・ユニットMaison Book Girlとの2マンライブ。
Maison Book Girlは大森靖子ファンにはPVでおなじみのコショージメグミを軸に結成されたグループで、いつもヘラヘラしてるコショージしか知らなかったので、すみません、なめてました。
まったく想像もしていなかったファン層で、かぎりなく岸和田だんじり祭りや騎馬戦に近い感じで、メンバーのMCの間すら「いいから早く(演奏)やれよ」と怒号が飛び交う荒々しさ。ほとんど暴徒。
なんなんだいったい(笑)。
空間認識もおかしくて、どんなにスペースが狭くてもおかまいなしで思い思いに踊りまくるので、鋭角的な動きが読みにくくて怖い(笑)。

 しかし、ロックやパンクが担ってた層がこちら(地下アイドル)に来てるのだろうか。
いいことかどうかわからないけど、ロックが小難しい印象を与えてしまっていて回避されてるのかなあ。
もちろん多様に細分化してるので単純化はしにくいわけですが。

 そんなこんなで2017年を迎えたのでした。







この世界の片隅に(2016年12月31日)

 アニメ映画『この世界の片隅に』についてはすでにあまりにも多く語られているので、つけ加えることは何もないのだが、舞台となる呉市出身である私の母親を連れて映画館に行ってきた「雑感」を記念に書き留めておきたい。
 とはいえ結論から言うと、私の母親は終戦時にはまだ幼児だったために物語から新たな逸話を引き出すこともほぼできず、厳密には市街地から若干離れた街の出身なので何を尋ねてもあやふやな反応しか得られなかったのだが、よく考えてみれば、母親と一緒に映画館で映画を観ること自体が新鮮な体験である。

 私自身も呉で生まれているもののその地で育ったわけではないという立場から(里帰り出産による)あらためて思ったのは、原作者も監督も実際の出身ではない場所を舞台にしている事実はことのほか大きいのかもしれないなということ。呉は原作者のこうの史代にとって母方の家系の郷里であるようで、伯母にあたる方に対して謝辞が捧げられている。
 また、大阪出身の片淵須直監督は先行する作品『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)において、広島の隣の県である山口の防府を舞台としてとりあげており、9歳の主人公「新子」のお母さんが昭和30年に29歳であるという設定が、遡って昭和20年に19歳となる『この世界の片隅に』の主人公と「重なる」偶然の必然性について述懐している。『マイマイ新子と千年の魔法』の原作は、高樹のぶ子による自伝的小説『マイマイ新子』(2004)であり、山口県防府市は原作者の郷里である。「日本版『赤毛のアン』を現代に」という狙いを込めた自伝的小説をアニメ化する際に、空想好きな主人公の想像力が千年の時を超え、平安時代の周防の国と結びつく様をファンタスティックに「視覚的」に表現している点に特色がある。
 結果的に『マイマイ新子と千年の魔法』は公開当時、興行的に低迷し、打ち切りの憂き目にあってしまうのだが、制作途上、資金面で行き詰まった『この世界の片隅に』を救うことになるクラウド・ファウンディングの大成功を主に支えたのは『マイマイ新子と千年の魔法』のファン層であり、広島・山口に代表されるローカルな地方の風景とことば(方言)を精緻に描く、この二つの物語は分かちがたく結びついている。『この世界の片隅に』の評判を得て、『マイマイ新子と千年の魔法』の再評価がもたらされてきており、2017年1月8日には公開時に初日舞台を行った新宿ピカデリー劇場にて監督の舞台挨拶付アンコール上映が行われる予定である。
 二作品共に風景とことば(方言)が丹念に描かれているのだが、『この世界の片隅に』の方が時代考証など様々な面でより一層発展している。航空史研究家(学研『太平洋戦史シリーズ』など)としての側面も併せ持つ片淵監督により、特に昭和18年から21年頃の呉の状況が一次史料を徹底的に踏まえることで、視覚文化であるアニメ表現を通して再構築されているのだが、単に史料の再現として正確なだけでなく、当時を知る人たちの話に耳を傾ける地道な活動の成果が細部の描写に人間味や真実味をもたらしている。例えば、広島から呉への物理的距離は物語中において汽車の移動によって示されているのだが、呉線で呉に向かう直前にトンネルを抜けると軍港・呉が現れる。戦艦「大和」建造を秘匿するために当時はトタン板で覆われていたそうで、そのトタン板が「銀色」に塗られていたために太陽光が反射して車内は大変な「暑さ」になっていたという。
 マンガの原作をアニメ化する際に大きな特色として「色」は大きな役割をはたしており、「緑」豊かな山・段々畑・坂の街と海・空の「青」のコントラストは『この世界の片隅に』の物語においても基調をなしている。しかしながら、文字史料において「色」は辿りにくい側面であるにちがいなく、もっとも再現に苦心した点の一つであろう。加えて、匂いや温度(暑さ)など五感に訴えるのも本作品の醍醐味となっている。ローカルな風景やことばを、五感を通して愛情深く実証的に再構築する姿勢は、地元の出身者が抱く愛憎交えた、時に屈折した感慨とも異なるものであるかもしれず、出身でない者の視点に立脚しているからこそ特定の地域を細密に描きながらも普遍的な力を持ち、郷愁に誘う効果をあげているのではないか。
 二作品共に主題歌をコトリンゴが担当しているように、「音楽」も物語において大きな役割をはたしているにちがいないが、映画館でもっとも体感されるであろう「音」の効果は絶大なもので、爆撃機が旋回する「音」、爆弾が投下される「音」がひときわ不穏で恐ろしく感じられる。ほか、画面の構図・アングルも趣向が凝らされており、アニメ・メディアならではの「動き」をどのように表現しているかも含めて、「視点」「視覚」の面からの作品分析も有効であろう。
 『この世界の片隅に』は原作とアニメそれぞれのメディアの特性を活かしながら相互に補完しあっている点も絶妙であり、原作を先に読んでいる者であれば、動画としてのアニメ表現の技巧を楽しむことができるであろうし、アニメを先に観た者であれば、後に原作に触れることによって原作マンガの叙情性やマンガという表現メディアならではの実験性を堪能することができるであろう。
 原作は月2回刊行による雑誌連載として実際の歳月の流れと併せて展開されていたものであり、初出媒体で触れていた読者は実際にはそれほど多くないとしても、計3巻に及ぶ原作マンガの分量による体感時間と、2時間程度のアニメ映画とでは時間の流れ方も異なるものにならざるをえない。丹念に時間をかけて成長を描いた原作と比べれば、アニメ版の主人公すずは子どもっぽく映るし、物語の繋がりがわかりにくい場面も少なからずある。その点でも、アニメと原作マンガは相互補完的な関係にあり、双方のメディアを通して物語が完結するような構成になっているのもおもしろい。

 母親と一緒に映画を鑑賞している最中に、主人公のすずと年齢はまったく異なるものの、私の祖母もそういえば広島から呉に「嫁いで」きたことに初めて思い至った。私の祖母は妹夫婦を原爆で亡くしている。『この世界の片隅に』は「夫婦/家族」になろうとする物語でもある。そもそも私にとって祖母は「おばあさん」の姿でしかなく、祖母にも娘時代があったというごく当たり前のことをこれまでまったく想像したこともなかった。
 大きなテーマについて語ることができる作品であると同時に、「私」の領域で様々に「感じ」させてくれるのもこの作品ならではの魅力であると思う。













ストーンズ11年ぶりのニューアルバム(2016年12月30日)


 雑誌『ブルース&ソウル・レコード』(2017年2月号、12月24日発売)はローリング・ストーンズの11年ぶりとなるニュー・アルバム『ブルー&ロンサム』特集号で、詳細な各曲別解説はもとより、ユニバーサル・ミュージックとPヴァイン社の全面協力のもと、特典としてオリジナル・カバー曲すべてをアルバム順に収めたCD付!
 Youtubeなどでもオリジナルの楽曲と聴き比べることができるのが今の時代ならではの醍醐味なのだが、このような連携で音楽を多様に楽しむ下地を作り上げてくれる心意気が嬉しい。
 すでに様々に指摘されているように、ローリング・ストーンズの名前の由来になったマディ・ウォーターズ(1913-83)から一曲も選ばれていないのは意外だったが、マディ・ウォーターズのバンドにも参加していた伝説のハーモニカ奏者リトル・ウォーター(1930-68)から4曲採用されているなど現在のストーンズが何を古典に求めているかを探るのも楽しい。 

 2005年の『ビガー・バン』以来11年ぶりとなる本作は、もともとはオリジナルの楽曲によるアルバム制作の副産物としてもたらされたもので(「脱線」という言葉で説明されている)、レコーディング中に行き詰った際に気分転換としてカバー曲を演奏したところから急転直下に産み出された経緯があるという。わずか3日間ほどで一気呵成に録音されたというだけあって演奏の間違いもそのままの勢いで収録されているほどのライブ感が最大の魅力で、とりわけミック・ジャガーのヴォーカルが若々しい。ブルース・ハーモニカも冴えわたっていて、映像がなくともその得意満面な表情が浮かび上がってくるかのように、楽しそうにセッションを楽しんでいる様子が存分に伝わってくる。
 ロンドンのグローヴ・スタジオで録音していたら、たまたま隣のスタジオに来ていたエリック・クラプトンも誘って一緒にセッションしたという「偶然」までもが運命的に映る。

 22年ぶりに英国アルバム・チャートで1位(日本のオリコンチャートでは洋楽部門で3位)を獲得するなどセールスが好調なのもなにより。キャリアも50年を超え、今さらチャートの順位や売上を気にしなければいけないわけでもないのだが、第一線の現役であり続けていることの指標になるものであり、オリジナルで勝負できないからではなく、カバー・アルバムがむしろ挑戦であったということは重要な意味を持つ。
 ローリング・ストーンズはライブのセットリストも保守的でヒット曲で固めるのが基本。「構想50年」というキャッチコピーが示すように、ブルースのコピー・バンドから出発したことからも、いずれはブルースの原典に立ち戻りたいという想いは実際にあったのだろうが、全編古いブルースのカバー・アルバムを現役第一線のバンドとして出すだけの自信をようやく持つことができるようになったということでもあると思う。
 これまでもシングルとして発表されたソウルのカバー曲「ハーレム・シャッフル」(1986)や、ライブ盤に収録されているマディ・ウォーターズ「マニッシュ・ボーイ」(『ラブ・ユー・ライブ』1977)、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」(『スティル・ライフ』1982)などここぞというところでカバー曲も有効に導入されてきているが、あくまで一部のコーナーにすぎない扱いであり、カバー曲中心であったデビュー・アルバム(1964)においても自作曲「テル・ミー」を含んでいたことから、全編カバー曲によるアルバムは50年を超えるキャリアではじめての試み。

 それにしても結成50周年ライブ、過去の音源のアーカイブ化、展覧会開催がこのような形で結実するとは! 2016年だけでも「展覧会」(Exhitionism、ロンドンでスタートし、現在はニューヨークで開催中)、キューバでの記念碑的フリー・ライブとその映画化(『ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016』)+中南米ツアーを題材にしたドキュメンタリー映画『オレオレオレ ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』制作、過去の音源のアーカイブ化として、『トータリー・ストリップド』(1995年のセッション)に、1960年代の音源をモノラルヴァージョンでまとめた15枚組ボックスセット『THE ROLLING STONES IN MONO』発表・・・と、買う(高い!)のも、聴く(量が多い!)のも、寺田正典氏の膨大な解説を読むのも(ありがたい!)、追いつかないほどの嬉しい悲鳴の連続。
 ほか、クラシック・ロックの祭典「デザート・トリップ」(10月7日)に登場し、ビートルズのカバー「カム・トゥゲザー」をはじめて披露したことに加えて、ロン・ウッドに双子誕生、ミック・ジャガーに第8子誕生などもあり、話題に事欠かない一年だった。構想されていたはずのオリジナル楽曲によるニュー・アルバムに、新たなワールド・ツアーも期待が高まる。ラスト・ツアーと言われながらもすでに30年ぐらい経っているが、最年長のチャーリー・ワッツも75歳であり、さすがにいよいよ最終局面か。

 アルバム発売のニュースが公表されて以後、インターネット上の公式HPやSNSなどではアルバムのタイトルにあわせて、ブルーに彩られたおなじみのロゴ・マークをはじめとするマルチメディアを駆使した広報戦略は相変わらずお見事。とりわけ日本のアパレルメーカーによる公式グッズは気が利いたものが多く、アルバム発売を記念したストアも充実。
 ロンドンでの展覧会を見学してあらためて実感したが、音楽面でもブルースを基調に、ロック、ソウル、スワンプ・ロック、カントリー&ウェスタン、キースが傾倒するレゲエ、チャーリー・ワッツが傾倒するジャズなどその一般的なイメージよりもはるかに多彩で、なおかつショービジネス、大衆文化への影響、関連も皆が想像する以上に深い。

 ニュー・アルバム『ブルー&ロンサム』からオリジナルのブルースの世界と聴き比べることで双方の特色も見えてくるし、初期60年代ストーンズを聴き比べることで50年の年輪を探ることもできる。ブライアン・ジョーンズってやっぱりセンスあるんだなと実感するなど無限ループのようにどっぷり楽しめる。














東京コミコン(2016年12月5日)


 日本ではじめての開催となった「東京コミコン」(2016年12月2日~4日、於・幕張メッセ)が盛況のうちに閉幕。「コミコン(Comic-Con)」はアメリカのサンディエゴで1970年にスタートし、現在も7月に開催されている「コミコン・インターナショナル」がもっとも有名かつ大規模で、コミックス、映画、ゲームを中心としたポップカルチャーのイベント。
 映画で使用されたアイテムや衣装の展示、ハリウッドスターやコミックス・アーティストとの写真撮影やサイン会、新作映画・コミックス・アニメ・ゲームなどの紹介、VR(ヴァーチャル・リアリティ)、「ドローン」などの体験型展示、アーティストと直接対話ができる販売ブース「アーティスト・アレイ」、マニア向けレアグッズの販売、さらにメインステージではトークイベントやコスプレ・ショー、ライブ・パフォーマンスなど多彩なプログラムが用意されている。ファンである参加者とゲストとしてのアーティストや映画スターなどの距離が近いのが「コミコン」最大の特色で、基本的な枠組みやファン第一主義の精神は「東京コミコン」においても継承されており、参加者がそれぞれのやり方でイベントを満喫できるのが醍醐味。キャラクターになりきったコスプレ参加者が会場を闊歩している姿も壮観。

 東京でのはじめての開催ということで、アメリカン・コミックス文化を主軸としていることからも、アメリカの「コミコン」の気風をはたしてどこまで日本に導入できるのだろうかと予測がつかないところもあったのだが、バッグやファッションなどアメコミグッズを身に着けた女性の姿も目立ち、ここ数年のアメコミ映画の隆盛が日本でも実を結んでいることを実感する。アメリカの「コミコン」と比べると規模は小さいが、「東京コミコン」の提唱者の一人であり、マーベル・コミックのアイコン的存在である伝説の原作者、スタン・リー(93歳!)もゲスト参加し、オープニング・セレモニー、撮影会、サイン会に登場していることで記念すべき第一回「東京コミコン」に華を添えた。ほか、『アヴェンジャーズ』の「ホークアイ」役を演じたジェレミー・レナー、『ハリー・ポッター』のネビル役、マシュー・ルイスなどがゲスト参加。
 日本のポップカルチャーとの融合という観点からは、映画関連の展示として、『アイ・アム・ア・ヒーロー』、『寄生獣』、『シン・ゴジラ』、『デスノート』、あるいは『おそ松さん』なども。SNS時代のファン・カルチャーのあり方に対応し、写真撮影のポイントが様々に用意されており、撮影会・サイン会ブースなどの一部を除いて写真撮影がどこでも可能であるのも嬉しい。また、外国からの参加者向けに日本文化紹介にも力を入れており、地方文化紹介ブース(香川・出雲・松山など)や地域色豊かなフードエリアなども日本のコミコンならではの特色を示している。
 近年、「コミコン・インターナショナル」において商業主義の傾向が過度に強まっていることに対する懸念の声もあるのだが、映画、ゲームの領域ではとりわけ新作の宣伝の場として機能している面は確かに見られる。「東京コミコン」でも12月下旬公開の『バイオハザード・ファイナル』が一際目を引いた。もともとは日本のカプコンによるゲームからもたらされていることからも「凱旋」とも言えるもので、グローバル/マルチメディア時代の文化交流の産物でもある。『バイオ・ハザード』シリーズに加え、続編『ブレード・ランナー2049』の公開が2017年秋に予定されている『ブレード・ランナー』(1982)、新作『ローグ・ワン』公開直前の『スター・ウォーズ』シリーズなど、シリーズの特性を活かしたアーカイブ展示は特に熱心なファンの注目が高い。
 かくいう私は「男の子カルチャー」の王道であるアメコミやアクション、バトル、対戦型ゲームなどがからっきし苦手で、「キャラ」に対する嗜好にも乏しく、特定のキャラに対する思い入れもあまりない。要は『コミコン』の王道からはまるっきり逸れてしまっているわけだが、展示場をぶらぶらと眺めるだけでも多様なファン・カルチャーのダイナミズムを実感できるし、新しい世界や最新の動向、ディープなマニア道などを概観できるのも楽しい。
 映画ゾーンではハリウッド映画の誕生から現在までを写真パネルで展望できる展示があり、ポップカルチャー文化史に対する意識を持つ良い機会になればと思う。ポップカルチャーは(あらゆる文化に言えることであるが)過去の作品からの継承によって成り立つ面が強く、実際に過去の作品からの引用がオマージュからパロディまで様々になされることが多い。同様に、アメリカのコミックスの歴史についても写真パネル展示が今後あれば有意義であろう。スーパー・ヒーローものだけではなく、『フェリックス・ザ・キャット』(1919)、『ポパイ』(1919)など古典コミックスのキャラクターもグッズなどを通して日本でも親しまれているが、歴史として捉える機会に乏しいのが実情ではないか。歴史の意識を持つことでポップカルチャーはさらに奥深く、楽しいものとなるはずだ。

 クロージング・セレモニーでは来年以降も「東京コミコン」を継続できるようにという願いを込めることで締めくくられており、次年度開催の正式発表はまだなされていないが、参加者の満足度も高いように見受けられた。日本のポップカルチャーとの連動についてはさらなる発展の可能性の余地も様々に考えられる。アメコミ文化も、映画やユニバーサル・スタジオなどのテーマパークなどを通じて日本でもかつてないほど多くの層で幅広く浸透してきている。「東京コミコン」が定例イベント化することで、アーティストの文化交流も含めた新しい潮流を期待したい。







1987年の忌野清志郎(2016年12月2日)


 なんと唐突にムック本『1987年の忌野清志郎』(三栄書房)発売!これは嬉しい。
 初のソロアルバム『RAZOR SHARP』(1987年2月)発売から30周年を記念した企画であるようだが、ロックTシャツブランド「Amplifier」によるムック本の第一弾と銘打たれており、写真家・有賀幹夫氏による「忌野清志郎ソロライブフォト」をもとにしたTシャツが製作・販売されたことを背景としているようだ。Tシャツ付きの「特装版」も同時発売。
 有賀氏は1990年以降、現在に至るまでローリング・ストーンズの専属写真家として知られるが、RCサクセションの1986年日比谷野音ライブおよび1987年の忌野清志郎& The Razor Sharpsのライブに公認カメラマンとして随行している。没後の2010年には「NAUGHTY BOY忌野清志郎+有賀幹夫写真展」を開催しており、このたびのムック本ではその際に展示の用意が間に合わなかった写真がふんだんに掲載されている。

 このムック本の白眉となる「トークセッション『RAZOR SHARP』の忌野清志郎」では、当時の所属レコード会社・東芝EMIのディレクター(熊谷陽)、宣伝担当(近藤雅信・高橋ROCK ME BABY)、音楽評論家(今井智子)によって、当時のソロプロジェクト活動の実態が再検証される。アルバム『RAZOR SHARP』は、単身でロンドンに渡った清志郎が、当時、実質上、活動休止状態にあった英国のバンド、ブロックヘッズを中心にしたミュージシャンと共にレコーディング・セッションを行ったプロジェクトによるもので、1987年2月のアルバム発売後、3月にはバンドメンバーと共に「来日」し、東京・大阪・名古屋にて計6公演のライブツアーも展開している。そのうち中野サンプラザ公演(1987年3月25・26日)をもとにライブアルバム(およびビデオ)『HAPPY HEADS』も制作されている。ちなみにブロックヘッズはこのプロジェクトを契機に再活動をはたしており、双方にとって大きな影響を及ぼしたセッションになっている。

『RAZOR SHARP』以前にも、「外での清志郎が一番かっこいい」と当時よく言われていたように、坂本龍一とのコラボレーション「い・け・な・いルージュマジック」(1982)、どくとる梅津バンドとのジョイント・アルバム『DANGER』(1982)、ジョニー、ルイス&チャーとの共作「S.F.」(1986)などソロ活動も活発になされていたわけだが、単身で海外にわたり、現地の、しかもキャリアのあるミュージシャンとセッションし、意気投合して「来日公演」まで行うというのは、確かに忌野清志郎全キャリアの中でも大きな分岐点に位置づけられる。
 佐野元春が一年間、ニューヨークに滞在した成果としてアルバム『VISITORS』(1984)を発表し、サザンオールスターズもLA録音によるシングル「Tarako」、ビデオクリップ集『サ吉のみやげ話』(1984)などをもたらしているように、海外レコーディング(マスタリング)が盛んに試みられていた時期で、もともとはRCサクセションによる企画であったが、メンバーの足並みが揃わずに結果として単身での渡英となった背景があるようだ。
 80年代半ばは「第2次ブリティッシュ・インベイジョン」とも称されるようにアメリカの音楽市場でイギリスのバンドが目立って活躍していた時期でもあるのだが、アメリカ南部のソウル・ミュージックへの愛着を公言していた清志郎がこの時期にロンドンに向かったというのも運命的でおもしろい。ブロックヘッズとの共演の背後にカズ宇都宮氏がコーディネーターとして尽力していたという事実はこのたびはじめて知った。制作秘話・裏話も30年経ってすでに歴史的証言と化しており、「1987年の忌野清志郎」と銘打つのにまさしくふさわしい貴重な資料集になっている。

 RCサクセション期(1970-90)のベストアルバムを挙げるとすれば、私の世代だとリアルタイムでは「い・け・な・いルージュマジック」(1982)以降になってしまうので、ライブアルバム『The King of Live』(1983)、『the TEARS of a CLOWN』(1986)の思い入れが強いのだが、一枚挙げるとしたら、一番好きなのはこのソロプロジェクト『RAZOR SHARP』。テレビのバラエティ番組などにも積極的に露出していた時期で、華やかでありながら、それでいてなんだかもの静かで奥ゆかしい不思議な魅力にあふれていた。
 実はバンド(RC)があまりうまくいっていなかった時期で、単身渡英の挑戦ももともとはRCの企画が頓挫した結果によるものだったと明かされるのは大分後になってからのことで、当時は多彩な活動の一環という認識でしかなかった。それでも、時にシニカルに、時にシリアスに、あるいはユーモラスに、コミカルに、孤高を突き詰めるような歌詞の世界に覚悟と活力をなんとなく感じ取ることができていたようにも思う。『RAZOR SHARP』からのシングル曲「AROUND THE CORNER/曲がり角のところで」が象徴的に示すように、忌野清志郎全キャリアの中でもまぎれもない分岐点(曲がり角)となっていたことを十二分に実感させてくれる。しかし、そうはいっても『1987年の忌野清志郎』などという、こんなマニアックなムック本を豪華な装丁と紙質で楽しめるのはありがたく、幸せなことである。
 ゆっくりとじっくりとアーカイブ化が進んでいるのも嬉しいかぎりで、いずれ音源の方もスペシャル・アーカイブ盤の登場を待ちたい。『ザ・タイマーズ・スペシャル・エディション』に続いて、HIS(細野晴臣・忌野清志郎・坂本冬美)のアルバム『日本の人』(1991)が25周年記念盤として12月14日に再発されるとのことで、こちらもまったく予想外のサプライズ。












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